平成30年5月19日(土)雨
雨はなかなか止まず、バスが駐車場に着いてから『クレムリン』の入場口にある『トロイツカヤ塔』付近までは強い雨風
に悩まされました。
クレムリン
クレムリンは「城塞」を意味する言葉で、モスクワに建設されたのは、12世紀、ユーリー・ドルゴルーキーの時代とされ
る。
その後、モスクワは公国の首都となり、15世紀、タタールの支配を脱し、全ロシア統一の中心地となった。
サンクトペルブルグへの遷都後も、皇帝の戴冠式が行われるなど、第2の首都として機能、ロシア革命後再び首都に返り
咲いた。
クレムリンはその長い歴史を物語る、生きた博物館ともいえる。
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クレムリンの城壁の長さは2,235m、総面積は28万㎡に及ぶ。内部には、サボールナヤ広場を中心に、皇帝の戴冠式が行
われたウスペンスキー大聖堂、皇帝廟のあるあるハンゲリスキー大聖堂など、金色の円屋根をいただくロシア正教の寺院が立
ち並ぶ。
また帝政ロシア時代の宝物を展示する武器庫、世界最大の鐘「鐘の皇帝」、革命後に建設されたクレムリン大会宮殿な
ど、見どころも多い。
『クタフィア塔』から入場し『トロイツカヤ塔』を経て、最初に『ウスペンスキー寺院』に入場する。
場内は撮影禁止となっており、入口左手に寺院内の案内パンフレットが置いてあり、英・仏・西・露・独・韓・中各国語
のものはありましたが、何故か日本語のものはありません。ガイドは英語版を渡してくれました。
(何処の観光地も同じでした)
ウスペンスキー寺院 Успенский Собор
ロシア正教の府主教会として、歴代皇帝の戴冠式や総主教の任命式が行われた。
1474年、ウラジミールの大聖堂を模し建物が建立直後に地震で崩壊したため、イワン大帝は、先進国イタリアの名建築
家 A・フィオラヴァンティを招き、最新の技術を取り入れて再建した。
内壁は、聖人のフレスコ画で埋め尽くされており、圧巻だ。
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次は『武器庫』に入場、こちらは建物内は一切の撮影が禁止されています。
最初は『ダイヤモンド庫』に入場しますが、ここではガイドの案内も禁止で、私語も禁止なので、事前に添乗員から資料
を渡されていました。
ゲートを抜け、階段を上がった左側に入りますが、当然ですがセキュリティが大変厳しくなっています。
中は2部屋になっており、入口と出口は別々になっています。
最初の部屋に入って右側の展示室には、ダイヤモンドの原石があり、原石からカットされ、宝石になるまでの過程が展示
されています。また、壁にはダイヤ粒でできたロシアの地図があり、モスクワはピンクのルビーで表示されていました。
部屋の中央のケースには、変わった形の金塊で、すべて自然にできたものがあります。入口側の中央の位置にある金は、
重さ25gの金塊で、悪魔「メフィスト」と呼ばれる。これが本当に自然に作られたものなのか、あるいは人工的に造られ
たものなのか、念入りに調査された。
ここで第2室の狭い入口から入ると、ロマノフ王朝の至宝が並ぶ一番の見所で、中心にはエカテリーナ2世の戴冠式で使
われた2kgの王冠、伝説のダイヤモンド「オルローフ」が嵌められている王笏(約190ct)、200ctのサファイヤのつい
た権標、王冠を飾る赤い尖晶石、この3つはロシア国旗の赤・白・青を表している。
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【オルローフ】
エカテリーナ2世の愛人の名前。このダイヤは、ムガール帝国で発見され、王子がその所有者であったと伝えられている
その後フランス兵士に盗掘され、イギリス人が購入、そしてユダヤ人宝石商の手に渡った後、オルローフが購入した。
オルローフは離れてしまったエカテリーナ2世の愛を取り戻そうと、このダイヤをプレゼントするが、彼女の心が戻る事
はなかった。
オルローフはエカテリーナ2世の死後、発狂して亡くなったという。
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再び元の部屋に戻ると、左側の展示は巨大なサファイヤを使った、ブリリアントの首飾り、巨大な四角いコロンビアのエ
メラルド、トパーズなどの装飾品が展示されていました。
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ここの出口にお客が集まると扉が開き、階段を上がると『武器庫(宝物庫)』があります。ここでも写真撮影は禁止にな
っています。
宝物庫の武器庫
歴代の皇帝が収集した王冠、宝石など宝物の数々を展示する博物館で、中でも1682年まで戴冠式で使われたモノマフの
王冠、エカテリーナ2世の黄金の馬車、20世紀初頭の精巧なオルゴール「ファベルジェの卵」などは必見です。
17世紀、ここでは武器製造職人や浮彫工、聖像画家などが働き、18世紀から財宝が保管されるようになったとのことで
した。
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外へ出るとサポールナヤ広場に面して『イワン雷帝の鐘楼』や『十二使徒教会』があります。
イワン雷帝の鐘楼
16世紀初めに建立された八角形の優美な鐘楼で、1600年ボリス・ゴドノフの命により増築され、17〜19世紀、モスクワ
で最も高い建築物(81m)となった。16世紀前半、北側に教会が増築され、次いで鐘楼に改築されている。鐘は全部で
24個あり、最大の鐘ウスベンスキーは64tもの重量があるという。
十二使徒教会
17世紀、ロシア正教の儀式を本来のあり方に改めた「宗教改革」で知られる総主教ニコンが、総主教宮殿の隣に建てた教
会。
ロシア伝統様式を用いた建築は、ニコンが新しいスタイルを拒絶したことを示しているという。内部には、有名なイコン
画家、シモン・ウシャコフの作品など、17〜18世紀のイコンが飾られている。
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次いで『パトリアルシー(総主教)宮殿』と『アルハンゲリスキー大聖堂』。
パトリアルシー(総主教)宮殿
ニコン総主教の時代に建築(1652〜56年)された総主教の宮殿で、現在は17世紀の美術工芸博物館となっている。
アルハンゲリスキー大聖堂
1506年、イワン大帝の死を目前に、大聖堂兼皇帝廟として、サボールナヤ広場に建設が開始された。
ヴェネツィアの建築家A・フリャージンが手がけ、伝統的なロシア建築とルネッサンス様式を巧みに融合させている。
ドミトリー・ドンスコイ、イワン雷帝、ピョートル2世など、皇帝とその家族54名がここに眠る。
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さらに『ブラゴヴェシェンスキー大聖堂』と『十二使徒教会』。
ブラゴヴェシェンスキー大聖堂
イワン雷帝の命により、ロシア人建築家が建設(1484〜89年)し、16世紀半ばの火災の後、イワン雷帝が修復した皇帝
の私的な寺院。4度目の結婚により、教会での礼拝に参加する権利を失った雷帝のため、専用の階段付き玄関が設置され
たという。
200人以上の人物を描いた壁面や、ド・グレク、A・ルブリョフなど著名なイコン画家の作品も見逃せない。
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一通りの観光を終え、帰りの出口へ向かう途中、彩り鮮やかな植木に眼を休ませることができました。
その先には『鐘の皇帝』があり、右手には広々とした空間の向こうに『大統領府』がありました。
鐘の皇帝
イワン雷帝の鐘楼横にある重さ200tの世界最大の鐘で高さ約6m。1735年に本体の製作が終了、レリーフの彫刻が始ま
るが、1737年のクレムリンの火災の際に消火用水に冷やされて、亀裂が入り、一部が欠けてしまった。そのかけらだけ
で11tある。
大統領府
内部はおろか、近づくこともできないので外観を見学。
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さらに『大砲の皇帝』と小型の大砲が並べてあり、眼を楽しませてくれました。
大砲の皇帝
十二使徒教会の横にある、1586年に鋳造された大砲で、口径89cm、重さ40tと当時世界最大を誇ったが、実際に使用
された事はない。地面に置いてある弾は装飾用のもの。
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これで『クレムリン』の観光を終え、再び『トロイツカヤ塔』から外へ出ました。
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バスは夕食のためレストラン『キテジ グラッド』へ向かいました。
夕食のメニューは「オリヴァーサラダ」、「マッシュルームクリームスープ」
メインは「魚料理」、デザートは「ナポレオンケーキ」でした。
【ナポレオンケーキ】
初めはミルフィーユ(フランス語で“千の層”という意)と呼ばれていたこのケーキが、ロシアに伝えられたのは19世紀初期
1812年のナポレオン・ボナパルド率いるフランス軍への勝利の後、お祝いの際に広く作られました。
200年後には多くのロシア人が伝統料理であると考えたほど、このケーキはロシア人の間で非常に気に入られました。
ナポレオンケーキの人気が続く理由は材料のシンプルさにあり、牛乳、バター、砂糖、卵などだけで、特別なものは本当
に何もいらない。
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夕食を終えて外へ出ると、またまた雨が降っていました。
ホテルへ帰る途中の街中では、道路を跨いで飾りがありましたが、それも雨に濡れてキラキラしていました。
明日は日本への帰国です。11日間のツアーも終わってみればアッという間の出来事でしたが、今回は大変内容の濃い、ボ
リュームの多いツアーになりました。帰国してからの整理が大変ですが、それも旅の醍醐味の1つとして楽しむことにし
ます。
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6.30. 朝食 … 9.00. ホテル発(バス)→ 9.45. ロシアンプレゼンツ(土産店)10.20. → 10.40. 救世主キリスト大聖堂
11.00. 展望台 11.20. → 12.20. レストラン・カフェ プーシキン(昼食)13.20. → 13.30. クレムリン … 13.50. ウスペンスキー大聖堂 …
14.20. 武器庫 … 14.30. ダイヤモンド庫 … 15.00. 武器庫(宝物庫)… 鐘の皇帝 … 大砲の皇帝 … 16.50. クレムリン発 (バス)→
17.00. レストラン・キテジ グラッド(夕食)18.00. → 18.20. ホテル着 マリオット・グランド 泊