平成30年5月17日(木)晴時々曇 19℃
サンクトペテルブルグでの最後の朝は、モスクワへのフライトの関係で3時半に起床、流石に外はまだ暗い。
身支度をして、昨日の夜に用意されていたお弁当を食べることにしましたが、まだ食欲もなくジュース、ヨーグルト、ク
ッキーなどを口に入れました。
出発は5時45分、昨日の雨も上がり今朝は青空が広がっています。
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早朝なので流石に車の渋滞はなく、スムースにプルコーボ空港に着きました。
建物入り口に1回目のセキュリティチェックがあり、搭乗続きが済んで搭乗券を受け取ると、2回目のセキュリティチェ
ックがある。
ここではベルトコンベアー方式のゲートがあり、右を向いた状態でベルトコンベアに乗り、止まったら降りる方式で、こ
れは初めての経験でした。
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8時20分、ほぼ満席のフライトではサンドイッチのサービスがあり、遅めの朝食となりました。飲み物はコーヒーか紅
茶のみで、1時間半ほどのフライトですので、ゆっくり食べるわけにはいきませんでした。
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2度目のモスクワはドモジェドボ空港、相変わらずの混雑で、バスに乗るまでに1時間ほどの時間がかかりました。
ガイドは先日と同じリューバさん、目的のセルギエフ・ポサードまではモスクワ市内の渋滞が酷く、途中休憩はなく2時
間半かかってレストラン・トラペッツナヤに到着しました。
セルギエフ・ポサート Се́ргиев Поса́д
モスクワの北北東70km、トロイツェ・セルギエフ(聖セルギー三位一体)大修道院を中心とした街。
若き日の聖セルギーが1345年後に修道院となる僧院を立てたのが始まり。彼はタタールとのクリコヴォの戦い(1380
年)で、精神的な指導者としてロシアを勝利に導き、やがて修道院はロシアの文化的中心に。
皇帝もしばしば訪れ、若き日のピョートル大帝が、政敵から身を隠したこともあったという。現在も修道院には300人の
修道僧が生活している。主な産業としては、古くからのミニアチュールと木製玩具の製作が盛んである。
「黄金の輪」を構成する都市のひとつとしての観光業も盛んで多くの観光客が訪れる。
ロシア正教会の中心地のひとつでモスクワ神学大学、同神学校が設置されている。
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ここでの昼食は、『マッシュルームヌードルスープ』とメインは『シャシリク』。
【シャシリク】
肉の串焼き料理。羊肉あるいは牛肉を角切りにし,塩,コショウ,サラダ油などに浸しておいてから金串に刺し直火で焼
く。
タマネギ,ピーマンなどをともに刺すこともある。ロシア料理として知られるが,もとはタタール人の野外料理で,羊肉
を長剣に刺して焼いたという。いわゆるバーベキューで、トルコのシシカバブーのようなものです。これは美味しかった
です。
デザートは『ポンチク』、これはロシア風ドーナツで、食べ残したものはお土産に頂いてきました。
あっさりした甘さで、オヤツに最適でした。
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レストランからは歩いて『トロイツェ・セルギエフ修道院』に向かいました。
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トロイツェ・セルギエフ大修道院 Троице-Сергиева Лавра 至聖三者聖セルギイ大修道院
調和のとれた建物群は、15〜18世紀に建設されたもので、中心部のウスペンスキー大聖堂は、1584年イワン雷帝の名に
より、モスクワの大聖堂を模して設立された。金色屋根のトロイツキー聖堂(1423年)が最も古く、天才画家アンドレ
イ・ルプリョフがイコンを描いたことでも知られる。教会美術品や寄贈品を展示した博物館(聖器所)も興味深い。
18世紀、修道院は女帝エリザヴェータから『大修道院』の称号を与えられた。
その諸建築はロシア教会建築の優品として知られる。1993年、ユネスコの世界遺産として登録されており、登録名は、
「セルギエフ・ポサードの至聖三者セルギイ大修道院の建築的遺産群」。
ウスペンスキー寺院 Успенский Собор
16世紀には、至聖三者聖セルギイ修道院の横に、ウスペンスキー聖堂(生神女就寝大聖堂)が建設されました。
ウスペンスキーとは、ロシア語で「永眠」を意味するウスペニイェに由来し、ウスペンスキー大聖堂とは、カトリックに
おける聖母マリア被昇天教会にあたります。
ここセルギエフ・ポサードのウスペンスキー聖堂の外観は、キリストをあらわす金色屋根を中心に、周囲に聖母マリアを
あらわす青色屋根が配された、とてもポップな色合いの美しいもので、まるでおとぎの国のお城のようです。
ウスペンスキー大聖堂内に入場、多くのイコンを拝見しました。
18世紀に建てられたという高さ88mの『鐘楼』と『トロイツキー聖堂』。
ウスペンスキー大聖堂前にある『ドゥホフスカヤ教会』とイコン。
大修道院の見学を終え、バスは今日の宿泊地のスズタリへ向けて出発しました。
ここからスズタリまでは移動時間(3時間半)が長く、途中ファエトンでトイレ休憩の後、ホテル『クニャジィ・ドヴォ
ル』に着きました。
ホテルのフロントは天上が吹き抜けの総ガラス張りで、遠く林越えにスズタリの街が望める絶好の場所にありました。
夕食は、ホテルのレストランで頂きました。
『ベジタブルサラダ』と『豚肉料理』。
デザートは『プリヌイ ジャム添え』でした。夕焼けが明日の好天気を知らせてくれていました。
【プリヌイ】
ブリヌイとは簡単に言うとロシア風のクレープです。 ボルシチと並び、最もポピュラーなロシア料理の一つ。
薄く伸ばして焼いた生地にチーズやハム、イクラやサーモンを包んだり、甘いジャムなんかもよく合います。
トルコのシシカバブーです。
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今日早暁からの長い一日で、大分疲れが溜まったようで、汗を流して早々とベットへ入りました。
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3.30. 起床 … 5.45. ホテル発 → 6.30. サンクトペテルブルグ・プールコボ空港 … 8.20. S7航空 S7-020便 → 9.50.
モスクワ・ドモジェドボ空港 1040.(バス)→ 13.10. セルギエフ・ポサード レストラン・トラペッツナヤ(昼食)
14.00. … 14.05.トロイツェ・セルギエフ修道院 … トラペツア(食堂付属)教会 … ウスペンスキー寺院 … トロイツ
ェ・セルギエフ大修道院 15.30. → 16.30.ファエトン・スーパー 16.45. → 19.00. スズタリ・ホテル・クニジャイ ・
ドヴォル着 … 19.30. ホテル・レストラン(夕食)20.30.
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スズダリ Су́здаль
ウラジミール州の都市。モスクワ北東、ウラジミールから26km、カメンカ川沿いに位置する古都である。
スズダリの名が歴史的、記録上初めて見られるのが1024年である。12世紀前半、ユーリー・ドルゴルーキー(手長公)
の時代にロストフ・スズダリ公国(ウラジーミル・スズダリ大公国の前身)の首都となる。
以後、14世紀末にモスクワ大広國の支配下に入るまで、ウラジミール・スズダリ大広国をはじめとする諸公国(スズダリ
公国等)の首都として機能し、いわゆる「黄金の輪」を形成した。
政治的重要性が喪失された後も、ロシア正教の中心の一つとして、宗教的・文化的な役割を果たした。
今日、スズダリは、古代から中世期の教会、修道院などの建築を多数保有する観光都市である。
市街には多数の教会建築のほかに、小川の流れと牧草地を有する小さな村や草原があり、こうした田園とスズダリの教会
建築は、絵画的な風景をもたらしている。特に夏場には、こうした風景を求めて多くの観光客や絵を描く人々が訪れる。
ソ連時代の1967年、ソ連閣僚会議によってスズダリの観光・旅行センターとしての建設が決議され、博物館都市として
の都市整備が進んだ。
1992年「ウラジミールとスズダリの白亜の建造物群」はユネスコの世界遺産に登録された。
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黄金の輪 Золото́е кольцо́
モスクワ北東近郊にある都市群の名称。古くは、ザリエーシェとも呼ばれた。
これらの古い都市は、ロシア史、ロシア正教会における精神文化、芸術、建築などにおける源流が形成された地域として
重要視される。これらの都市は、11世紀から15世紀末にイワン雷帝が各地を征服し中央集権体制を構築するまで、ロシ
ア諸公国の首都として栄華を誇った。
都市自体が野外建築博物館とも言える。12世紀から18世紀におけるロシアの都市に特徴的なクレムリン(城塞)、修道
院、大聖堂、教会を擁する。「黄金の環」の都市が観光地として喧伝されるようになったのはソ連時代の1974年のこと
である。
ソ連崩壊後も外国人向けの観光地として整備が進められている。