
『腰部脊椎狭窄症』による手術後のリハビリのため、北陸の温泉場で湯治を兼ねての旅行に、クラブツーリ
ズム社のツアーに参加することにしました。
上野からの長野新幹線では関東地方の桜の景色、軽井沢付近からは浅間山の雪景色等を楽しみながら上田駅
で下車。
ここから観光バスに乗換え、上信越道から北陸道経由で『大牧温泉』に向かいました。
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だ冬景色でした。
上田駅に到着すると、駅構内ではこの6日から開催の【2012
上田城千本桜まつり】の飾り付けがあり、大いに期待されましたが、迎えのバスに乗るとガイドさ
んから、
「今年は例年になく開花が遅れており、まだ蕾の状態です。例年ですとちょうど満開の時期なので
すが……。」
と如何にも残念そうに話される。続けて、
「帰りには何とか開花してくれれば良いのですが、こればかりは天候次第ですのでどうでしょうか
?」と言われる。
ここは観光予定地ではなかったので、帰りに時間があればと言うことになる。
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バスは【坂城IC】から上信越自動車道に入る。【更埴JCT】から【長野IC】にかけては、車窓左手遠くに雪を頂いた『北アルプス連峰』が見え
てくる。
ガイドさんは、昨日までの悪天候が今日は一転して好天になったのは、皆さんの普段の行ないの良い結果と、興奮気味に山々を説明する。
車窓左手奥の穂高連峰に始まり、常念岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、そして白馬三山と標高もすらすらと言うところをみると、よほどの山好きのよう
だ。
小生もこの時期の北アルプスの眺望をこれほどハッキリと見るのは初めてなので、このツアーの目的外として大層得をした気分にさせられる。
一方、車窓右手には『志賀高原』の山々も見えて、何も言うことなし。
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【飯山IC】を過ぎる頃から標高が高くなってくると、周囲は次第に雪が多くなり、すっかり冬景色となる。
【妙高SA】前後の道路脇は数mの雪壁となっており、妙高高原ではまだまだスキーが楽しめそうだ。
この付近からは山々の高い部分に雲がかかり、黒姫山や妙高山などの山頂部分が見えなかったのは残念だった。
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を眺められる【名立谷浜SA】で昼食となる。
SAのベンチで、車内で配られたお弁当を食べる。
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ここから先の北陸道はトンネル続き、何と26カ所もあるという。食後とあって、大半の方々はお
休みになる。
かっての難所とされた【親不知】も近代的な道路で何事もなく通過する。
水を張った田圃の所々に頭の黒くなった[ユリカモメ]も見られるようになる。
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盛期の富山湾を右手に見て、やがて富山市に入る
頃になると、車窓左手に劔岳や立山連峰が見えて
くる。
今日のハイライトはまさにこれだ。
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【砺波IC】で北陸道を降り、『道の駅井波・いな
み木彫りの里創遊館』でトイレ休憩となる。
ここ井波は〈井波彫刻〉で有名で、欄間・衝立・パ
ネル・天神様・獅子頭に代表される置物などの彫
刻を製作している。この道の駅の創遊館では、木
彫りの作業場を見学することもできる。
楠・ケヤキ・桐を材料とし、荒彫りから仕上彫り
まで200本以上のノミ、彫刻刀を駆使するとのこ
と。
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井波彫刻の起こりは、過去に幾度も焼失した井波別院瑞泉寺がその都度再建されてきたことに深くかかわっています。宝暦・安永年間(1763~
1774)の瑞泉寺再建の折、京都本願寺の御用彫刻師・前川三四郎が派遣され 井波拝領地大工がこれについて習ったのが井波彫刻の始まりとされ
ています。
時代の流れとともに豪華さを誇った寺社彫刻から、現在は民家の室内彫刻へと移り変わり、なかでも住宅欄間はその主力となっています。
名工の子孫によって受け継がれ、培われてきた「井波彫刻」の高度な技術は、全国一の規模を誇るようになり、昭和50年には国の伝統的工芸品に
指定されました。
平成5年には、井波彫刻総合会館が完成し、館内では、220年の伝統を誇る木彫刻技術の粋を集めた作品200点を展示販売しています。
【南砥市資料より】
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その井波から10分ほどで庄川峡・小牧ダムにある『庄川遊覧船』の乗場に着く。
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きた峡谷で、かっては飛騨五箇山から切り出した木材を運び出すルートでし
た。
庄川峡の小牧ダムから大牧温泉の間には、遊覧船が運行しており、往復約1
時間の船の旅を楽しむことができます。 【庄川遊覧船パンフより】
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小牧ダム
昭和5年に完成。堤高79.2m。アーチ曲面の美しい本格的な重力式コンクリ
ートダム。
建設当時は東洋一の高さで、東洋一のダムと呼ばれた。物部長穂の重力式コ
ンクリートダムの設計法を適用した最初のもの。大井ダムに続いて建設され
た初期の大型ダムの代表的事例。玉石コンクリートが使用された。
土木学会選奨土木遺産2001に選定され、平成14年6月25日に国の登録文化財に指定された。
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庄川の船舶事業は、冬期の上流住民の交通手段として利用されていたが、国道156号線の整備によって現在では大牧温泉へ
の観光客の送迎と大牧発電所の保守・点検に利用されているという。
我々は23年9月に就航した『クルーズ庄川』(定員94名)に乗船、小生は2階のデッキから周囲の眺望を楽しむことにする。
川の水は雪解け水のためやや濁っているが、独特の薄い緑色をしている。渓谷の各所からはその雪解け水が滝となって流れ
落ち、未だ冬枯れの樹々が針葉樹林帯の間に点在している。
右に左に流れを変える川面には、所々にマガモやカルガモ、それにカワアイサが見られ、目を楽しませてくれる。
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30分ほどで『大牧温泉』に到着。船は旅館の全貌を見せるために船着場の上流まで航行し、折り返す。
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平家の落人伝説が残る秘境の里・・・。
1183年(寿永2年)今から800年程前、砺波山の合
戦に敗れた平家の武将が源氏の追撃を逃れ隠れ家
を求めて大牧の辺りをさまよっていた時、河畔か
らコンコンと湧き出る温泉を発見し、その湯を口
にし湯あみをして創傷の身を治したのが始まりと
言われます。
かってはこの峡谷の底にも村落があり、村人達の
湯治場として素朴な宿を営んでいました。
1930年(昭和5年)小牧ダムの完成とともに村落
は湖底に没し、温泉宿一軒だけがダム湖と切り立つ断崖の間に取り残されてしまいました。
多くの村人から愛された温泉を何とか続けようと豊富に湧き出る源泉を湖底から採り込み、交通手段は船を頼りに再興されたのが現在の大牧温泉
の基となっています。
「船でしか行けない秘境の一軒宿」と言われるのは、こうした歴史の中から生まれたからです。
日本の百名湯にも選ばれた大牧温泉は、自然と調和し何もない贅沢な空間が静かにゆったりと過ぎてゆく心安らぐ温泉です。湖の上にせり出すよ
うに建てられた木造3階建ての趣ある宿で、泉度は59℃、
泉質は石灰含有弱食塩泉で胃腸病、神経痛、外傷などに効果があるという。 【大牧温泉資料より】
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今回このツアーに参加することにしたのも、この温泉の効能にある外傷に効果があるとのことも一因でした。
夕食までの時間がたっぷりあったので、その間遊歩道を散歩することにしましたが、周囲の山々には残雪が多く、雪崩の危険があるとのことで、
ほんの旅館の周囲のみしか歩くことができませんでした。
梅がようやく咲き始めているほか、蕗の薹やショウジョウバカマが見られる程度で、まだ春は遠い感じでした。
また、その遊歩道には『熊に注意』の立札があり、特に夜間の外出は禁止となっており、まさに大自然のど真ん中にある宿であることが分かり
ました。
要するにここは、俗世間から離れ大自然の中でゆっくりと過すことを目的にする方々のための宿なのです。
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り、対岸の尾根の樹にはサシバの番がじゃれあう
ように飛び回っている姿をみることができました
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の海の幸会席を堪能しました。
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7.58. 上野駅(あさま507号)→ 9.32.上田駅(バス)→ 10.10.坂城I.C. (上信越自動車道)→ 11.25. 名立・谷浜S.A.(昼食)11.55. → 13.20.
砺波I .C. → 13.40. 道の駅井波・いなみ木彫りの里創遊館 14.05. → 14.20. 小牧ダム(庄川峡遊覧船)14.30. → 15.00. 大牧温泉 泊
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