これが本物かどうかはわからない。

魯山人が福田大観と名乗っていた頃の書とされている。
真贋のほどはわからないが、起承転結的ドラマのある、中々魅力的な作品だ。
書き出しの線はしつけの良さで始まりながら、次第にその本性を怒涛のような傍若無人な渇筆で一気に表していく、、、
墨継をした後落ち着くのかと思いきや、それを二画目にして裏切り、割れた筆先を利用して繊細な神経の持ち主であることをアピールしてくる。
しかし、一本の横画が適当さや茶目っ気さを出してくる。
これは、多分畳の模様だ。
畳の上に何も敷かないで書いたに違いない。
他の線に同様の模様がないわけだから、わざわざ筆をとめて、毛氈を外して書いたのかもしれないし、最初からそれを想定して敷いていなかったのかもしれない。
しかし、天より地を大きく空ける、伝統的条幅の書き方からは外れることはしていないし、落款も同じ筆で書いている。
でも、その落款は勢いがおさまりきらない表現なのか、はみ出している。
これも計算か、、、
関房印が大きく曲がっているのに、白文と朱文はきっちりと曲がらず、印一つ分をルール通りに空けている。が、本文にのっている、、、
関房印は本人が押したが曲がってしまい、他の印を弟子に任せたか、、、
私が弟子なら、本文にのせることを師に確認するだろう。
そして師はあっさりとこう言うだろう。
『のせとけ』と。
あるいは、関房印は『一』に対する直角を嫌って曲げたのかもしれない。
いずれにしてもこの作品は、いつも私をとても楽しまさせてくれる。
一言で言えば、Rock!
歌詞がわからなくたって、でかい音で聴けば、身体から凄さが伝わり、私の心を揺さぶるRock!
リアルに演奏者や書き手を感じる。
キングクリムゾンの『21世紀の精神異常者』ぐらい、ギリギリのところで少しだけコントロールされているリアリティある衝動を感じる、、、
そこに意図的なところは感じるものの、それは若いエネルギーの為せるところであって、評価を下げるものではない。
私のお宝コレクションの一つです。
家宝にしたいけれど、わかる子孫がこの先登場してくれるのかどうか(笑)

魯山人が福田大観と名乗っていた頃の書とされている。
真贋のほどはわからないが、起承転結的ドラマのある、中々魅力的な作品だ。
書き出しの線はしつけの良さで始まりながら、次第にその本性を怒涛のような傍若無人な渇筆で一気に表していく、、、
墨継をした後落ち着くのかと思いきや、それを二画目にして裏切り、割れた筆先を利用して繊細な神経の持ち主であることをアピールしてくる。
しかし、一本の横画が適当さや茶目っ気さを出してくる。
これは、多分畳の模様だ。
畳の上に何も敷かないで書いたに違いない。
他の線に同様の模様がないわけだから、わざわざ筆をとめて、毛氈を外して書いたのかもしれないし、最初からそれを想定して敷いていなかったのかもしれない。
しかし、天より地を大きく空ける、伝統的条幅の書き方からは外れることはしていないし、落款も同じ筆で書いている。
でも、その落款は勢いがおさまりきらない表現なのか、はみ出している。
これも計算か、、、
関房印が大きく曲がっているのに、白文と朱文はきっちりと曲がらず、印一つ分をルール通りに空けている。が、本文にのっている、、、
関房印は本人が押したが曲がってしまい、他の印を弟子に任せたか、、、
私が弟子なら、本文にのせることを師に確認するだろう。
そして師はあっさりとこう言うだろう。
『のせとけ』と。
あるいは、関房印は『一』に対する直角を嫌って曲げたのかもしれない。
いずれにしてもこの作品は、いつも私をとても楽しまさせてくれる。
一言で言えば、Rock!
歌詞がわからなくたって、でかい音で聴けば、身体から凄さが伝わり、私の心を揺さぶるRock!
リアルに演奏者や書き手を感じる。
キングクリムゾンの『21世紀の精神異常者』ぐらい、ギリギリのところで少しだけコントロールされているリアリティある衝動を感じる、、、
そこに意図的なところは感じるものの、それは若いエネルギーの為せるところであって、評価を下げるものではない。
私のお宝コレクションの一つです。
家宝にしたいけれど、わかる子孫がこの先登場してくれるのかどうか(笑)