コミュ力がない人が、多くの人の手を必要とする時、どうやって協力を取り付けるのだろう。
辛いだろうな、から始まって、
本当の『搾取』を見るような気持ちになっていきました。
資本主義的な『搾取』じゃありません。
才能の『搾取』です。
新しい才能に自由にやらせて、最後はそれらを否定しながら自分のものにして、作品と共に自分も、『今まで』を超える物にしたい欲求を満たす、創造力の『搾取』です。
何人もの若手研究者の論文を否定しながら、まとめながら更にそれを超えて自分の論文にして出しちゃう感じ?
超してなきゃ、単なるパクリなんだけれど、そうなっていないから『庵野作品』として受け入れられるのだろうな、と。
確かに、新しい事なんて、そんなやたらに出来る事じゃありません。
数字だったら1の次は2であって、突然『あ』が生まれるわけは無いのです。
でも、1の次に『II』なら生まれそうでしょ?
僕らはそんなまやかしみたいな『II』を、新しいものとして喜んでいる、詐欺師みたいなもんです。
個人の創造力なんてものにはしっかり限界があって、それを超えた時『神が降りてくる』とか『来ない』とか言われるわけです。
でも実際には、ここが持っている創造力を追い込んで出てきた数々のアイデアから刺激を受けながらまとめているうちに、『神が降りてくる』ような個の限界を超えたアイデアがひらめくわけです。
それを庵野さんはやっているんじゃ無いのかな、と。
ま、勝手に思ったわけです。
好き勝手にね。