軽井沢バイシクルライフ

10年以上のブランクの後現役復帰した中年サイクリストの活動と昔話

シクロクロス③ シクロクロス今昔

2018-11-24 11:54:17 | 日記

写真は11月18日野辺山のスーパークロス男子エリートのレースの様子です。
現在は日本でもシクロクロスの人気が高まっていますが私が自転車を始めた1970年代後半は日本では一般的ではありませんでした。
その頃のお話をさせていただきます。
今は廃刊になった『ニューサイクリング』(通称ニューサイ)という実に渋い大人のための自転車専門誌がありました。ツーリング中心の内容でしたが、レース関係の記事では、2,000年に死去されたパリ在住の元自転車選手の画家で、日本の自転車競技の大功労者でもある加藤 一さんが毎回寄稿をされていました。
その中で、シクロクロスの世界選手権を見に行かれた時の様子を述べられた記事の内容を今も鮮明に覚えています。
場所はイタリアでしたが、調べてみると1979年の世界選手権がイタリア開催でした。
加藤さんの記事の内容を記憶している範囲で再現してみます。
「自転車選手らしい格好でいられたのはスタートの時ぐらいで、周回を重ねるごとに選手は泥人形のようになっていく。果たしてこれが正当な自転車競技と呼べるのか?」

(野辺山スーパークロス男子エリートスタート前)
また、それに続いて加藤さんは次のように述べられました。「ははあ、これは戦争中代々木の練兵場でやらされたあれだなと思いだした。」
戦争中は野球は敵性競技とみなされ、その他の多くのスポーツも大会が中止になり、戦争にとって有益と見なされた競技しか許されなくなっていました。
自転車競技も軍事教練の一環としての練兵場での断郊競争(シクロクロス)のような形でしか継続できなかったということです。
なお、加藤さんもその後召集されているようです。
加藤 一さんの作品は風をテーマにした抽象画が中心ですが、それは自転車選手の時代に見た乗車中の風景を表現したものらしいです。
抽象画は苦手ですが加藤さん作品は素晴らしいと思います。自転車競技そのものを描いた作品も素敵です。
現在の日本自転車競技連盟のシンボルマークも加藤さんの作品です。
アジアで唯一日本で世界自転車競技選手権大会を開催できたのも加藤さんの尽力であり、現在の宇都宮でのジャパンカップロードレースにもつながっています。

(野辺山スーパークロス)
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