蔵書目録

北京之春、文革、林彪、明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

歌劇 「胡蝶の舞」 帝国劇場 (1911.10)

2013年10月04日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他
表紙には、「十月狂言 絵本筋書 帝国劇場」とあり、「明治四十四年 〔一九一一年〕 十月一日発行」とある。22.2センチ。

 

 〔写真〕
・上段右から:小林延子、花岡蝶子、東日出子、音羽かね子、小原小春
・中段右から:村瀬蔦子、月岡静枝、水野早苗
・下段右から:福原花子、橘富美子、松本愛子、木村重子、泉亀代子、宇治龍子

 謹啓 各位倍御清穆奉賀候陳者当劇場事夙に時代の要求に鑑み附属技芸学校なるものを越し専ら女優の養成に相勉め既に第一期十一名は昨年秋期を以て業を卒へ当劇場開場後は殆ど興行毎に出場御高覧を忝ふべし居候処今回第二期十四名も所定の課程を卒へ候につき第一期卒業生同様今後は当劇場専属女優として出勤為致候間同様御贔屓御引立奉願上候在校中履修の課程の重なるものは新旧演劇を初め和洋踏舞及音曲等一般俳優に必要なる課目に候へども各人天與の才能により自ら其得意とする処を異にせる様被存候此等は今後の舞台に於て末永く御叱正御高庇を垂れ賜はん事を併せて奉希上候 敬具
 十月吉日  帝国劇場

    佐藤紅作
 第一新派劇『姊と妹』二幕
    近松門左衛門原作
    岡本綺堂脚色
 第二時代劇『世継曾我』壹幕
    松居松葉作歌
    エツチ、ウヱルクマイステル作曲
 第三歌劇『胡蝶の舞』
    駿河町人作
 第四喜劇『結婚反対俱楽部』一幕
 第五西洋舞踏ムーンライトドリーム
    右田寅彦作
 第六所作事『鎌倉武士』一幕
         振附 藤間勘右衛門

 第三

 一 雄蝶    藤間房子
 一 雌蝶    音羽かね子
 一 兒蝶    田中勝代
 一 同     佐藤千枝子
 一 同     白井壽美代
 一 同     泉亀亀代子
 一 同     花岡蝶子
 一 同     小原小春
 一 同     月岡静枝
 一 同     村瀬蔦子
 一 同     宇治龍子
 一 同     橘富美子
 一 同     松本愛子
 一 同     福原花子
 一 同     小林延子
 一 同     東日出子
 一 同     木村重子
 一 同     水野早苗
 一 春の女神  柴田環

      

 松居松葉作歌
 エツチ、ウエルクマイステル作曲

 第三歌劇 『胡蝶の舞』

  オーケストラにていと静かなる夜の曲を奏する事数分やがて鳶 とび 色の幕徐 おもむろ に上ると舞台は夜気深く鎖 とざ し唯空なる暁 あけ の明星のみ来可き曙 あかつき の色を示す既にして神々しき音楽と共に舞台の中央に一道の白光を放つて白衣の女神現はる女神は『白羊宮を出でし日の神、金牛 こんぎう 赫奕 かくやく 之を迎へぬ、影暗き冬は雪解けて、世はいまし我が占領 もの なり、蝶よゝなど我に来らぬ』と歌ひつゝ姿いつしか消失 きえう すれば此 この 声に驚き二つの蝶は思はず夢覚め雄蝶『夢の裡 うち に、春を通ひて、目覚むれば、世は春なり』雌蝶『貴 う としや、春の女神、光と平和を、我等に與ふ、いざ此君の為にうからやからを、集めて、其榮を讃へん』と眠れる兒蝶を呼起せば急促なる音楽に伴 つ れて幾十の蝶兒 ちょうじ の群紅黄紫白様々なる冀 つばさ を附け八方より現はれ旋律に伴れ踊り舞ひ女神の榮を壽 ことば ぎ一部は上手に一部は下手に踊り去る雄蝶雌蝶は之を見送り雄蝶『我等もかつては、彼等が如くに、活気に充ち、生命に満てり』雌蝶『雙 ふたつ の翼も、わなゝく計 ばか り、若き心、裡に燃えたり』雄蝶『あゝ楽しかりし思ひ出よ』雌蝶『若き血は我に返りぬ』合唱『諸共 もろとも に、昔の春に遊ばん』と互ひに若き心になりて華やかなる音楽に伴れ楽しげに舞ひ狂ふ須臾 しばらく にして風雨驀然 ばくぜん として殺到し歓楽の夢忽 たちま ち破れ雙蝶終に卒倒し舞台は一旦暗く後又元の明るさに返り満目の紅は青葉となり先に女神の立ち居たる所には女神とエンゼルの如き姿したる雄蝶雌蝶は三位一体の如く立つ兒蝶 こちょう 所々より入り来り父母の変れる姿を驚き見相 みあひ 擁して叫ぶ女神之を諭 さと し『若き蝶よ汝が父母は我伴 ともなひ て永久 とこしえ の園花絶えぬ里に赴く、嵐吹く此世にはものゝ命皆定めあり、汝 なれ も亦一年 ひととせ の後我伴ひて永久の国に行かん、其時の到らん迄父と母との後を忍びて自然の美をば飽かず楽しめ、若き蝶よさらば』雄蝶『我が子等さらば』兒蝶一同『さらば、さらば、父よ母よ、春の女神よ』兒蝶の群雙の翼を張り別 わかれ を惜しみ女神と雄蝶と雌蝶とは赫灼 かくしゃく たる光明の裡に次第に昇天して去る幕。

 〔下の写真は、「帝国劇場 (胡蝶の舞)」とある絵葉書のもの〕

 

 この『絵本筋書』の見返しには、次の広告がある。

 歌劇 胡蝶の舞 歌詞

         一部金五銭

  今回帝国劇場に演ずる歌劇 オペラ は我邦に破天荒の試みなり、天来の美声珠を転がす柴田環女史中心となり帝国劇場独得の新女優に依りて唱舞さる歌詞は松居松葉先生の作にして艶麗の辞句新陳楽しく交替して旺盛なる青春の気今や天地に横溢するの情を賦す近来の傑作なり歌の意を詳らかにして舞台の楽声と演舞とに対せらるれば其味は一層に深からん一本を召させ給へ御帰宅の後には長く御観劇の好記念たらん。

 また、同四十四年十月十五日発行の『グラヒツク』 第三巻 第二十一号に、「帝国劇場のオペラ処女演と女優劇 Opera and Drama at the Imperial Theatre、Oct.1-25」があり、帝劇十月興行が写真と共に紹介されている。

 少からぬ資本を擁して建築は東洋第一と称せられ、実業界嘖々 さくさく の名のある敏腕家が経営の任に当るといふも、情実纏綿 てんめん 特殊の社会を形造れる劇界に、名優凋落の今日、成効如何あらんかと世人より危ぶまれたる帝国劇場も、旧慣を打破して専ら観覧者の便を計り、時代の帰向 きかう に鑑みて出し物の選択配合に苦心し経営宜しきを得たる為め初興行以来常に成効しつゝあるは誠に喜ばしき事なり、十月興行は日本に初めてといふオペラの呼び物ある上世話、時代、喜劇、所作と品数沢山の献立てに女優の使ひ分け皆な夫 そ れ旨味ありて、下戸も舌鼓を打ち、初晩以来非常の景気とは大に芽出度し、オペラは所謂女演なり環女史の独唱は何時 いつも ながら振へり、批評家は忌憚なく充分の注文を出 いだ すべし、演者は之を体して大 おほい に研鑽すべし、吾人は其等の結果今後よりも稍 や や複雑なる趣あるオペラの開演せられん日を待つなり。

 写真は、「雌蝶 音羽兼子、春の女神 柴田環女史、雄蝶 藤間房子」3枚と「歌劇 「胡蝶の舞」Opera “Butterfly Dance”1枚である。

 なお、下の写真は、大正三年 〔一九一四年〕 一月一日発行の 『淑女画報』 第三巻 第壹號 の口絵にあるもの。

     カフエー茶話のヒロイン

 

 〔上の右半分〕 帝劇技芸員。上、田中勝代。二段右、河村菊枝。同左、東日出子。中央、初瀬浪子。四段右、鈴木徳子。同左、佐藤濱子。下、音羽かね子。

 〔上の左半分〕 帝劇技芸員。上、藤間房子。二段右、水野早苗。同左、小林延子。中央、森律子。四段右、小原小春。同左、村田かく子。下、宇治龍子。

  

 上左:帝国劇場座付女優 (田中勝代) 上右:帝国劇場座付女優 (森律子)

 上の2枚は、いずれも銀座上方屋製の絵葉書のものである。

「関屋敏子嬢独唱会」 第一回・第二回 (1925)

2012年12月04日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他
 コロラチユア ソプラノ 関屋敏子嬢独唱会  

   大正十四年 〔一九二五年〕 六月十三日(土)午後七時より 
   丸ノ内 報知講堂に於ひて 
   主催 お茶の水高女同級会 
   後援 作楽会

  関屋敏子の第一回独唱会のプログラムである。

     

 五年といふ長い月日を明暮御一緒に勉強致しました関屋敏子様を音楽家として社会に華々しく御送り致したいと云ふ私共同級生の希望から今度作楽会の御後援を得まして音楽会を催すことになりました。御承知の事とは存じますが関屋敏子様は上野の音楽学校を中途で退学なさいましたが引続いて伊太利の大声楽家サルコリー先生に師事して専ら御勉強中にてその進歩は実に天才的なのでサルコリー先生も驚いてゐらるゝ程で御座います。何卒皆様方の御援助を給り私共の希望が遂げ得られます様御願ひ申上ます。

    お茶の水高女 大正十年乙組  同窓生一同

 曲目

      コロラチユア・ソプラノ  関屋敏子嬢
      ピアノ伴奏        久米菊枝夫人
      フルート助奏       宮田清藏氏


  第一部

 一、「ソナンプラ」のアミナのアリア    ベリニ作
 二、「ボエーム」のミヽのアリア
      妾はミヽと呼ばれる、      プチニ作
 三、「リゴレット」のジルダのアリア
      美しき名よ、          ヴェルデイ作

  第二部

 四、「ジノラ」のアリア (フルート助奏) 
      影の歌、            メイエーベル作
 五、「マノン」のアリア
      さらば、            マスネー作
 六、「椿姫」のヴイオレッタのアリア
      あゝ、そは彼の人か、
          花より花に、      ヴェルデイ作

 第三部

 七、「ラクメ」のアリア
      若き印度人は何処、       ドリーブ作
 八、「ドン・パスクワーレ」ノリナの小唄
      彼の騎士を見て、        ドニゼッチ作
 九、「ロメオとジュリエット」のアリア
      永久に美しき夢に酔ひて、    グノー作

 第四部

 十、「ルイーズ」のアリア
      彼の日より、          シヤルパンチ作
 十一、プロックのバリエーション      ブロック作
      (フルート助奏)

 なお、イタリア語の表紙には、「allieva del Maestro A.SARCOLI.」とも見える。 



 コロラチユア ソプラノ 
   関屋敏子嬢独唱会  
   テノル 
    ア・サルコリー氏賛助出演
        同嬢後援会主催


  大正十四年 十月七日(水)午後七時より 
  丸ノ内 報知講堂に於て 

 関屋敏子の第二回独唱会のプログラムである。

   
 
    曲目

      コロラチユア・ソプラノ  関屋敏子嬢
      テノル独唱        アドルフオ・サルコリー氏
      ピアノ伴奏及独奏     クラレンス・デエビイス氏
      フルート助奏       宮田清藏氏


  第一部

 一、ピアノ
    Troldhangen に於ける結婚の日     グリーク作
 二、ソプラノ
    イ. 「カルメン」ミカエラのアリア
         祈りの歌          ビゼー作
    ロ. 「ボエーム」
       ミユセツタのワルツ       プチニ作
 三、テノル
    イ. 「真珠採り」第一幕漁夫
           ナジルの歌
         亦も聴えて         ビゼー作
    ロ. 「西部の娘」ジヨンソンの歌
         彼女は我を
            何と思へる      プチニ作
 四、ソプラノ
    イ. 「友達フリツツ」百姓娘スゼルの歌
           スミレの
             花束をさゝげ持ちて マスカニ作
    ロ. 「ドン・パスクワーレ」ノリナのカバチチ
           彼の騎士を見て     ドニゼツチ作
 五、ピアノ
    プレリユド(嬰ハ短調)        ラァハマニノフ作
 六、ソプラノ
    イ. 「レ・ヴイリイ」アンナのロマンツア
          忘れな草をいだきて    プチニ作
    ロ. プロツのバリエーシヨン
        (フルート助奏付)      プロツク作
 七、テノル
    イ. 「フエドラ」
         恋の歌           ジョルダーノ作
    ロ. 「蝶々夫人」ピンカートンの歌
         夢を重ねし家よさらば    プチニ作
 八、ソプラノ
    イ. 薔薇よ語れ            フランケツチ作
    ロ. 「セヴィラの理髪師」
         ロヂイナのカバチチ     ロツシイニ作
 九、ソプラノ・テノル二重唱
   「ボエーム」第一幕中より        プチニ作
     こゝ゛えし手よ…詩人ロドルフオの歌
     私の名はミミと呼ばれる…娘ミミのア
     リア、ロドルフオ及ミミの二重唱に終る

 なお、広告は「セノオ楽譜」である。

  

 〔上の写真は、『音楽グラフ』に掲載されたもの。〕

 第二回 関屋敏子嬢独唱会

  左より            フルート 宮田清藏氏                    テナー サルコリ氏
      ピアノ デビイス氏              コロラチユラソプラノ 関屋敏子嬢

 

 楽壇の花形 
  関屋敏子嬢告別独唱会
             ピアノ独奏及伴奏クラレンス・デビス氏
       時ー 〔昭和二年:一九二七年〕 十一月九日(水) 午後七時開会
       所ー 京都 岡崎公会堂ニテ  
      会員券 (A)参圓 (B)壹圓五拾銭 (学生券)壹圓  〔19.5センチ、二つ折れ〕

 第二の三浦環として、事実環以上の熱讃を浴びてゐるコロラチュラソプラノ歌手関屋敏子嬢は来月早々欧米の楽旅に上る。
 お茶の水高女を出て上野に学び後、
 転じて
 ザルコリー氏の門に入り、一昨年彗星の如く楽壇に現れた人、而も
 嘗ては
 吉住小三郎師に長唄を習つて奇才を示した彼女である。明るい眸、溢れる愛嬌、そして驚異に値する声量と其円転自在の唄ひ振!此人を欧米の楽壇へ送る事に、我等は民族的の誇を痛感する。
                                     主催 アート倶楽部
 
 曲目

       

  1. ソプラノ独唱 関屋敏子嬢
      ロメオとジユリエツト ‥‥ グノー作
  2. ピアノ独奏  クラレンス、デビス氏
      イ. メヌエツト ‥‥ モツアルト作
      ロ. ホロネーズ ‥‥ シヨパン作
  3. ソプラノ独唱 関屋敏子嬢
      イ. 薔薇よ語れ ‥‥ フランケツチ作
      ロ. からたちの花 ‥‥ 山田耕作作
      ハ. ちよいと別嬪さん ‥‥ サデロ作

       

  4. ソプラノ独唱 関屋敏子嬢
      イ. はまうた
      ロ. 裏の背戸屋 日本の民謡 ‥‥ 関屋敏子作
      ハ. のいばら
      ニ. カチズの娘 ‥‥ ドリーブ作

       

  5. ピアノ独奏 クラレンス、デビス氏
      イ. 子守歌 ‥‥ ヘラー作
      ロ. ワルツ ‥‥ シユエツト作
  6. ソプラノ独唱 関屋敏子嬢
      椿姫、(あ、そは彼の人かー花より花に) ‥‥ ヴエルヂ作

 なお、下は、裏表紙の広告である。 

  ツバメ印ニットーレコード

    関屋敏子嬢吹込 
     声楽レコード

 二二八〇番 船の船頭衆 
         赤い夕日、バラ 
 二三五八番 夜の調 
         あやめ 
 二三七七番 濱唄 
         裏の背戸屋子守唄
 二四〇二番 いたこでじま
         おばこ
 二四三〇番 バラよ語れ
         一寸別嬪さん、傘

     日東蓄音器株式会社

 

 グランド・コンサート
 
 関屋敏子嬢 コラロチュア・ソプラノ

    1927年11月22日 諏訪丸 ソーシャル・ホール

     プログラム

 Ⅰ 1.合唱 “君が代”

   2.蝶々夫人 
      ある晴れた日に … プッチーニ

 Ⅱ 3.浜歌      … 関屋敏子
   4.潮来出島    … 〃
   5.からたちの花  … 山田耕作

 Ⅲ 6.カピネラ    … ベネディクト
   7・椿姫
      あゝ、そは彼の人か、花より花に … ヴェルディ
   8.合唱 “蛍の光”

      日本郵船

 〔もとのプログラムは、日本語ではなく、すべて英語と伊太利語〕

「関屋敏子 ブロマイド・写真自叙伝」(1931.3)

2012年08月19日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他

 

 「Toshiko Sekiya」と読める関屋敏子のサイン入りブロマイドである。13センチ。

  関屋敏子女史略歴 〔関屋敏子発表会チラシより〕

 リリツク・コロラチユソプラク歌手関屋敏子女史は東京お茶の水高等女学校卒業後上野東京音楽学校に入学傍ら伊太利ア・サルコリー氏に就き教授を受く、千九百廿八年 〔昭和三年〕 一月伊太利ミラノ氏コンジネンタールーホールに於て独唱会を開催非常なる絶讃を受け同年二月フローレンス市より招かれ出演成績優秀抜群を以てレオナルド・ダビンチ芸術章を授与さる。
 同年五月世界最高の音楽大学ボロニア音楽大学校より特別卒業証書を授与されたり、西班牙國バロセロナ府に滞在三ケ月リボルノ市高等音楽院マスカニ氏よりデプロマを授与さる。
 千九百廿九年四月墺太利ウインナ府日本公使館よりソワーレに招かれ同国ミクラス大統領及楽聖リカルド・ストラウス博士等の面前に於て歌ひ非常なる讃辞を受く。
 千九百廿九年十二月帰朝東京日比谷公会堂に第一回帰朝発表会を開く。
 千九百三十一年再度の渡航に旅立つ米国経由同年一月米国加洲を初め太平洋沿岸各地に於て六十有余回の独唱会を開く。同年五月廿七日には高松宮殿下御来米にて日米大歓迎会開催に際し御前にて歌ふ。同年九月世界最大ホール・ハリウツド・ボール(四万人収容の大野外劇場)より招請に応じ出演、滞米中の尾崎行雄氏同夜来聴され「四万の人集まりて声を呑み一人の君を聞く秋なりけり」との和歌をものして送らる。
 千九百三十二年一月紐育〔ニューヨーク〕市タウン・ホールに於て独唱会開催、同年三月米国を後に大西洋を一路、伊太利歌の都へ、直ちにボロニア市第一劇場ジウゼ座より招かれて一週間出演、更らにトリノ市を初め其の他の各都市に出演。
 同年六月ミラノ音楽学校定期独唱会に招かれ出演、同年七月ミラノ城内音楽堂に於てラ、スカラ座歌手と共に定期演奏会に出演歌ふ、作曲家の証書と芸術章を共に授与される。
 千九百三十三年仏國パリーに滞在し同年四月仏國パリ日仏協会及び第一会館サラーペリイルに於て独唱会開催。
 同年英国ロンドン日英協会より招かれ独唱会を開く、同十月独逸伯林市日独協会並びに東亜協会に於て歌ふ。其の直後独逸ウーフアー映画社の招きに応じて日本を背景にした「鏡」と題する発声映画に仏語を以て出演す。
 一千九百三十四年第二回帰朝昭和九年七月東京歌舞伎座を始め全国に五十余回独唱会を開く。

 【写真自叙伝】 関屋敏子の巻 〔『サンデー毎日』 第十年 第十一号 昭和六年 〔一九三一年〕 三月八日の20-21頁〕

          
 
 その一
  六歳。幼稚園時代の私です。当時、私の家は小石川の餌差町にありました。父祐之介は郵船会社の秘書役をしてゐました。母愛子は外務省の顧問であつたリゼンドル将軍の長女です。
 その二
  七歳。父と母と一緒に寫した私の最初のプロフイルです
 その三
  八歳の私です。御茶水附属小学校時代。お稚児まげに結つて、祖父リピンドルが明治大帝から下賜の古代錦で謹製した帯をしめて撮つた、私には忘れることのできない写真です。
 その四 
  九歳。私が小学校三年生の時です。卒業式の日に、昭憲皇太后陛下が行啓遊ばされました。その時私は選ばれて唱歌を歌ひました。朗らかに晴れた日で、私は畏れ多いことですが、気高くお美しい陛下の御前で、せい一ぱいの声をはりあげて「春は来た、春は来た」外二三を歌ひました。これが大変よく出来たと皆さまからほめていただきましたので、両親が泣いて喜んでくれました。三浦環さんや小松耕輔先生に導かれて、音楽で身を立てる決心をしたのは、それから間もなくでした。
 その五
  初島田に結つて、そのころ流行のちりめんの被布を着てゐる私と妹喜美子です。私が十七歳、妹が四歳です。

           

 その六
  昭和二年〔一九二七年〕、スペインのヴァルセロナ市オリムピツク座で、リゴレットのジルダーに扮した私です。廿二歳。
 その七
  オペラの「椿姫」に扮した廿三歳の私です。これは欧州各地で、大変に好評をいただいたオペラでした。
 その八
  イタリー、ヴエニスのマリーブランザ座で満員を続けたルチアの舞台姿です、廿四歳の私、
 その九
  イタリー、ボルニア市の大富豪チエナ家の令嬢達と一緒に寫した廿五歳の私です。令嬢たちは日本キモノを着て大喜びです。美術の國イタリーでは、私の持つてまゐりましたキモノは、いたるところで評判でした。
 その十
  欧州から帰朝直後、東京慈恵会で各宮殿下台臨の御前演奏をいたしました記念撮影です。
 その十一
  現在の私廿七歳です。

 

 関屋敏子嬢 告別独唱会 曲目

  時 昭和六年 〔一九三一年〕 一月十八日午後一時 所 県公会堂(大津市三井寺●) 主催 滋賀県大津市高等女学校貞友会


  曲目

   第一部

  1.旅愁 … スコットランド民謡
  2.四葉のクローヴァ … ロイテル作
  3.夜の調べ … グノー作
  ※ 恋はやさしき野辺の花よ

   第二部

  4.カーネーション … ヴァルヴェルデ作
  5.ラ・パロマ … 
  6.アイ・アイ・アイ … スペイン民謡

       休憩

    ピアノ独奏 … デヴィス氏

   第三部

  7.蛍こい … 関屋敏子作
  8.濱うた … 同
  9.江戸子守唄 … 同
  10・野いばら … 同
  ※ 大島民謡 
   
   第四部

  11.歌劇椿姫 … ヴェルデイ作

      伴奏 クラレンス・デヴィス氏

  ※荒城の月

   
  なお。※は、鉛筆の書き込み。

   

 

 表紙には、「世界的声楽家 コロラチュア ソプラノ 関屋敏子 発表会 会場 日本映画劇場 後援 名古屋新聞社 16.4.26版」とあり、裏表紙には、「昭和十六年 〔一九四一年〕 四月廿六日 日劇ニュース 名古屋・大須・仁王門通り 日本映画劇場 編輯兼発行人 伊藤忠晴」とある。18センチ、二つ折。

 ・LIRC COLORATURA SOPRRANO  関屋敏子女史略歴〔写真もあり〕
 ・コロラチュアソプラノ 関屋敏子発表会 伴奏 宮崎斗美子(毎日三曲宛予定公演)」として18曲の作曲者名と題名のリスト
 ・同時上映の音楽映画「楽聖ベートーヴェン」の梗概

 コロラチユラソプラノ
 関屋敏子発表会
   伴奏 宮崎斗美子

   (毎日三曲宛撰定公演)

 ・グノー曲      夜の調
 ・イラジエ曲     パロマ
 ・多曲        宵待草
 ・伊太利民謡     フニクリフニクラ
 ・関屋敏子作曲    野いばら
 ・スペイン民謡    カーネーシヨン
 ・伊太利民謡     麦打ちの唄
 ・瀧作曲       荒城の月
 ・ペルシユ曲     椿姫
 ・関屋敏子作曲   江戸子守唄
 ・シユベルト作曲   セレナーデ
 ・スペイン民謡    アイアイアイ
 ・関屋敏子作曲    潮の岬
 ・スコツトランド民謡 旅愁
 ・歌劇         サタルチヤ
 ・関屋敏子作曲    裏の背土屋
 ・歌劇         ポツカチオ
 ・スコツトランド民謡 故郷の廃屋


 下は、その広告チラシである。

 

 世界的声楽家 コロラチュア・ソプラノ 
 関屋敏子 発表会 
 伴奏 宮崎斗美子 

 最高芸術の大衆への握手! 関屋敏子が最初の劇場進出! 

 26日より 毎日三回公演 グランドショウ 〔昭和16年〔一九四一年〕4月〕

 毎回三曲独唱予定曲

 26日(土) [グノー曲] 夜の調 [イラジエ曲] パロマ [関屋敏子作曲] 野いばら  
 27日(日) [関屋敏子作曲] 江戸子守唄 [伊太利民謡] フリフリフクラ [多曲] 宵待草 
 28日(月)  [伊太利民謡] 麥打ちの唄 [スペイン民謡] カーネーション [関屋敏子作曲] 潮の岬 
 29日(火) [滝作曲] 荒城の月 [シュベルト曲] セレナーデ [ペルシュ曲] 椿姫   
 30日(水) [スペイン民謡] アイアイアイ [スコットランド民謡] 旅愁 [歌劇] サンタルチヤ 
5月1日(木) [関屋敏子作曲] 裏の瀬戸屋〔背戸屋〕 [歌劇] ポツカチオ [スコットランド民謡] 故郷の廃屋 

 主催 関屋後援桜会 後援 名古屋新聞社

 表紙は、「楽聖ベートーヴェン」の〔フランス〕映画広告で、「廿六日より関屋敏子公演と同時上映の画期的音楽映画」などとある。
 裏表紙は、ショパンの「別れの曲 自四月十七日・至四月十九日 監督 ゲツア・フォン・ポルヴァリー ジャン・セルヴエ主演」「狂乱のモンテカルロ 自廿日・至四月二十二日 監督 ハンス・シュワルツ」および「23日より25日まで」「ジーグフリード マルガレーテ・シエーン ハール・ルヒター主演 思ひ出の名解説者特別解説 環耕水」などの映画の紹介および予告である。
 なお、「関屋敏子生誕100年記念特別企画展」が、平成十六年十月九日から十一月二十三日まで、福島県の「二本松市歴史資料館」で開催され、その時のパンフレットには、館所蔵の辞世和歌やオペラの扮装の写真なども掲載されている。


『歌聖 関屋敏子女史』 (1942.3)

2011年09月28日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他

 表紙には、「歌聖 関屋敏子女史」とあり、奥付には「昭和十七年 〔一九四二年〕 三月二十八日発行」とある。18.5センチ、写真3頁・序(今澤茲海・久保田榮吉)、目次、本文など230頁。函欠。
 内表紙裏には、関屋敏子の辞世の句がある。

  国宝の名をかふむりしほまれ思へば 
          わが名は我のものならずして

  現身の身は消ゆるとも永久に 
          光に生きん我名我魂
 
 口絵 〔写真 題辞4葉、関屋敏子7葉〕

・徳富蘇峰先生題辞 「其音玲瓏其人如玉」
  ・頭山満先生題辞
  ・荒木貞夫閣下題辞
  ・荒木照定猊下題辞  

  ・長唄しづはた帯一人唄ひのうしろ姿と前すがた(八歳)
  ・三浦環女史の送別演奏会の時、母のゆひ上げたチゴワで独唱(十一歳)
  ・(十四歳)
  ・初めて着た洋服は自分で作つたもの(十八歳)
  ・二十歳
  ・二十二歳
  ・二十三歳

 文中の写真

  ・御前演奏時当時の服装
  ・鶴亀と越後獅子を唄つた時
  ・母のゆひ上げたチゴワ
  ・環女史の送別演奏の時
  ・友情に篤き同級生。音楽会開催の発起人諸姉
  ・報知講堂にのステーヂに起つた女史

   

  ・母にさとされてゐる女史
  ・カヅラがなかつたから自分で髪を結つて
  ・ラ・スカラ座(主役)の「椿姫」に扱した敏子女史
  ・スペインに於けるラ・スカラ座のプリマドンナとしての女史の服装
  ・敏子女史の右ミクラス大統領、大野公使夫人
  ・右から大野公使、シュトラウス博士、敏子女史、デットヘン博士、大野夫人、関屋祐之助氏
  ・〔関屋敏子の写真・記事開催のイタリアの新聞〕
  
     

  ・帰朝歓迎会で独唱の女史
  ・トーキーに「子守唄」の歌ふ女史
  ・排日の策源地で決死演奏の女史
  ・この大ホールに日本人として出演せしは女史一人。排日のアメリカ何ものぞ。芸術をもつて四萬人を威圧す。
  ・尾崎行雄翁が女史に贈つた御詠歌

    四よろづの人集りて声を呑み一人の君を聞く夜なりけり

  ・歌舞伎座で上演せし自作の「お夏狂乱」に扮した女史
  ・訪日イタリー使節団歓迎歌を演奏する女史
  ・遠来の旧知に接して欣ぶ女史
  ・敏子女史の霊前に供へた環女史の手紙 〔色紙〕

    歌に生き うたに死につる 関屋敏子 名は傳わらん 幾千代までも  三浦環
  
  ・やさしくて女史に慕はれた乳母の松岡ナカさん
  ・日本着物で「お蝶夫人」を演ずるダルモンテ女史
  ・ようこそと外賓を劬れる関屋女史
  ・〔自ら写字した観音経の〕とびら
  ・〔同〕表紙
  ・写字の経文と手蹟
  ・恩師 〔アドルフオ・サルコリー〕 の墓前に額づく敏子女史

 目次

 ・敏子女史の生立ちと御前演奏
 ・三浦女史の懇望と輝くデビュウ
 ・天才がわざはひして音楽学校に訣別
 ・サルコリー師につき血涙の精進 
 ・更生の凱歌に栄冠輝く
 ・病床の慈母に激励され憧れのイタリーへ
 ・ブロニア大学のデイプロマを獲得し一躍世界的歌手と謳はる
 ・スカラ座の試験にパスし、マスカーニ大学のデイプロマを得る
 ・ビクターの赤盤に吹つ込み、オペラの最高殿堂のリヽコに出演
 ・晴れの帰朝と画期的な成功
 ・わが国最初の本格オペラ
 ・わが国最初のトーキー出演と、烈々たる民族意識
 ・再び渡欧し、排日の米国で日本女性の意気を昂揚
 ・高松宮殿下の御前演奏と、野外劇場に於て四万人の聴衆魅了
 ・自作の「お夏狂乱」を発表し、日本オペラの精髄を発揮
 ・盟邦イタリーに報ひる友情
 ・傷病将士慰問と一部戦線慰問巡演
 ・芳魂永遠に香ぐはし
 ・隠徳の敏子女史
 ・敏子女史の孝心
 ・熱烈なる愛国の歌手
 ・国民外交の選手としての女史、米の排日を抑ゆ
 ・日本色で世界的流行を支配す
 ・外賓を劬ふ
 ・歌魂永久に生く、揣摩憶測を止めよ
 ・女史の悲報に寄せられた追憶文、弔辞、弔文の一部
 ・敏子女史の人格
 ・敏子女史の温情

 

 関屋敏子の色紙に書かれた和歌一首である。
 なお、同じ和歌は、『世界のプリマドンナ ~その栄光の日々~』(関屋敏子生誕100年記念特別企画展 二本松歴史資料館 平成16年〔二〇〇四年〕)にもある。


「ガリクルチ女史大音楽会」 帝国劇場 (1929.4-5)

2011年07月18日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他

 
 

 アメリータ・ガリ=クルチ(AMELITA GALLIーCURCI)の帝国劇場公演の宣伝ポスターである。この公演は、昭和四年 〔一九二九年〕 四月二十六・二十八日・三十日の三日間行われた。38.5センチ。

 世界的大声楽家 ガリクルチ女史大音楽会 四月廿六日廿八日卅日 三日限 毎夕七時半開演 毎夕番組変更 世界音楽会の女王ガリクルチ女史竟に来る! 得意中の得意の歌曲を携へミ三日間限演唱!!斯の得難き機会を遁し給ふ勿れ!!! ●特権を速かに御利用あれ● 御入場料 一・二階 十円 三階席 五円 特権 来る廿五日迄にお買ひ求めに限り 一・二階を金八円に 三階席を金三円に 特定割引を致します 丸の内 帝国劇場

 

 表紙には、「世界的大声楽家 ガリクルチ女史大音楽会(三十日)番組 帝国劇場 昭和四年四月廿六日・廿八日・卅日(三回) 毎夕七時半開演 毎回辨組変更」とある。17.8センチ、三つ折れ。

 第三夜 (四月三十日・火曜日)

     コロラチュラ・ソプラノ  アメリータ・ガリクルチ〔ガリ=クルチ〕女史 
     ピアノ  ホーマー・サミュエルス氏 
     フルート ルイージ・アルベルギーニ氏

  一、a  アモロージ ミエイ ジョルニ ‥‥ ドナウディー
     b  いさゝ川           ‥‥ パラディージ
  二、歌劇『ディノラ』中の叙唱と華想調 ‥‥ マイエルベーア
  三、美しき物まね鳥(フルート助奏付) ‥‥ ビショップ
  四、a  静けき時 ‥‥ スタウブ
     b  西班牙のセレネード ‥‥ ビゼー
     c  森の静けさ  ‥‥ レーガー
     d  歌劇『リゴレット』中のジルダの歌‥ヴェルディー

             休憩

  五、ピアノ独奏(サミュエルス氏)
    a  ミヌエット ‥‥ シューバート
    b  リキ チキ テーヴィ ‥‥ スコット
    c  ポロネーズ アメリケン ‥‥ カーペンター
  六、a  雨夜の子守歌 ‥‥ ハミルトン
    b  セヴィルの小鐘 ‥‥ サミュエルス
    c   私は今日自分の仕事をやる心算だつた ‥‥ モーリー
  七、歌劇『ハムレット』中のオフィリア狂乱の場(フルート助奏付)‥トーマ

 スタインウエーピアノ使用(芝三田竹内楽器店提供)

 

 アメリータ・ガリ=クルチの帝国劇場での告別公演の宣伝ポスターである。昭和四年五月十二・十九日の二日間のようである。26.5センチ。

 世界的大声楽家 ガリクルチ女史告別大音楽会 五月十二日十九日(日曜)両日 番組変更 午後一時半開演 マチネー  売切れぬうちにお早くお求め下さい -この二回限りで愈々帰米- 何と云っても世界第一の大歌手 これをお聴きにならぬのは一生の御損 御入場料 一・二階席 金八円 三階席 金三円 丸の内 帝国劇場

 

 表紙には、「世界的大声楽家 ガリクルチ女史告別大音楽会番組 帝国劇場 昭和四年五月十二日マチネー(午後一時半開演)」とある。17.6センチ、三つ折れ。

   五月十二日番組

      コロラチュラ・ソプラノ   アメリータ・ガリクルチ女史
               ピアノ  ホーマー・サミュエルス氏
               フルート ルイージ・アルベルギーニ氏

 一、イ、君若し我れを愛し給はば      … ペルゴレーゼ
   ロ、眠りて居ませ           … ドナウディー
 二、歌劇「夢遊病の女」中のアミーナの歌  … ベルリーニ
 三、みそさざい(フルート助奏付)     … ベネディクト
 四、イ、閑居               … ヴォルフ
   ロ、ボレロ              … デリーブ
   ハ、ソルヴェイジの歌(「ペール・ギュント」の一節) … グリーク
   ニ、歌劇「セヴィルの床屋」中の音楽練習曲ー主題と変唱(フルート助奏付) … プロッホ

         休憩

 五、ピアノ独奏(サミュエルス氏)
   イ、前奏曲              … ビーチャー
   ロ、夜想曲              … グリーク
   ハ、ル プリュ ク ラント      … ドゥビュッシー
 六、イ、拉芬花 ラヴエンダー や、拉芬花!… ヂャーマン
   ロ、庭にて思へる           … サミュエルス
   ハ、愛らしき小鳥           … ブッヅィ・ペッチア
 七、歌劇「ディノラ」中の対影アリア(フルート助奏付) … マイエルベール

     スタインウエーピアノ使用(芝三田竹内楽器店提供)      

      Program

         Sunday, 12th. May, 1929

 Ⅰ.a. Se tu m`ami    ‥‥ Pergolese
   b. Dormendob stai  ‥‥ Donaudy
 Ⅱ.Come per me sereno, from “Sonnambula” ‥‥ Bellini
 Ⅲ.La Capinera (the Wren)(with flute) ‥‥ Benedict
 Ⅳ.a.Verborgenheit   ‥‥ Wolf
   b.Bolero       ‥‥ Delibes
   c.Solvejg Song, from “Peer Gynt”   ‥‥ Grieg

      INTERMISSION

 Ⅴ.a.Prelude      ‥‥ Beecher
   b.Nocturne      ‥‥ Grieg
   c.Le plus que lente ‥‥ Debussy
       Mr.Samuels
 Ⅵ.a.Who`ll buy my Lavender  ‥‥ German
   b.Garden Thoughts      ‥‥ Samuels
   c.Little Birdies   ‥‥ Buzzi-Peccia
 Ⅶ.Shadow Song, from “Dinorah”(with flute  ‥‥ Meyerbeer

   Next Recital by Madame Galli-Curci will be held on 19th. May, Matinee, changing all programs.

           Steinway Piano Used :
       Agent : Takeuchi Gakkiten, Tokyo

 下は、ガリクリチのブロマイドで、左から3枚目は「ルチアの狂乱」、4枚目は「椿姫」である。