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藤沢周『ブエノスアイレス午前零時』を読んで

2022-05-13 23:54:34 | 読んだ本
   藤沢周『ブエノスアイレス午前零時』      松山愼介
 カザマは、日本橋にある広告代理店で働いていたが、東京から故郷にユーターンして新潟と福島の県境にある、みのやホテルで働いている。実家は豆腐屋だがそれを継ぐ気はない。本文中に五泉市という言葉が出てくる。私が学生の頃、姉の夫がここに転勤になっていて、北海道から帰省する時、回り道をして五泉市に寄ったことがある。雪を被った山々が近くに見える風光明媚なところだった。
 カザマはホテルで温泉卵を作っているので、身体に硫黄の臭いが染みついている。スキー客は十キロ先の旅館に泊まる。このホテルには百十坪のコンベンションホールがある。それがこのホテルの唯一のうりで、モダンダンスを都会から踊りにくる団体客が頼りである。
 この日も神奈川からのサルビア・ダンス会がやってくる。五十人の団体だが、年配の人が多い。その中に網膜症でほとんど眼が見えない、サワタリミツコが妹に連れられてやって来る。彼女は本牧の港の専属のパンパンであったとか、眼が悪いのも梅毒のせいではないかと、噂されている。少し認知性の傾向もある。
 地名か、人名かわからないが、サン・ニコラスに「送金が遅れる」という電報を打ちたいというが、どうも過去の妄想のようである。
 カザマは踊り手が足りない時は、ダンスの相手もするのが仕事のうちらしい。物語はカザマとミツコを中心に展開する。所在なげに座っているミツコを、カザマはダンスに誘う。ミツコは「遠くから見ると、気が触れた人形作家が作った、老女の西洋人形のようにも見えた」。ダンスはタンゴである。若いときのミツコは、かなりの踊り手だったようであるが、年齢、眼のこともあり、テンポを遅らせて踊る。カザマはウォークとターンの組み合わせだけでリードしようとする。
 カザマとの会話のなかで、ミツコは本牧での、アルジェンチーナとの思い出を語る。眼が見えない状態で踊ると、真っ暗ではなく青く見えるという。ミッドナイトブルーである。ブエノスアイレスの人のことをポルテーニョといい、その親しかった男の話をする。その男は本牧のカフェから埠頭の明かりを見ると、ローチャの夜の話をする。それがミッドナイトブルーである。
 藤沢周はテレビにも出ていたので、顔はよく知っている。この作品はアストラル・ピアソラの曲『ブエノスアイレス午前零時』から着想を得たらしい。この芥川賞受賞作は、当時、読んだ覚えがあるが、内容は全く記憶していなかった。その後、彼の小説は話題に登らないので、大学教授に収まって執筆活動をしていないのかと思ったが、図書館で検索すると、コンスタントに作品を発表している。この作品ついて触れた藤沢自身の文章がある。

 確かに、文章のあちこちで噴出していた暴力や狂気が以前よりは影を潜め、パラグラフに奇妙な果実がぶら下がっているような歪つなディーテイルも少なくなった。もはや若さなるものが失せて、いよいよ中年へと傾き始めたのだろうか、とも思う。/それもまた良しではあるが、実際にはさらに毒やら狂気やら救いのない事実という奴を抱え込んで、暴発の鼓動のようなものを押さえているというのが本当のところだ。それをじっと抱いたたままいられる自分を発見したのは、個人的な意味で大きいと思っている。

 小説の方法について書いているのだが、カザマの心の内を語っているようでもある。狂気を抱え込んで、その暴発を抑え込んでいるというところである。この藤沢独特の感覚が評価されたのであろう。他に少し短編等を読んだが、古典や武道にも造詣が深かそうで、なかなか興味深い作品も多かった。
                           2022年1月8日

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