長谷川四郎『シベリヤ物語』 松山愼介
学生時代からソ連のスターリン主義を如何に克服すべきかを考えていたので、シベリヤ抑留については興味があった。ちょうど大学に入学した一九六七年に内村剛介の『生き急ぐ―スターリン獄の日本人』が出版された。ソルジェニーツィンの『イワン・デニソービッチの一日』は一九六〇年代半ばに出版されており、一九七〇年代半ばには『収容所群島』が話題になった。他にも香月泰男の絵や石原吉郎の詩があり、ちょっと変わったところでは胡桃沢耕史の『黒パン俘虜記』があった。たが長谷川四郎については『シベリヤ物語』が手に入りにくかったのか、そう話題にはならなかった。
この会にいた、山本さんにも抑留生活の話を聞いたし、作品も読んだ。また知り合いの父親が数年前に亡くなったが、彼もシベリヤ抑留者だった。陸軍幼年学校出身でパイロットを目指したが日本国内の制空権は失われていたので、訓練を受けるため満州に渡ったのだが、そこで敗戦をむかえシベリヤへ抑留された。最も輝くべき青春の数年間をシベリヤで過ごすことになった彼は、シベリヤを思い出すので雪が怖かったらしい。
シベリヤ抑留といえば山崎豊子の『不毛地帯』(一九七六年)とその映画(監督山本薩夫、主演仲代達矢)があまりにも有名である。二〇〇九年には唐沢寿明主演でドラマ化され、エンディング曲のトム・ウェイツの「トム・トラバーツ・ブルース」が話題になった。極寒のシベリヤでまともな食事も与えられず重労働させられ、日本人抑留者がバタバタと死んでいったという『不毛地帯』のイメージに比べると、この長谷川四郎の『シベリヤ物語』は過酷ではあるが、息を抜けるところがある。これは長谷川四郎が意識して、苦痛な場面を書かないように心がけたのであろう。『掃除人』では作業中、ソ連兵に監視されることなく、民間人の家に入って暖をとったりしている。凍ったゴミ穴を突き崩して、中身を掘り出すのだが、それを二輪車で集めに来るヴィクトルはハホール(ウクライナ人)であった。ドイツのソ連侵攻は石油とウクライナの穀倉地帯が目的だったといわれているが、彼はドイツに占領された時はドイツにこき使われ、ドイツの敗北後はナチ協力者としてシベリヤ送りになったのであろう。ある民間人の家には老婆がいて、彼女の娘は配給切符の不正(?)から二年間の監獄送りとなっているという。
私は『不毛地帯』のイメージが強力だったので、この『シベリヤ物語』の話はひょっとすると、ソ連兵の監視のもとでの護送途中、町並みやそこに行き交う人々を見ての空想かもしれないと思った。だが、自らの父もシベリヤ帰りであった天沢退二郎の解説(講談社文芸文庫)によれば「当時のソ連は日本人捕虜の大群を多種多様な仕事のための格安な労働力として、きわめて有効に利用した」ことが、ペレストロイカの結果、ソ連側の資料で明らかになっているらしい。それでも不信で小川護『私のシベリヤ物語』(光人社NF文庫)を読むと、場所や条件によって、楽な(?)作業現場もあったらしい。現場監督の性格もあるし、作業に慣れてくれば、午前午後各二時間くらいで百パーセントのノルマを達成できる現場もあったらしい。食料も運良く炊事班に配属されれば、いいものを食べることは出来なくても、餓えることはなかったという。またこの小川護の場合は若いソ連の女性の囚人とペアになっての作業もあり、性行為を迫られたという。彼は軍医から女性の囚人はひどい性病を持っていると脅かされていたので、行為に及ぶことはなく、食料が十分でないので、肉体的にその状態にならないと嘘をついて何回も黒パンを持ってこさせただけで、最終的には逃げ出している。
映画のカメラマンでもある長谷川四郎の長男、長谷川元吉の『父・長谷川四郎の謎』(二〇〇二年 草思社)は父・長谷川四郎はソ連と日本のダブルスパイであったかも知れないというトンデモ本だが、長谷川四郎は「その時のぼくは、シベリアに持っていかれたかったほうなんだ。革命のロシアをちょっと見たい気もしたし、社会主義体制がどんなものか知りたかった。そう、みんなは日本へ帰りたいと思っているんだ。でも全部が全部そうじゃない。シベリアへ行く、それならそうでいいよ。そういうところもあった」と『自由人漂流記』に書いているという。
五味川純平の『人間の条件』でも主人公の梶は、共産党にシンパシーを持っている。そのためソ連の赤軍というのは革命の規律による、立派な軍隊だと幻想を抱いている。ところが、実際のソビエト兵は満州でレイプ、略奪の限りを尽くした。囚人部隊が居たからという説もあるが、戦争とはこんなものだろう。長谷川四郎もなんらかの意味で共産党に幻想をもっていたため、甘んじてシベリヤ送りを受け入れた。また。この本では「関東軍がシベリアを占領したとき、その占領地のどこかの司政官を約束されていた」のではないかとも推理している。その贖罪感のあったのかもしれない。ともあれ長谷川四郎にこのような独自のシベリヤへの想いがあったからこそ『シベリヤ物語』は被害者の視点で抑留生活をえがくのではなく、シベリヤに住んでいる人の視点をも持った作品となったのではないだろうか。ただ自分のソ連に対する幻想が、シベリヤでの過酷な強制労働によって、どのように変化していったかは記されていない。
なお『勲章』に出てくる共産党幹部タカクラテルは男性である。ロシアも正しくは「ロシヤ」である。「Я」という文字が使われる。
2015年3月14日
学生時代からソ連のスターリン主義を如何に克服すべきかを考えていたので、シベリヤ抑留については興味があった。ちょうど大学に入学した一九六七年に内村剛介の『生き急ぐ―スターリン獄の日本人』が出版された。ソルジェニーツィンの『イワン・デニソービッチの一日』は一九六〇年代半ばに出版されており、一九七〇年代半ばには『収容所群島』が話題になった。他にも香月泰男の絵や石原吉郎の詩があり、ちょっと変わったところでは胡桃沢耕史の『黒パン俘虜記』があった。たが長谷川四郎については『シベリヤ物語』が手に入りにくかったのか、そう話題にはならなかった。
この会にいた、山本さんにも抑留生活の話を聞いたし、作品も読んだ。また知り合いの父親が数年前に亡くなったが、彼もシベリヤ抑留者だった。陸軍幼年学校出身でパイロットを目指したが日本国内の制空権は失われていたので、訓練を受けるため満州に渡ったのだが、そこで敗戦をむかえシベリヤへ抑留された。最も輝くべき青春の数年間をシベリヤで過ごすことになった彼は、シベリヤを思い出すので雪が怖かったらしい。
シベリヤ抑留といえば山崎豊子の『不毛地帯』(一九七六年)とその映画(監督山本薩夫、主演仲代達矢)があまりにも有名である。二〇〇九年には唐沢寿明主演でドラマ化され、エンディング曲のトム・ウェイツの「トム・トラバーツ・ブルース」が話題になった。極寒のシベリヤでまともな食事も与えられず重労働させられ、日本人抑留者がバタバタと死んでいったという『不毛地帯』のイメージに比べると、この長谷川四郎の『シベリヤ物語』は過酷ではあるが、息を抜けるところがある。これは長谷川四郎が意識して、苦痛な場面を書かないように心がけたのであろう。『掃除人』では作業中、ソ連兵に監視されることなく、民間人の家に入って暖をとったりしている。凍ったゴミ穴を突き崩して、中身を掘り出すのだが、それを二輪車で集めに来るヴィクトルはハホール(ウクライナ人)であった。ドイツのソ連侵攻は石油とウクライナの穀倉地帯が目的だったといわれているが、彼はドイツに占領された時はドイツにこき使われ、ドイツの敗北後はナチ協力者としてシベリヤ送りになったのであろう。ある民間人の家には老婆がいて、彼女の娘は配給切符の不正(?)から二年間の監獄送りとなっているという。
私は『不毛地帯』のイメージが強力だったので、この『シベリヤ物語』の話はひょっとすると、ソ連兵の監視のもとでの護送途中、町並みやそこに行き交う人々を見ての空想かもしれないと思った。だが、自らの父もシベリヤ帰りであった天沢退二郎の解説(講談社文芸文庫)によれば「当時のソ連は日本人捕虜の大群を多種多様な仕事のための格安な労働力として、きわめて有効に利用した」ことが、ペレストロイカの結果、ソ連側の資料で明らかになっているらしい。それでも不信で小川護『私のシベリヤ物語』(光人社NF文庫)を読むと、場所や条件によって、楽な(?)作業現場もあったらしい。現場監督の性格もあるし、作業に慣れてくれば、午前午後各二時間くらいで百パーセントのノルマを達成できる現場もあったらしい。食料も運良く炊事班に配属されれば、いいものを食べることは出来なくても、餓えることはなかったという。またこの小川護の場合は若いソ連の女性の囚人とペアになっての作業もあり、性行為を迫られたという。彼は軍医から女性の囚人はひどい性病を持っていると脅かされていたので、行為に及ぶことはなく、食料が十分でないので、肉体的にその状態にならないと嘘をついて何回も黒パンを持ってこさせただけで、最終的には逃げ出している。
映画のカメラマンでもある長谷川四郎の長男、長谷川元吉の『父・長谷川四郎の謎』(二〇〇二年 草思社)は父・長谷川四郎はソ連と日本のダブルスパイであったかも知れないというトンデモ本だが、長谷川四郎は「その時のぼくは、シベリアに持っていかれたかったほうなんだ。革命のロシアをちょっと見たい気もしたし、社会主義体制がどんなものか知りたかった。そう、みんなは日本へ帰りたいと思っているんだ。でも全部が全部そうじゃない。シベリアへ行く、それならそうでいいよ。そういうところもあった」と『自由人漂流記』に書いているという。
五味川純平の『人間の条件』でも主人公の梶は、共産党にシンパシーを持っている。そのためソ連の赤軍というのは革命の規律による、立派な軍隊だと幻想を抱いている。ところが、実際のソビエト兵は満州でレイプ、略奪の限りを尽くした。囚人部隊が居たからという説もあるが、戦争とはこんなものだろう。長谷川四郎もなんらかの意味で共産党に幻想をもっていたため、甘んじてシベリヤ送りを受け入れた。また。この本では「関東軍がシベリアを占領したとき、その占領地のどこかの司政官を約束されていた」のではないかとも推理している。その贖罪感のあったのかもしれない。ともあれ長谷川四郎にこのような独自のシベリヤへの想いがあったからこそ『シベリヤ物語』は被害者の視点で抑留生活をえがくのではなく、シベリヤに住んでいる人の視点をも持った作品となったのではないだろうか。ただ自分のソ連に対する幻想が、シベリヤでの過酷な強制労働によって、どのように変化していったかは記されていない。
なお『勲章』に出てくる共産党幹部タカクラテルは男性である。ロシアも正しくは「ロシヤ」である。「Я」という文字が使われる。
2015年3月14日
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