遠くまで・・・    松山愼介のブログ   

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
読書会に参加しているので、読んだ本の事を書いていきたいと思います。

瀬戸内晴美『美は乱調にあり』を読んで

2018-01-07 16:20:45 | 読んだ本
      瀬戸内晴美『美は乱調にあり』           松山愼介
『美は乱調にあり』は一九六九年に角川文庫から出版され、その後、角川学芸出版から二〇一〇年に継続出版された。今年になって岩波現代文庫から『美は乱調にあり 伊藤野枝と大杉栄』と『諧調は偽りなり上・下』が出版されたが、この岩波現代文庫版は最寄りの図書館には入っていなかった。角川学芸出版から『the 寂聴』というムックが出ていて、この10号が「米寿祝い特別号」で「美は乱調にあり」を特集していて参考になった。書かれた時期からいえば『美は乱調にあり』は出家前なので瀬戸内晴美作ということになる。
 私は『瀬戸内寂聴全集 拾弐』で二作とも読んだが、この「解説」で寂聴は『美は乱調にあり』に野枝と大杉の最期まで書くつもりであったが、伊藤野枝、大杉栄、橘宗一の死因と憲兵甘粕正彦の関係に納得できなかったため、日陰の茶屋事件で筆を置いたと書いている。一九七六年八月の「朝日新聞」に大杉たち三人の「死因鑑定書」の写しが掲載され、続きが書けると確信したそうである。
 私は三〇年程前にこの作品を読んではいたが、伊藤野枝、大杉栄、辻潤の名前を覚えただけで、彼らの本を読むことはなかった。今回、読み返してみても伊藤野枝という女性に、特に惹かれるものはなかった。神近市子の「野枝さんは、臭い人でしたよ」、「体臭がね、何だか風呂に入っていないみたいな。いつもだらしない野暮ったい着付けで……」という発言や、辻潤の「たいして美人という方ではなく、色が浅黒く、服装はいつも薄汚く、女のみだしなみを人並み以上に欠いていた」というのが伊藤野枝の実像に近いのであろう。ところが、このような野性的魅力が男を惹きつけたのであろうし、瀬戸内晴美も出奔した若い頃の自分の像を野枝に重ねたのだと思われる。「青鞜」を平塚らいてうから引き継ぐのだが、伊藤野枝には荷が重かったようである。平塚らいてうも、新しい女といいながら家事は全くできなかったということだ。
 伊藤野枝は大杉栄に出会って、辻潤の下を去り、大杉栄と同棲状態になる。このとき大杉栄は妻・堀和子、神近市子とも関係があり、苦しまぎれに「フリーラヴ」という大杉栄にとって都合のいい理論を提唱する。神近市子も新しい女という姿勢を見せなければならないので、この理論に応ずるが、結果的には金銭的に大杉と野枝の生活を支えるダシになったに過ぎなかった。それが昂じて大杉栄の首を短刀で刺すのだが、首を刺されて助かるというのは大杉栄の悪運が強いのか、神近市子に殺意がなかったからであろう。彼女は従姉の子の援助でピストルを入手したが、青山墓地で試し撃ちしたところ、その音響に恐れをなし使う気になれなかったと告白している。この事件を大杉は「お化けを見た話」で、神近市子は「許して下さい」と叫びながら逃げ出したので、「待て」と彼女に声をかけ取り押さえようとしたと書いている。神近市子は「豚に投げた真珠」で、眼を覚ました大杉は傷口に手をあて、血がでているのに気づくと「ウワーッー」という「魂の底から絞り出すような驚愕と悲しみの声を挙げ、つづいて大声で泣き出した」と書いていて、寂聴もどちらが本当かはわからないとしている。どちらにしても、このようなことを雑誌に発表すること自体が信じられない。
『諧調は偽りなり』には、労働者の吉田一がアナーキズムからボリシェヴィキへ、そしてその協同戦線を目指すとしたり、高尾半兵衛が共産党に入党しつつ、必要悪のボルシェヴィズムを通してアナーキズム社会を目指すとしている。また大杉栄がフランス語訳の『バクーニン全集』を一九二二年に手に入れているとか、エマ・ゴールドマンの『ボルシェヴィキの圧政』という本を紹介しており、伊藤野枝を離れて、当時のアナーキズムとボルシェヴィキの対立を含む、運動の歴史をえがくことに力が入れられている。
 三人の虐殺事件については、甘粕自身が手を下したかは不明だとしながらも、軍の上層部から大杉を殺せという指示があり、拷問のすえ殺したらしい。佐野眞一の『甘粕正彦 乱心の曠野』では甘粕正彦が直接、手を下していないとしても、陸軍幼年学校に入学しながらも放校になった大杉栄に個人的に恨みを抱いており、足の怪我で歩兵になれず、一段下にみられる憲兵にならざるを得なかった甘粕正彦のコンプレックスが影響したのではないかと書いている。
                     2017年9月9日

最新の画像もっと見る

コメントを投稿