今回、最終回を迎えるにあたって以前の記事を振り返り気づいたことがあります。
第3回目以降の題名が「周年行事に作成した社会科副読本」に変わっていたのです!
そもそも副読本の作成は、創立50周年「記念事業」として行われたものです。
それで、当初は「周年記念…」ということで紹介を始めたわけですが、いつのまにか「周年行事…」と変わってしまったのは、長年の教員生活で授業以外の余計な負担だった学校行事のことが頭の中にあったからだと思います。
しかし、この50周年記念の冊子は今でも「作って良かった!」と心底から思います。
例えそれが、私の嫌いな学校「行事」の中でのことであっても…。
編集後記の最後に、私は次のように書きました。
「完成してみると、まだまだ不十分な面が残されている思いにかられますが、ちょうど50年の節目に梅若小半世紀の蓄積と多くの方々の力の結集をささやかながらも足跡として刻みこめた喜びを感じております。」
この冊子は、その後の60周年にも記念事業として改訂版が作成されました。
その本編は50周年版を生かしてくれた部分改定になっています。
そして画期的なのは、巻末に地域に残る昔話『隅田川物語』が新たに追加されたことです。
これは、学校名の由来でもある「梅若丸」にまつわるものです。
この記念誌を作成した教員たちは、奇しくもその後の親友でもあります。
さらに驚くことに、その後の「70周年」でもこの副読本が継承されて改訂されたとのことです。
機会があれば、是非とも学校を訪ねてみたいと思います。
因みに梅若小学校はその後、一度は新設された堤小学校と分かれましたが、2011年に堤小学校と統合され、新たな「梅若小学校」として生まれ変わりました。
私はこの副読本作成の際に何人かの方々から聞き取りを行いましたが、その中でも強く印象に残っている話があります。
それは、「関東大震災」にまつわる話です。
この件については、後日あらためて報告させていただきます。
-s.s-
第3回目以降の題名が「周年行事に作成した社会科副読本」に変わっていたのです!
そもそも副読本の作成は、創立50周年「記念事業」として行われたものです。
それで、当初は「周年記念…」ということで紹介を始めたわけですが、いつのまにか「周年行事…」と変わってしまったのは、長年の教員生活で授業以外の余計な負担だった学校行事のことが頭の中にあったからだと思います。
しかし、この50周年記念の冊子は今でも「作って良かった!」と心底から思います。
例えそれが、私の嫌いな学校「行事」の中でのことであっても…。
編集後記の最後に、私は次のように書きました。
「完成してみると、まだまだ不十分な面が残されている思いにかられますが、ちょうど50年の節目に梅若小半世紀の蓄積と多くの方々の力の結集をささやかながらも足跡として刻みこめた喜びを感じております。」
この冊子は、その後の60周年にも記念事業として改訂版が作成されました。
その本編は50周年版を生かしてくれた部分改定になっています。
そして画期的なのは、巻末に地域に残る昔話『隅田川物語』が新たに追加されたことです。
これは、学校名の由来でもある「梅若丸」にまつわるものです。
この記念誌を作成した教員たちは、奇しくもその後の親友でもあります。
さらに驚くことに、その後の「70周年」でもこの副読本が継承されて改訂されたとのことです。
機会があれば、是非とも学校を訪ねてみたいと思います。
因みに梅若小学校はその後、一度は新設された堤小学校と分かれましたが、2011年に堤小学校と統合され、新たな「梅若小学校」として生まれ変わりました。
私はこの副読本作成の際に何人かの方々から聞き取りを行いましたが、その中でも強く印象に残っている話があります。
それは、「関東大震災」にまつわる話です。
この件については、後日あらためて報告させていただきます。
-s.s-