日本人としてのアレ。

通りすがりで会ったなら、その出会いを大切にしたい

『もぐら』

2016-01-02 | 考え事
何歳になっても、挑戦、やりたい事をやるべきだ。

なんて言ってる奴は、人間が1500年でも生きられるとでも思っているんだろうか?


人間が、だいたい自由に生きられるのは50年位だろう。

50を過ぎても生きてはいるけれど、どうせ健康じゃない。


70過ぎて、世界最高の山に登るようなチャレンジャーもいるけれど、それも結局、一人じゃ出来ない。


色々とお金を出してくれたり、肉体的なサポートをしてくれる人々の支えによって成り立っていて、


決して、一人の挑戦ではなく、その裏には『老人を山頂まで届ける』と言う若き挑戦が同時に遂行されていたりする。



結局、人間は一人で生きられないし、一人だと【何かに挑戦する意味がない】様な気もする。


見てくれる、・・・、いや、見守ってくれる人達のおかげで『挑戦する意味が発生する』って感じだろうか?



ただ一人、孤独と戦う

と、言う事と

孤独と戦っている姿を皆に見せる、と言うのは、決定的に何かが違う。




誰かに『見せる』と言う事は、評価される、されたい、という承認欲求の根源みたいなもので、

どこか、『自分の凄さ』を押し付けたい願望が、破裂した結果なのかな?とも思う。



本当に、何かに挑戦したければ、一人でやるのが『すじ』だし

男としても、それで死んだなら、死んだ後で評価されればいい、はず。




後世に何かを残したい、ってのも僕はウゼーと思う。

何かを残したいと思って、残されたものって、『どうせ』の一言で片付ける奴が出てくるから。



好きに生きただけで、特に何もしてないけど残っちゃったよ・・・ってのが僕の理想。



僕は、中途半端な人間で、自分で定めたゴール地点も「何かの途中」だったりする事が多い。




とどのつまり、人間が『何かを極める事』なんか無理な話し、と言う【職人魂】に気付いてしまったのが原因かも知れない。



酔った勢い、若気の至りで、自分が一番だぁ!!!と錆び付いた刀で田舎道の空を斬ったつもりでいられるなら、幸せかもしれない。


けれども、

人間って言うのは、『自分の信じた道』を行けば行くほど、行き止まりを知らず。





勝手に、その先を期待して、探し出し、自分は到達できていない部分があると勝手に確信する。




まぁ、それは「芸道」を歩む者の自己快楽物質がある場所なので、こういう記事読んで、『はぁ?何言ってんの?』って人には到底理解できない。






前を見れば見るほど、先が見えない。

後ろの僕は、無表情だけれど、のんきに僕に手を振っている



まるで、「お前は大丈夫だよ」と言っている様だ。



過去の自分を信じるしかない。


自分のやってきた事以外、信じられるものなんかない。


ふと現れた人脈や、愛せると誓える異性なんか、僕は絶対に、信じない。



僕は、自分のやってきた事全てを受け入れて、肯定して、自分を信じる。










ここは宇宙、上下左右なんて感覚は、とっくの昔になくしてしまった。


ただ、前進。

いつか暗闇に亀裂を入れるまで。