斎藤秀俊の眼

科学技術分野と水難救助、あるいは社会全般に関する様々な事象を一個人の眼で吟味していきます。

宇部高専訪問4

2012年01月27日 21時38分56秒 | 高専訪問記
宇部高専は、全国の国立高専の中で2番目にコンパクトな敷地を有する高専です。そのため、建物の配置に無駄がなく、整然とした印象です。すっきりしていますね。


ここを通りまして、実習工場に向かいました。
たいへんきれいな実習工場で、この日はたいへん寒かったのですが、中はぽかぽかでした。明かりとりが天井についてて、明るい環境でした。


その中に新しいNC工作機械がいくつかありましたが、やはり高専の実習工場といえば、機械をどこまで大事に使うか、そういう教育をきちんとしているかという観点で見なければなりません。自分の使う道具に愛情、愛着をもってとことん使いこなす、これが技術者のプロフェッショナル精神です。

たとえば歯切盤です。東京機械製作所昭和38年製造です。


いまでも実習で使っています。使い終わったらきちんと掃除をしていますので、とても美しい状態にあります。このほかにもいくつか昭和38年、45年といった時代から大事に引き継がれている機械がありました。

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宇部高専訪問3

2012年01月27日 21時27分29秒 | 高専訪問記
宇部高専の正面玄関に黒づくめの機械がおいてありました。見た感じ、卒業研究で製作したのだろうという機械です。


これは「タッチパネルを用いた学内検索システム」です。教員を探すか、部屋を探すか、選びます。


目標となる教員室が赤で示されました。私の知り合いのH先生の部屋です。


プリントアウトして、その紙を見ながら目標の先生に会いに行けるわけです。スムーズに操作できるのでスピーディーでした。たいへん優れた操作性能です。他の高専にはない、宇部高専の自慢の機械だと思います。


機械の影に、説明のためのパネルがそっと置いてありました。せっかくだから、機械を操作しながら見える位置にパネルを飾ると良いですね。


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宇部高専訪問2

2012年01月27日 06時04分11秒 | 高専訪問記
全国の高専の建物の作り方にはいろいろあります。宇部高専は正門から学生入り口、事務局入り口までが近い高専のひとつです。


昭和36年からの建物です。廊下に面した窓が木枠です。ところが、この木枠ですがきれいにペンキが塗ってあって、壊れた箇所もないし、掃除がきちんとされています。廊下も磨き上げられていて光っています。歴史の美しさを感じる高専です。
 

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宇部高専訪問1

2012年01月27日 04時49分15秒 | 高専訪問記
宇部高専にお邪魔しています。山口県宇部市にありまして、まさに地元の工業地帯を中心に優れた技術者を輩出してきています。まず、福政修校長先生、杉本信行副校長先生、村田正一事務部長の皆さんと挨拶しまして、最初に宇部高専の概要をお聞きしました。

宇部高専は、昭和37年に開校した高専です。昭和37年とは国立高専が初めて12校開校した年で、第1期開校高専とよく呼ばれます。

ここまでは、よく知っていました。今日は、ここで、あれ?と思うことがあり、そこから当時のたいへんさを学ぶことになりました。

初代校長 田中晃先生 在任期間は昭和37年4月1日 一日だけ
昭和36年4月1日 宇部工業短期大学 設置
昭和37年4月1日 宇部工業高等専門学校 開校

なにがあったと思いますか?
高専の設立が決まったのは昭和36年6月17日学校教育法の一部を改正する法律(昭和36年法律第144号)施行からです。宇部短大は当時の文部省が高専設立を待ちきれずに設立を促した短大で、先に短大ができてすぐに高専に代わったということになります。

田中晃先生は、当時山口大学の学長で、学長職にありながら、短大と高専の開設に貢献されたのです。そもそも山口大学併設短大の構想だったのが、宇部市の援助で独立短大となり、1年で高専に変わるわけですから、田中晃先生にとってみれば青天の霹靂、抜けるに抜けられない状況でやりぬくしか選択肢がなかったのではないでしょうか。

短大設置決定とともに教員を集め、昭和36年4月に学生募集要項を発表、5月21日に入学試験、6月2日に入学式、6月17日に国会で高専設立が決まり、ただちに教員探しが始まり、入学試験敢行。定員120名のところに2700名の受験者があり、試験会場探しで苦労したとのこと、監督はどうしたのか、心配になるくらいの人数です。昭和37年4月1日に設置されて、4月20日に開校式、入学式を迎えました。もちろん、最初の短大学生も教育して短大生として卒業させたわけです。

これを知って、来年迎える高専50周年の記念の意味あいが私の中で大きく変わりました。この流れの源流をたった数ヶ月でいっきに作り上げた人々がいたからこそ今があるのであって、その当時の努力、思いを今、きちんとつないでいるか検証の必要な時期にあるのだという認識にいたりました。

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