令和二年一月二日。
同級生の松岡健(以下松ちゃん)が亡くなった。
そして、お通夜、告別式に参列させてもらい松ちゃんを見送ることができました。

松ちゃんの遺影です。
かっこええやんと密かに思ってます。
二日間ともに、沢山の参列者でした。
そして、友達の久しぶりの顔ぶれを見られた。場が場だけに、がっつりと握手をするだけやったけど、会えたことが嬉しかった。それぞれに、それぞれの手の感触があり、その感触から、それぞれにそれぞれの生活を生きていると思った。
友達がいたから?
なぜか・・・涙を流すことはありませんでした。僕の脳が「死」の受け入れを拒否してるのかな?
松ちゃんの大好きな曲がガンガン流れる葬儀場。こんな葬儀は初体験。そして、香典返しの中に添えられた喪主様からのメッセージも僕の心に届きました。
一部ではありますが載せようと思います。
それは、このような文面を見たのは、初めてということと松ちゃんを思うご家族の気持ちが一杯詰まっているように思えたからです。
「音楽を愛し、人を愛した生涯でした」
とにかく音楽が好きで、ギターが大好きな子でした。
職人の道に夢を見いだしアメリカで学び、帰国後「ギター工房デイリートーンギターズ」を開きました。
音楽を愛する皆様のお手伝いができることを、息子はとても喜んでいたはずです。
ただ“商売人”にはなれなかったのが、優しいあの子らしいと感じています。
私達の心には、沢山の面影があります。
皆様のもとには息子が携わったギターや、共に紡いだ思い出があるでしょう。これからも息子は色んな形で生き続ける、それが何よりの慰めです。
次男松岡健は、令和二年一月二日、四十七歳にて生涯をとじました。息子を愛してくださったすべての方へ、深く感謝申し上げます。
京都の片隅の工房に一生懸命頑張った職人がひとりいた、そのことを覚えていてくださるなら嬉しい限りです。
素直に言います。
松ちゃんに出会えて良かったと思う。
くそーー!今頃、涙が出てきた。
くそーー!止まらんくらいに出てきよる。
棺に横たわる松ちゃんに花を手向けた。
その時、僕は松ちゃんに声に出して言った。
また、俺と出会ってくれ。
って。
そして、出棺の時も、
お世話になりました。
ありがとう!
と声にした。
松ちゃんが以前言うてくれました。
“やっしー。ベース続けや”って。
僕の返事は、
続けられるように、頑張る!
みててや!
です。
くそーー!涙がとまらん。
法名 釋浄健。
心からご冥福をお祈りします。
今まで自分の所有するベースをリペアに出したのは、他の業者さんも含めその一度きりなのですが、つい最近、86年製のリッケンバッカーベースを手に入れまして、あまり状態がよくないのでリペアに出そうと思い、ふとデイリートーンギターズのことを思い出してネットで検索し、まさか松岡さんがお亡くなりになられてるとは思ってもいませんでした。
記事を読ませていただき、涙が溢れてきました。松岡さんとは二回しかお会いしてませんが、私と年齢がほぼ同じこともあり、お人柄をすぐに理解できたからでしょう。温和で物腰が柔らかく、やさしさに満ちてました。あれからずっと一人でがんばってこられたのですね。本当に立派な方です。
でも、もう松岡さんに会えないなんて。いくらなんでも早すぎます。
松ちゃんの記事にコメントをいただき、ありがとうございます。
松ちゃんは、今もなお、必要とされてるんやなぁーって思うと、同級生として嬉しくもあり、寂しくもあります。
僕の手元には、松ちゃんがメンテナンスしてくれたベースたちがあり、今も現役で活躍してくれています。そして、そこには、生きた証が残っています。これを書いてる今でも、しゃべり方や声のトーン、身振り手振り、照れながら笑う姿などが鮮明に浮かんできます。
松ちゃん。
橋本さんからコメント、もらったで!
きっと。ニヤニヤして落ち着く感じもなく(笑)ギターさわってると思います。
橋本さん。ありがとうございました。
sammyさんのブログを読むだけでも、いかに松岡さんがご家族や親しい方たちから愛されていたのかが十分に伝わってきます。松岡さんのことをお知らせいただき、本当にありがとうございました。
余談ですがsammyさん、腰痛がかなり深刻なようで。
たまたまネットで見つけたのですが、このような動画があります。
↓↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=1ZPc7eNLoVE
(この動画が第1回目で、4回ほど続きます)
片山賢さんという方で、内容がかなり斬新でしたので興味を持ちました。ただ私自身は特に身体に痛いところがなく、この方に指導を受けたり、自分で実践して改善できたわけではありません。宣伝や勧誘でもございませんのでご安心を(笑)。
ご参考までに。
お気遣い。ありがとうございます!
そして、
ブログを読んでいただき、ありがとうございましたm(_ _)m
はじめまして三谷と申します。
デイリートーンにギター修理を依頼したままの者です。
松岡さんが亡くなっていたとは思いませんでした。
謹んでご冥福をお祈りします。
さて、デイリートーンに預けてある自分のギターを引き取りたいのですが、ご家族なり、誰か関係者と連絡を取る方法はありますでしょうか?
はじめまして。コメントへの返信遅くなり申し訳ありません。三谷さんの記載内容についてですが、こちらではわからないんです(^_^;)お役に立てなくて申し訳ありませんが、よろしくお願いいたしますm(_ _)m
ご返事ありがとうございました。
デイリートーンの店舗をお貸ししていた大家さんと連絡が取れそうなので、そちらに聞いてみます。
松岡さんは、直接お会いしたことはありませんでしたが、お電話で何回も話をさせて頂きました。
とても優しいお人柄で、丁寧なお仕事をされ、しかも商売気がなく、本当に安価で完成度の高いリペアして頂きました。
今回リペアに出したものとは別に松岡さんにリペアして頂いたギターが我が家にあります。
時々ギターを奏でながら、松岡さんを偲びたいと思います。
謹んでご冥福をお祈りします。
突然のコメント失礼します。
数日前に、何気に松岡さんのことを思い出し、Googleで松岡さんのことを検索してたら、SAMMYさんのブログに辿り着き、松岡さんが2年も前に亡くなっていたということを知り、とてもショックを受けました。
それからこの数日間、仕事の合間に、松岡さんのことを思い起こす日々でした。何で会いに行かなかったんだろうと、後悔の気持ちが強いです。
私は、松岡さんが24歳の時に知り合いました。私は20歳の大学生で、バイト先で知り合いました。東本願寺の前にある、仏教図書の出版社でした。
松岡さんは、アリゾナ大学での語学留学という一度目の渡米を終え、京都に帰ってこられてた頃でした。また再び渡米し、アリゾナにある楽器作りの専門学校に行くための資金稼ぎという目的を持っておられました。
ちょうどこの先の将来のことを考えている時期だった私にとって、とても刺激的な出会いでした。
ただ少し人見知りのある感じだった松岡さんは、周りとゆっくりと打ち解けていってる感じでしたが、私は大学が同じということが発覚し、急展開で仲良くさせて頂いたのを覚えてます。
それから、私が大学を卒業するまでの2年間、ほぼ毎日バイト先で顔を合わせ、人生のこと、この先のこと、たくさんのことを語り合いましたし、教えて頂きました。
初めてライブハウスに連れて行ってもらったこと、朝までクラブで夜通し飲んで踊ったこと、岐阜の田舎から出てきた私に、いつも「なんや、行ったことないんかいな。じゃ行っとこか。」と、色々なイベントに一緒に遊びに行かせてもらったことを思い出します。1度松岡さんのバンドも見に行かせてもらい、楽屋にも入れてもらったこともいい思い出です。
お互いの恋愛も、始まりから終わりまで逐次出来事を共有しました。バイトの昼ご飯休憩によく話しました。松岡さんの恋愛はいつも甘酸っぱかったです。20年も前のことなのに、様々なエピソードが鮮明に甦ってきます。
すみません、つれづれと思い出すままに書かせてもらって。
何より私が感謝してるのは、社会に出る前の多感な時期に、松岡さんと出会えたことです。よく2人で飲みに行かして頂き、ギター職人の道を進むか、就職するか、等身大の惑い、葛藤も見せて頂きましたし、私の将来不安にも親身に相談に乗って頂きました。
ある時、松岡さんが「実は、お金はもうとっくの昔に貯まってて、ただ今の生活が心地よくて、踏ん切りつかんかってん。でも、このままじゃあかんと思って…。やっぱ行ってくるわ。」と、二度目の渡米を決意された時のことを思い出します。松岡さんが、二度目の渡米から帰ってこられ、また同じバイト先でバイトを再開されてからのことも思い出します。アメリカでの変わったルームメイトとの日々の爆笑エピソードは、いまだに思い出します。
私が就職活動を始めた頃に、「そーなんや、栗本君は会社員になるんや…。それでええの?まーそれはそれでエエんちゃう。」と、私も松岡さんが言いたいことを察しながらも、人生が距離をとり始めた頃のことも思い出します。
それから松岡さんは、千本通から少し入ったところの町屋を借りられ、工房を開かれたかと思います。一度遊びに行かせてもらいました。
いつか僕もギターを作ってもらいたいです。と言ったら、今でもええで。と即答されたのも思い出します。
それから、私も仕事が忙しくなり、疎遠になりました。
私が26歳、松岡さんが30歳の時、私の結婚式に出席頂きました。3年ぶりの再開でした。
お酒を飲んで上機嫌になった松岡さんが、パッパッパッパッ、と拳を合わせたりするアメリカンな握手を、初対面の新婦にも求めてこられ、変わらない松岡さんに接することができ、嬉しかったのを覚えてます。
これが、松岡さんと会った最後でした。
数年間、年賀状のやりとりはしましたが、それもある時から送られてこなくなりました。
私も、その後、松山市、名古屋市、と転勤があり、ただ京都に年数回は行くことがあったので、その都度、工房に顔だそうかな…、と思い続けながら、気付くと20年がたってしまいました。
一週間前も、京都に行く機会があり、また工房に顔出せなかったな…、と数日前に思い起こしていて、Sammyさんのブログに辿り着いた次第です。
Sammyさん、ほんとにありがとうございます。
このブログに会わなければ、私はまだ松岡さんがこの世にいないことを知らないまま過ごしていました。
また、ほんとに長文失礼しました。
ただ、こうやって松岡さんのことを思い出す限り思い出を振り返るのが、私にとって今できる最大の松岡さんへの恩返しです。出会ってから6年、そんなに長くはないお付き合いでしたが、私の京都の青春は松岡さんとともにありました。
いつか必ずお墓参りもさせてもらいます。
Sammyさん、このような場を頂き、ありがとうございました。
ブログへコメントをいただきありがとうございました。栗本さんからのコメントで松ちゃんを感じることができましたし、“松ちゃんらしいなぁ”と懐かしむこともできてありがたったです。私も松ちゃんに出会えて嬉しく、そして、縁があったことに感謝しています。コメントをいただいたことで、自身の書いた当時のブログを読み返しました。松ちゃんは、亡くなっていますが、私の手元には彼がメンテナンスをしてくれたベースが現在進行形で音を奏でてくれています。“やっしー。ベース続けや”と言ってくれた松ちゃん。このタイミングで、栗本さんからコメントをいただけたことに感謝しています。ブログを振り返ることによって、松ちゃんが再び私の背中を押してくれているように思えたからです。この場を借りてお礼を言わせて下さい。“ありがとうございました!”
今さらながらの書き込み失礼します。
私も、松岡さんにギターリペアでお世話になった者です。
20年近く前から10年前くらいの間だったと思いますが、何本かのギターの修理、メンテなどをしてもらいました。
ネット検索で見つけ、電話でお話しした上で、メールでやりとりしながら、何年間もお世話になりました。
最近は依頼してなかったのですが、最近リペアのこともあり、まだやっていらっしゃるかどうか確認しようと検索してご逝去を知りました。
書かれているように、とても親切で温かなお人柄だと感じていましたので、本当に残念です。
私は鳥取ですが、おそらく鳥取から松岡さんにリペアをやってもらったのは私だけではないかと思います。
松岡さんのお陰もあり、みてもらったギター達はどれも素晴らしい音になりました。
いつか京都に行く用事があればお会いしたいと思っておりましたので、さみしい限りですがに、ギターに松岡さんの霊(たましい)も少し宿っているものと思っています。
失礼しました。