人間は
ひとりぼっち
ではない
いつでも
どこかで誰かが
見守ってくれて
います
水澤山真福寺
小雨が降っている。
平日で雨、本堂に集まったのは約60名。
感慨深いな。
平成最後の施餓鬼法要か。
激動の時代、平成の時代だった。
新聞報道から始まった時代。
そして両親の死だった。
情報化時代の幕開け、介護その他諸々。
雨が降る中階段を登り墓に着く。
吐く息が白い。
区切りがついた気がする。
渋滞の中央高速。鉄の塊は最後はどうなるのだろう。
フェイスブックでメッセージをもらった。
(ばばひろこ)雨風に耐え ただひたすら佇むお地蔵様の姿というのは、日本ならではの 偶像崇拝物であり、日本に生きていると、このお地蔵さまの、慈悲深さをよくよく感じます。
(てるかず)高速を通ってお寺さんに着きました。お寺に入るとこの景色が目に入りました。結構雨が降っていましたが濡れるのを忘れ撮っていました。苦しかった時を思い出します。
(ばばひろこ)人たちはそのそれぞれの目に映った景色を、それぞれに特別な想いを抱きます。その場所に立つと、色々な想いが蘇るっていうこと、ありますね。色だけでなく、大きさ、音、声、匂いも手触りも。。。“思い出せる”というのは、松本さんの「生きている」という感覚が、まだまだ鈍っていない証だと思います。
(てるかず)ありがとう!
・・・
平成4年4月、親父が脳梗塞で倒れてから異次元の世界に入った。パーキンソン病の母親を抱えて。危篤、死亡、御通夜、告別式、納骨とあっという間に時間が過ぎていく。お彼岸は祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。今こうしていられるのも両親があってのことだ。