三浦俊彦@goo@anthropicworld

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オトイアワセ:
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2006/12/11

2000-02-22 00:54:12 | 映示作品データ
『ゆきゆきて、神軍』

 突発的な暴力の数々、犠牲になった兵士の遺族の離脱、ニューギニアへ同行するはずだった元戦友の母親の死、ニューギニアでの撮影記録の没収など、予期せぬ出来事に見舞われて流れがあらかじめ読めない構成が、密着取材型ドキュメンタリーの特徴だろう。ハプニングの最たるものが、奥崎自身による殺人未遂事件である。映画の中で「大活躍」した奥崎の妻も、映画完成前に死去する。

 奥崎謙三主演の映画には、もう一つ、『神様の愛い奴』という、別の監督によるドキュメンタリーがあり、それは奥崎の出所から採っている。亡き妻へのラブコールなども含まれていて奥崎ファンはそれなりにしんみりできる映画だとは思うが、お薦めしない。観賞は『ゆきゆきて、神軍』だけにしておくのがよいと思う。サブカルチャー知識人たちが奥崎という「変なおっさん」をおもちゃにして、いいように弄んでいる感が否めず、観ていて気持ちのいいものではない。

 ハプニングとデザインの合間に成立した怪作として、『ゆきゆきて、神軍』は再三観賞に堪えるカルト映画になっている。

2006/12/4

2000-02-21 01:45:36 | 映示作品データ
『ゆきゆきて、神軍』

 「靖国神社」と聞いたとたんに、奥崎は逆上して山田元軍曹に殴りかかる。相手は老いた病人である。手術したばかりの体である。止めもせず淡々と撮っているカメラもすごい。
 ドキュメンタリーとは何か、を考える手掛かりがたくさん詰まっている映画だ。
 古清水元中隊長をはじめ、多くの上官や戦友を訪ねて得た証言がそれぞれ食い違っているありさまは、芥川龍之介の「藪の中」を思わせる。(「藪の中」は、黒澤明の『羅生門』(1950年)として映画化され、戦後の日本映画を一気に世界レベルに引き上げた。ぜひ観てほしい映画である)。

 『ゆきゆきて、神軍』が公開された1987年は、昭和62年。つまり天皇ヒロヒトはまだ生きている。在位中の天皇本人を「ヒロヒト」と呼び捨てにし罵倒し続ける奥崎の心理は、私たちには推測しがたいものがある。私(三浦)自身も、物心ついたときにはすでに天皇を「天ちゃん」と呼ぶような時代だったし、学生時代にこの映画を初めて観たときも天皇を罵ること自体については何とも思わなかったが、徹底した天皇制絶対主義のもとで教育された元皇軍兵士奥崎にとっては、天皇を罵り続けることは、全実存を賭けた生涯の仕事であるに違いない。戦争中の意識そのままに靖国神社で戦友を弔う山田元軍曹との違いが際立っている。二人とも、それぞれの真剣な気持ちで弔いをしているのだろうが……。

 なお、ニューギニアで人肉を食ったという話に「驚いた!」と書いていた人が何人もいるが、「白ブタ、黒ブタ」と称して敵兵の肉を食っていたのは、太平洋戦争の常識に属する。問題は、日本兵の死体も食べていたのか、さらには食うために殺していたのではないか、というところだ。
 映画の中でアナキスト大島が言っていたように、戦争というのはカッコいいものでも勇ましいものでもなく、惨めでブザマで汚いものなのだと宣伝されねばならないだろう。太平洋戦争での日本兵の7~8割は、餓死か病死、日本兵同士の処刑と殺人だったと言われ、勇ましく戦って死ぬことのできた兵士は少数派だったということを知らねばならないだろう。まともな戦闘になっていなかったわけである。
 奥崎の執念深い恨みつらみと暴走も、そういう観点から見なければならない。

2006/11/27

2000-02-20 01:32:19 | 映示作品データ
『ゆきゆきて、神軍』 1987年

監督 原一男
撮影 原一男
編集 鍋島惇

 奥崎謙三の経歴については、Wikipediaその他を参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%B4%8E%E8%AC%99%E4%B8%89

 奥崎の活躍中の当時の感想については、筆者の身許は確かめていないが、以下のような記事が見つかる。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/yaziuma/kowa2.html
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/yaziuma/yazitu25.html

 『ゆきゆきて、神軍』のような密着取材型の映画を観るときに注意すべきは、どこまでが奥崎の素の行動で、どこからがカメラを意識した演技なのかということである。そして、演技でないにしても、カメラの無言の挑発に乗って、行動がエスカレートしていくということもあるだろう。

 奥崎の行動は、単なるデタラメのようにも見えるが、一つの主義が貫かれていることに注意しなければならない。次回に観る部分で、終戦後23日も経ってから連隊長の命令で射殺された戦友の遺族ふたりとともに、射殺の真相究明の旅に出ることになるが、途中で、遺族が同行を拒むようになる。その直接のきっかけは、奥崎が戦友の供養にも立ち寄りながら殺人事件究明を行なったからで、遺族たちは、面倒な墓参りは省略したがったのである。死んだ戦友の供養こそが主目的だった奥崎は遺族らと決別し、その後は、遺族の「代役」を立てて真相究明の旅を続ける。代役を使うのだからヤラセであり、訪ねた相手を騙すことになるが、奥崎を撮ってゆく映画としてはヤラセではない。ヤラセ戦法で突き進む奥崎の行動の生のドキュメンタリー記録と言える。

 遺族との決別の経緯は映画では省略されている。また、戦友の母親に語りかけていたとおり、ニューギニア訪問も果たすことになるが、ニューギニアの記録部分はインドネシア当局に没収されたため、これも映画には含まれていない。

 奥崎の行動撮影から5年もかけて完成したこの『ゆきゆきて、神軍』は、なみのドキュメンタリーをはるかに凌ぐ傑作であると同時に、日本人の戦争との係わりを再考させる無二の素材と言っていいだろう。奥崎謙三という独特のキャラターに負う個的な要素と、太平洋戦争がいまだに日本に対して投げかけている暗影の普遍的要素とを識別しつつ、凝視すべき作品である。

2006/11/20

2000-02-19 02:03:33 | 映示作品データ
『放浪者と独裁者』The Tramp and the Dictator  2001年、イギリス・ドイツ 

 『独裁者』のメイキング映像、ナチス・ドイツ時代の記録映像(とくにレニ・リーフェンシュタールの『意志の勝利』!)を織り交ぜてチャップリンとヒトラーの人物像を並行的に描く。コメンテーターとして、チャップリンの息子・友人をはじめ映画監督、歴史家、SF作家などが登場し、それぞれのときには矛盾した見解を述べあうのも面白い。
 カラー映像で撮られたメイキングと作品本体の白黒映像を比べてみると、『独裁者』という作品が「美的否定」の手法をうまく利用していることがわかる。白黒どころか『独裁者』以前にはサイレントで通したチャップリンの芸術スタイルそのものが、ポイント集中型の美的否定に立脚していたとも言えよう。
 ヒトラーを揶揄することが、女性歴史家が言っていたように「独裁者を面白く思わせ、危険を忘れさせる」ので望ましくないのか、ブラッドベリが言うように「勇気だけでは対抗できない仕方で、悪を卑小に見せることができる」ので素晴らしいのか。ここでは、オスカー・ワイルドの次のアフォリズムを噛みしめておこう。
 As long as war is regarded as wicked, it will always have its fascination. When it is looked upon as vulgar, it will cease to be popular.
 (戦争が邪悪だと見なされるかぎり、いつまでも魅力を持っているだろう。戦争が低俗だと見なされるときに、その人気は失われるだろう)

 むろん、滑稽化し笑いのめすだけでは真の否定には届かない。ラストの「感動的な」演説によって上昇ベクトルを描いたことで、『独裁者』は総合的な風刺作品になりえた。チャップリンがあれほど作り直した結果やっと決まったフィナーレは、作品全体に完璧な構成をもたらしたと言えるだろう。

2006/11/13

2000-02-18 01:33:31 | 映示作品データ
『チャップリンの独裁者』The Great Dictator
  1940年、アメリカ

監督、脚本 Charles Chaplin
Charles Chaplin (トメニアの独裁者ヒンケル/床屋のチャーリー)
Paulette Goddard(ハンナ)
Jack Oakie (バクテリア国独裁者ナパロニ)
Henry Daniell (ガービッチ内相兼宣伝相)
Billy Gilbert (ヘリング元帥)
Reginald Gardiner (シュルツ司令官)

第二次大戦勃発を挟んで制作された作品。痛烈なナチス批判とヒトラーの戯画化のように見えるが、大半はドタバタギャグで、チャップリン得意のパフォーマンスの陳列会といった趣。歴史的事実とのゆるい対応、ドイツ語風デタラメ言葉の演説とラストの英語の真面目な演説との対照が、特殊な効果を醸し出している。チャップリンは、ヒトラーの危険な演説に対するアンチテーゼとしてラストの平和的かつ情熱的な演説を挿入したのかもしれないが、レニ・リーフェンシュタールの撮ったヒトラーの演説風景などを見ると、「愛」「平和」「共存」といった文句はそのままヒトラー自身が使っており、同時代に全体主義の危険を悟ることは難しかっただろうと痛感させられる。実際、この映画が作られた当時、アメリカの大学生対象のアンケートで「現在最も偉大な政治家は?」という問いに「アドルフ・ヒトラー」がトップになったりしていたのである。
 他方では、ヒトラーやムッソリーニがニュース映画に登場するのを見るたびにアメリカ人は爆笑していたとも言われ、その「へんてこさ」は直観されていたようである。ただその奇妙さをマイナスの方向へ印象づけるのに、この映画は独特の貢献をしたと言えよう。
 チャップリン初のトーキー映画であるとともに、「チャップリンスタイル」の喜劇としては最後の作品。チャップリンの諸作品の比較研究のうえで、かなめとなる作品である。