三浦俊彦@goo@anthropicworld

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オトイアワセ:
ttmiurattアットマークgmail.com

2006/6/5

2000-02-08 23:28:56 | 映示作品データ
 ■日本のいちばん長い日 (1967) つづき

 政府がポツダム宣言に回答したことを傍受した、海外のあちこちの日本軍部隊――フィリピン、インドネシア、ベトナム、マレー、シンガポール、ビルマ、南洋の島々、そして中国など広大な面積に散らばっている――から、「受諾するな」「戦いを継続させろ」という電報が大本営に殺到したという。45年8月の日本軍はまだそんな雰囲気だったということを押さえておかないと、この映画の登場人物たちの行動は理解できない。
 米内光政海軍大臣と阿南惟幾陸軍大臣とが、詔書の一部を「戦勢日に非にして」にするか「戦局必ずしも好転せず」にするかで対立し、そのために完成が遅れる様子は、「名誉ある終戦」を求める陸軍の執念が感じられて迫真的である。思う存分に戦って完敗したと感じている海軍と、本番は本土決戦だと思っている陸軍との認識のズレは、単なる名誉の問題ではなかったかもしれない。ついに米内が妥協し阿南の案に同意するくだりは、海軍内でも下からの突き上げが激しかったことを物語る。厚木航空基地(海軍)の小薗司令官は徹底抗戦を叫び、児玉基地(陸海混成)からは攻撃機が次々に飛び立ってゆく。
 ちなみに、最後の特攻機が突っ込んだのは、玉音放送の後である。大分基地の宇垣纏中将は玉音放送で終戦を知りながら、終戦を知らない若者たちを率いて特攻機11機で出撃し、彼らを道連れに自決した。そういう狂信的な指揮官が、日本中にいたのである。
 一般の日本国民にしても9割以上は、玉音放送のとき天皇が「よりいっそう戦争遂行に奮励努力するように」と激励するのだと思い込んでいたという。

 この映画は、史実に忠実に再現してあるが、多少のニュアンスの相違はあるらしい。児玉基地の野中司令官は、終戦をうすうす知っていて、攻撃中止命令を待ちながらも次々に部下を送り出さねばならない無念を噛みしめている様子が表情であらわされているが、実際には野中司令は、玉音放送を聴いて驚き、部下ともどもパニックに陥ったと言われています。そのような「暗示(ニュアンス)」のレベルでの創作(?)部分はあるにせよ、セリフや行動など事実に関してはすべて史実をなぞっています。

 次回は、今日終わったところ、東部軍の井田中佐が森近衛師団長を説得するシーンから観ます。

2006/5/29

2000-02-07 22:29:28 | 映示作品データ
 ■日本のいちばん長い日 (1967)

  監督: 岡本喜八
 原作は、大宅壮一編となっていることが多いが、本当の著者は半藤一利。『日本のいちばん長い日』(文藝春秋)である。

 1945年7月26日のポツダム宣言から、黙殺、原爆投下、ソ連参戦、回答、再回答、受諾、8月15日の玉音放送へといたる大日本帝国末期の日々を、史実に忠実に再現したドラマ。↓のレビューにもあるように、
http://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=4413
阿南陸軍大臣を演ずる三船敏郎をはじめ出演俳優たちの多くが、実際に戦場で戦った経験者である、ということが、この映画の迫力の源だろう。
 阿南陸軍大臣の割腹自殺、森近衛師団長の殺害、政府が終戦の詔勅の文案を議論しているときに次々に飛び立ってゆく特攻隊員たち、ピストルで脅されても屈しないNHK局員、ビラを撒いたすえ自決する将校たち、等々すべて実話である。今日観た部分でも、大西瀧治郎軍令部次長が血相変えて「日本人があと2千万人特攻で死ねば勝てる!」と外相に詰め寄るシーンがあったが、あのセリフは大西が常に口にしていた有名な言葉(正確には、日本国民の5分の1が死ねばアメリカは嫌気がさす」というような言葉だったというが)。大西は特攻戦法の導入を主張して神風特攻隊を編成し、「特攻の父」「特攻生みの親」などと呼ばれた。
 特攻隊で何千人もの青年を死に追いやった大西の真意は、「このような外道の戦法を始めれば、慈悲深い天皇陛下が必ずや『もうやめるように』と仰せになって、連合国との講和を命ずるに違いない」という期待だったという。大西も、1944年6月のマリアナ沖海戦以降は、日本に勝ちはなく、一刻も早く戦争をやめるべきだとわかっていたのである。そして、終戦のためには、天皇の命令しか方法はないこともわかっていた。
 しかし天皇は、特攻の開始を聞くと、終戦を命じるのではなく、「もっと頑張るように」と激励した。大西は引くに引けなくなって、次々に特攻隊を繰り出すしかなくなったのである。「慈悲深い天皇」の決断に頼るとは、なんとも甘えた話で、呆れるばかりだが、ポツダム宣言受諾のときも、政府も軍も自ら戦争をやめることができずに、天皇の聖断に頼ったのである。
 次回は、今日終わったところ、御前会議で天皇が聖断をくだすシーンから観ます。

2006/5/22

2000-02-06 00:59:14 | 映示作品データ
■コストニツェ
Kostnice      1970年、チェコ
監督:Jan Svankmajer  ヤン・シュヴァンクマイエル

 オルリークのシュワルツェンベルク公爵によって完成された納骨堂のライブドキュメンタリー。
 チェコでは、検閲によって、女性ガイドの声が消されて、全編音楽に差し替えられた。

■庭園
Zahrada       1967年、チェコ
監督:Jan Svankmajer  ヤン・シュヴァンクマイエル

 循環型フィクション。シュールリアリズム、または不条理劇の一種。
 これも、社会主義体制への批判ととられて(どこが?)製作後20年間上映が禁止されたという。

 「コストニツェ」と「庭園」を比べると、同じ芸術家の作品でも、ドキュメンタリーの場合はどのように制作手法(コラージュ、暗示など)が前面に出てくるかがわかって面白い。

■海辺にて
La Plage       1992年、フランス
監督: Patrick Bokanowski  パトリック・ボカノウスキー
音楽: Michele Bokanowski  ミシェル・ボカノウスキー

 「海辺にて」は、実験的ドキュメンタリーの一種。場所も、物語も特定されない、被写体に演技の入らない実写という意味でのドキュメンタリー。
 4/17に観た「Making a Splash」もこの系統のドキュメンタリーアートだった。
 ドキュメンタリー作品には、主要な種類として、次のようなものが挙げられる。
 ①『ヒトラーと4人の女たち』のような、記録フィルムと再現映像でのモザイク仕立て。
 ②『シューティング・ウォー』『ヒストリー・チャンネル』のような、記録フィルムと当事者のインタビューを織り交ぜたハイブリッド形式。
 ③「コストニツェ」のような、場所だけを特定した半フィクション・ノンストーリーのドキュメンタリーアート。
 ④「海辺にて」「Making a Splash」のような、抽象的なドキュメンタリーアート。
 ⑤次に観る『日本のいちばん長い日』のような、史実にもとづいて、セットやセリフも可能なかぎり再現した、実録ドラマ。

 現実と虚構の接点である「ドキュメンタリー」は、これらの各スタイルの配合によって、無限のバリエーションを持つことができる。

2006/5/15

2000-02-05 02:02:47 | 映示作品データ
THE WORLD AT WAR  ヒストリー・チャンネル
 1973年:イギリス
 第24話(全26話中):原爆投下

 ポーランド問題から始まってヨーロッパの話が続き、「え? メインテーマは原爆のはずでは?」と一瞬戸惑わされる前半。しかし、ドイツ降伏直後のヨーロッパ情勢が原爆投下の重要な要因となっていたことが徐々にわかってくる。大戦中ずっと、対日戦にソ連を引き込もうと努力していた米英だったが、対ドイツ戦の最終局面におけるソ連の東欧支配・共産化を目の当たりにして、同じ過ちをアジアで繰り返すまい、とトルーマンは決意する。こうして、ソ連の参戦前に日本を降伏させたいアメリカと、対日戦参戦の報酬としての領土的約束を何としても米英に守らせたいソ連との、日本をめぐるせわしい競争が始まる。それが原爆投下、同時期の満州侵攻となって爆発する。
 ポツダム宣言の内容次第では、原爆投下は必要なかったと考える歴史家が多い。天皇制を保証すること、スターリンが宣言に参加すること、原爆の完成を明示することなど。それらをしなかったことによって、アメリカにとっての選択肢は、「原爆投下か、日本本土侵攻か」に絞られてしまった。この選択ならば、原爆投下はやむをえない。日本本土侵攻、つまり1945年11月1日の南九州上陸作戦(オリンピック作戦)と46年3月1日の関東平野上陸作戦(コロネット作戦)を実行したら、日米合わせて百万人規模の死者が出たことは確実だからである。(沖縄戦だけで十数万の住民が死んだことは映像にあったとおり。ちなみに関東平野上陸作戦では、九十九里浜と相模湾から上陸が予定されていた)

 イギリス制作のドキュメンタリーだけあって、原爆に対して冷静かつ客観的な賛否両論が紹介されている。御前会議にも出席していた日本の高官が「原爆のおかげで戦争がやめられた」と正直に語っていたことにも注目したい。実際、海軍大臣米内光政は、当時、「原爆が落ちたのは天佑だった」と言った。あんなことでも起こらないと、陸軍の徹底抗戦派を押さえられなかっただろうと。
 原爆投下とマンハッタン計画については、よくわかっていないことが多い。とくに、1943年段階から、どの文書をみても投下目標としては日本が想定されており、ドイツは対象になっていない。アメリカの原爆開発はもともとナチスの原爆研究に対抗するものだっただけに、始めから日本が対象というのは不可解である。こういう場合、「白人には使いたくなかったから」と言う人が必ずいるが、ドイツ市民に対する英米空軍の無差別爆撃は、日本への空襲とは比べものならぬほど執拗かつ残虐だったことを考えると(ドイツには日本への10倍以上の爆弾が投下され、軍事的意味の全くない芸術都市ドレスデンへの昼夜交代の空襲では東京大空襲を上回る死者を出している)、人種差別という説はあまりに安易というべきだろう。戦争はそんな甘いものではない。

 いずれにしても、ポーランド問題のようなヨーロッパ情勢とソ連・西側の対立、そして日本政府の立場などを有機的に結びつけた、うまいストーリー仕立てのドキュメンタリー作品だった。元A級戦犯容疑者・児玉誉士夫も出てきて「原爆をいくつ落とされようが戦い続けるべきだった」と言っていたのが印象的でした。(児玉は、このインタビューの約五年後にロッキード事件の被告になる)

2006/5/8

2000-02-04 00:14:18 | 映示作品データ
THE WORLD AT WAR  ヒストリー・チャンネル 1973年:イギリス
 第21話(全26話中):ヒトラーの最期

 先週の『ヒトラーと4人の女たち』の主人公の一人、トラウデル・ユンゲへのインタビューをまじえた、第二次大戦ヨーロッパ戦域の最終局面。

 このシリーズは、大物政治家や将軍とともに、無名の兵士や市民へのインタビューも同列に収録しているところが特徴である。その手法によって、立体的なレベル差を同一平面上に写し取るかのような、凝縮された戦争絵巻が展開する。

 ドキュメンタリー映像の場合は(映像にかぎらずドキュメンタリー小説も同様だが)、内容は既定の事実からなるため、創造性はもっぱら「表現方法」に注ぎ込まれる。「歴史を知りたい」というモチベーションをもってドキュメンタリーを見ることが多いので、どうしても「内容」に意識を集中しがちだが、むしろ「表現手法」のほうにドキュメンタリーの真価があることを念頭に置いて、ドキュメンタリー作品一般を観賞するようにしたらいかがだろうか。

 次回は同じシリーズの「原爆投下」を観ますが、以降、戦争がテーマではないドキュメンタリー作品、歴史がテーマですらないドキュメンタリー作品(純芸術的ドキュメンタリー)を順に観ていくことにします。
 また、同一アーチストによる、ドキュメンタリー作品と非ドキュメンタリー作品との比較観賞も行ない、ドキュメンタリー特有の「手法優位」の傾向を確認したいと思います。