ケージinケージinハルヒ~七/八楽曲
我が『エンドレスエイトの驚愕』路線にとって朗報なのか? 悲報なのか?
朗報1……無事、傑作でした!
朗報2……ちゃんと続編含みでした!
朗報3……考察新素材満載でした!
朗報4……トリビュート短編も傑作でした! 原体験世代以降の筆によるハルヒ系作物隆盛の予感大です!
非報1……・・・・・・
!■二宮金治郎像・音楽室のピアノ・階段・渡り廊下の鏡・開かずのトイレの扉・移動する人体模型・自己言及的呪い。ハルヒから世界を守るために情報統合思念体=コンセプチュアルアート視が必要とされるという我がエンドレスエイト・ロジックの正しさが、「七不思議オーバータイム」で確実となりました!(ジョン・ケージという名前そのものが思いっきり剥き出しになってしまったのはあれでしたが……)。
いずれにせよ「二つ目の不思議」は、CAというアートワールドの超常現象が、ワールド全体にとっては超常現象の通常現象化として使える、という逆説的ロジックの鮮やかな模範演技でした。いや、思えば「CA」という概念自体が、アートワールドのハードケースにしかるべき場を与えた「合理化カテゴリ」の最たるものでしたっけ……
!■「七不思議」の策定に加わることができなかったハルヒが、「八つめの不思議」の選出を主張。「七不思議」が「八不思議」に!……これを「四天王の論理」と呼びましょう! 四天王の論理は、「Organ²/ASLSP」の関与を改めて確証しています。「Organ²/ASLSP」とはどういう曲だったか? そう、いみじくも八楽曲から成り、そのうち1つの楽曲を除外して、残り七楽曲のうち1つを二度演奏せよ、という指示が付いた作品でした。8を7へ変容させる「Organ²/ASLSP」のモチーフを反転させたのが、7を8へ変容させようとする「七不思議オーバータイム」なのです。
!■「七つ目の不思議」が何であるのかは、その定義からしてわかりませんが、記述で完全に与えられているので、明確に演奏されたと言えます。演奏されていないのは、「八つ目の不思議」だけですね、ハルヒがまだ選んでいないので。この意味で、「七不思議オーバータイム」は、八つのうち七つが演奏された正規の「Organ²/ASLSP」と言えます。しかも「二つ目の不思議」は、ジョン・ケージ「4分33秒」であるため、すでに「Organ²/ASLSP」として「エンドレスエイト」が上演されていることと合わせれば――第二楽曲すなわちジョン・ケージが二度演奏されたとも言うことができます。これにより、「七不思議オーバータイム」+「エンドレスエイト」は、完全に「Organ²/ASLSP」の楽曲構造をなぞったことになります!
!■「8を7へ」という変容は、2018年8月28日に予行演習されていました。ニコニコ動画でカドカワ公式企画として、2009年版第12話「エンドレスエイトI」から第18話「エンドレスエイトVII」それぞれ88時間同時上映がなされたのです。脱出回の「Ⅷ」は除外され、非脱出回の七話分だけがエンドレスループを強調するべく放送されるという悪魔のような企画でした。
ちなみにあれはもちろん、「全部観てもらう」ことを目的とした企画ではありませんね。いわばドキュメンテーションです。テレビ放送とは違ってネット放送はもともと、部分的に垣間見られることを想定したメディアでしょうし。エンドレスエイト88時間放送企画はその極端なバージョン、「観られなくても噂だけで完全に成立する作品」を具体化したものでした。ネット芸術がプロジェクトアート→コンセプチュアルアートの普及を促す好例と言えるでしょう。
!■「七つ目の不思議」が「ラッセルのパラドックス」になぞらえられていますが(「パラドクス」と表記してほしかった――)古泉が一年前のカミングアウト時、最初にキョンに投げかけた哲学系たとえ話がラッセルの世界五分前生成仮説でしたから、ここでループがいったん閉じたことになります。「エンドレスエイト」をほんのり指示していると同時に、オムニループ説が信憑性を強めましたね。
!■ミステリ研の交換留学生は、その口調からして、佐々木の分身ではないでしょうか。すなわち、
ハルヒ:渡橋泰水 = 佐々木:愛称で呼べない女
長門の反応からしても、あの女が通常の人間でないことだけは確かです。
ハルヒ:古泉 = 佐々木:国木田
の図式が猛威を振るってほしい私としては、かの交換留学生を踏み台に佐々木団の一気蘇生を期待したいところです。ジェンダーを過剰に意識する新タイプTG・佐々木は、芸術カテゴリ論(コンセプチュアルアート視・論)をトランスジェンダー論との対比で試行せんとする我が目論見にとって、まことに希望の星というべきキャラクターなのですよ……
!■公式トリビュート短編「涼宮ハルヒの一手損角換わり」(さがら総)は、投了した者の「負け」という前提に立っていますが、ペア将棋では指す手を無くしてしまった相方こそが「負け」たのだと見るべきでは? 実質より形式が重要であるハルヒ視点ではあれでよいのではありますが。というか古泉目線のハルヒ視点。ちなみに将棋盤上でチェスの八方桂が活躍しましたが、その八に加えてチェス盤は8×8。八不思議への多重的間接的なトリビュートになっていますね! うまい!
!■いずれにしても、ジョン・ケージにカミングアウトされてしまったことは、私の「涼宮ハルヒ論」にとって朗報でしょうか、悲報でしょうか。【15日×[15498(原作)+17+17(アニメ)+17]=639年=ジョン・ケージ『Organ²/ASLSP』@ブキャルディ教会】をこれ以上力説する必要がなくなった点では、朗報と言えます。しかし……いや……そうしたテクニカルな議論に煩わされずにコンセプチュアルアート論×人間原理論×涼宮ハルヒ論を展開するにはひたすら朗報以外の何事でもない、と割り切ることにして、この無色透明コメントを無演奏第八項目といたしましょう。
→11/5 補足記事←
我が『エンドレスエイトの驚愕』路線にとって朗報なのか? 悲報なのか?
朗報1……無事、傑作でした!
朗報2……ちゃんと続編含みでした!
朗報3……考察新素材満載でした!
朗報4……トリビュート短編も傑作でした! 原体験世代以降の筆によるハルヒ系作物隆盛の予感大です!
非報1……・・・・・・
!■二宮金治郎像・音楽室のピアノ・階段・渡り廊下の鏡・開かずのトイレの扉・移動する人体模型・自己言及的呪い。ハルヒから世界を守るために情報統合思念体=コンセプチュアルアート視が必要とされるという我がエンドレスエイト・ロジックの正しさが、「七不思議オーバータイム」で確実となりました!(ジョン・ケージという名前そのものが思いっきり剥き出しになってしまったのはあれでしたが……)。
いずれにせよ「二つ目の不思議」は、CAというアートワールドの超常現象が、ワールド全体にとっては超常現象の通常現象化として使える、という逆説的ロジックの鮮やかな模範演技でした。いや、思えば「CA」という概念自体が、アートワールドのハードケースにしかるべき場を与えた「合理化カテゴリ」の最たるものでしたっけ……
!■「七不思議」の策定に加わることができなかったハルヒが、「八つめの不思議」の選出を主張。「七不思議」が「八不思議」に!……これを「四天王の論理」と呼びましょう! 四天王の論理は、「Organ²/ASLSP」の関与を改めて確証しています。「Organ²/ASLSP」とはどういう曲だったか? そう、いみじくも八楽曲から成り、そのうち1つの楽曲を除外して、残り七楽曲のうち1つを二度演奏せよ、という指示が付いた作品でした。8を7へ変容させる「Organ²/ASLSP」のモチーフを反転させたのが、7を8へ変容させようとする「七不思議オーバータイム」なのです。
!■「七つ目の不思議」が何であるのかは、その定義からしてわかりませんが、記述で完全に与えられているので、明確に演奏されたと言えます。演奏されていないのは、「八つ目の不思議」だけですね、ハルヒがまだ選んでいないので。この意味で、「七不思議オーバータイム」は、八つのうち七つが演奏された正規の「Organ²/ASLSP」と言えます。しかも「二つ目の不思議」は、ジョン・ケージ「4分33秒」であるため、すでに「Organ²/ASLSP」として「エンドレスエイト」が上演されていることと合わせれば――第二楽曲すなわちジョン・ケージが二度演奏されたとも言うことができます。これにより、「七不思議オーバータイム」+「エンドレスエイト」は、完全に「Organ²/ASLSP」の楽曲構造をなぞったことになります!
!■「8を7へ」という変容は、2018年8月28日に予行演習されていました。ニコニコ動画でカドカワ公式企画として、2009年版第12話「エンドレスエイトI」から第18話「エンドレスエイトVII」それぞれ88時間同時上映がなされたのです。脱出回の「Ⅷ」は除外され、非脱出回の七話分だけがエンドレスループを強調するべく放送されるという悪魔のような企画でした。
ちなみにあれはもちろん、「全部観てもらう」ことを目的とした企画ではありませんね。いわばドキュメンテーションです。テレビ放送とは違ってネット放送はもともと、部分的に垣間見られることを想定したメディアでしょうし。エンドレスエイト88時間放送企画はその極端なバージョン、「観られなくても噂だけで完全に成立する作品」を具体化したものでした。ネット芸術がプロジェクトアート→コンセプチュアルアートの普及を促す好例と言えるでしょう。
!■「七つ目の不思議」が「ラッセルのパラドックス」になぞらえられていますが(「パラドクス」と表記してほしかった――)古泉が一年前のカミングアウト時、最初にキョンに投げかけた哲学系たとえ話がラッセルの世界五分前生成仮説でしたから、ここでループがいったん閉じたことになります。「エンドレスエイト」をほんのり指示していると同時に、オムニループ説が信憑性を強めましたね。
!■ミステリ研の交換留学生は、その口調からして、佐々木の分身ではないでしょうか。すなわち、
ハルヒ:渡橋泰水 = 佐々木:愛称で呼べない女
長門の反応からしても、あの女が通常の人間でないことだけは確かです。
ハルヒ:古泉 = 佐々木:国木田
の図式が猛威を振るってほしい私としては、かの交換留学生を踏み台に佐々木団の一気蘇生を期待したいところです。ジェンダーを過剰に意識する新タイプTG・佐々木は、芸術カテゴリ論(コンセプチュアルアート視・論)をトランスジェンダー論との対比で試行せんとする我が目論見にとって、まことに希望の星というべきキャラクターなのですよ……
!■公式トリビュート短編「涼宮ハルヒの一手損角換わり」(さがら総)は、投了した者の「負け」という前提に立っていますが、ペア将棋では指す手を無くしてしまった相方こそが「負け」たのだと見るべきでは? 実質より形式が重要であるハルヒ視点ではあれでよいのではありますが。というか古泉目線のハルヒ視点。ちなみに将棋盤上でチェスの八方桂が活躍しましたが、その八に加えてチェス盤は8×8。八不思議への多重的間接的なトリビュートになっていますね! うまい!
!■いずれにしても、ジョン・ケージにカミングアウトされてしまったことは、私の「涼宮ハルヒ論」にとって朗報でしょうか、悲報でしょうか。【15日×[15498(原作)+17+17(アニメ)+17]=639年=ジョン・ケージ『Organ²/ASLSP』@ブキャルディ教会】をこれ以上力説する必要がなくなった点では、朗報と言えます。しかし……いや……そうしたテクニカルな議論に煩わされずにコンセプチュアルアート論×人間原理論×涼宮ハルヒ論を展開するにはひたすら朗報以外の何事でもない、と割り切ることにして、この無色透明コメントを無演奏第八項目といたしましょう。
→11/5 補足記事←