三浦俊彦@goo@anthropicworld

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オトイアワセ:
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トラウマ系14

2005-11-01 00:18:38 | モンスター映画
 ■男と女■ 今回また久しぶりに観て、思いのほか「実験的」な作品だったんだなあと。ふつうのカラー映像とセピア等各種モノクロとが適宜交代するかなり不思議な構成。クロード・ルルーシュはよそでもそういうのやってるんだけど、ただここではそれがわりと論理に則ってて、序盤の出会いの車中は二人の顔が交互にモノクロ、女の追憶話がカラー。終盤のベッドシーン(撮影は顔だけとはなんともお上品なこと……)でも同じくモノクロ現場に女の追想がカラーで重なる(しかし最中にあれってけっこうコワイね。たとえ亡き亭主でもさ)。現場と追憶の生彩度表現が通常手法の逆、てのが凡手のようで案外効果的と。ただしその間のもろもろは、そうすっきりと分けられちゃいないとこがミソ。男の追憶話では亡き妻がカラーとモノクロで登場して、脱臼感が味わえたり。このカラー&モノクロ手法と並んで注目すべきは、ドキュメンタリー手法の多用ですね。レーサーとしての走り場面がいつもドキュメンタリータッチなのは当然として、モロ笑えるのは4人の食事場面。男+女+子ども二人のあそこ。観客に聞かせるふつうモードから外れて、彼らペースというか『白い恋人たち』の選手控え室の寡黙雑談シーンとも見紛う無演技のノリ。子どもが出しゃばるのがほぼあそこだけという抑制がまた利いている。ドキュメンタリー・ラブストーリーともいうべき新ジャンル――と言いたいところだが、もちろん今の目で見ると、フランシス・レイのボサノバ調ダバダバダ……の超甘メロディが大ヒットしたせいでなんというか全体、ラブストーリーの模範みたいな貫禄がまつわりついちゃってますね、この映画のせいじゃなくて年月のせいにすぎないんだが。つまりは美男美女が過去に心の傷抱えながら惹かれあい、密接してはすれ違う寸前で真に結ばれる、といった正道中の正道を超生真面目に見せてくれてると。今となってはそれだけが取り柄って感じもなきにしもあらずだが、うむ……真に結ばれる瞬間がいかにもおフランスって感じのエスプリ一言だったりするもんで、たしかに決まりすぎっちゃ決まりすぎ。しかしここまで完璧なロマンスやられちゃっちゃ、マ文句言えんでしょう。サンバが終始響いていたわりにはもともと男と同棲していたラテン系(?)女がどうなったか、なーんて枝葉は全然気にもならなくなっちゃうナチュラルぶりにしても相当なもん。正真正銘の名画たるゆえんですね。
 ■催眠■ オープニングから、いろんな面白え自殺するやつらが並んだところは、「お?『ファイナル・デスティネーション』の自殺版か?」って期待したのに(トラウマ系1参照)。次から次へと珍しい自殺見せてくれんのかとわくわくしたのに。自分でネクタイで首締めて死亡とか(難しいよね)全力で走って両足複雑骨折して死亡とか(こりゃーとてつもなく難しいよね)ガラス窓に飛び込んで死亡とか(実行は簡単でしょ、ただ死ねるかよ)、そうくれば後ももっともっと笑える自殺が次々と、のはずだったのにねえ、なんでつまらんサスペンスになっちゃうの。稲垣吾郎が終始絶叫しまくっててテレビドラマ並みにうるせーし、刑事や署長どもがまたうるせーし(催眠解いてるんだから最後までやらせろよ、気が短けーなあ。電送人間御出演はうれしかったケド)、タレント催眠術師が殺されたのなんか意味不明だし、いちいち犯行予告(つうか確認)っぽい電話かかってくんのも御都合主義的どころの安易さじゃ済まないし、後半の菅野美穂大暴れにいたってはどういう必然性あんのよ? あ~あ、どうもジャパニーズホラーって序盤いろいろ打ち上げても収拾つける力が不足してるみたいね。だいたい催眠術で嚇かそうなんて50年遅すぎないかい。今は無意識より意識が不思議な時代なんだから。現代科学の常識では心なんて脳という名の物質なんだから、無意識が当たり前、なんで意識なんかがあるのかが謎なんだよね。無意識の怪奇を演りたかったら、意識の謎に先に食い込んでくれなきゃさ。金属音に反応するから大変だ、みたいな一律ゲームに堕してからはもう全然失格。心をテーマに謳う以上は責任持って繊細なところを描いてくれよ。なお、電話ボックス内のオバチャンの唾液噴出は論外として、おオネーサン刑事の嘔吐場面も時間短すぎて画面の隅っこすぎて萌え度いまいちでした。