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気ままに生活してるシニアの残日録

錦秋十月大歌舞伎(昼の部)を観劇

2024年10月17日 | 歌舞伎

今月も歌舞伎座で観劇した、いつものとおり昼の部、3階A席、この日の観客の入りはイマイチであり、3階席は空席が目立ったし、自席から見える1階最前列の方は若干の空席があった、この日の公演はテレビ収録があるとの貼り出しがあった

一、平家女護島 俊寛
近松門左衛門歿後三百年、近松門左衛門 作

俊寛僧都/菊之助
丹波少将成経/萬太郎
海女千鳥/吉太朗
平判官康頼/吉之丞
瀬尾太郎兼康/又五郎
丹左衛門尉基康/歌六

平家打倒の密議が露見し、丹波少将成経、平判官康頼とともに流罪となり絶海の孤島、鬼界ヶ島に流された俊寛、3年が経ったある日、水平線の彼方から船影が。そろって都へ帰れると喜びあうのも束の間、赦免者のなかに俊寛の名前だけがなかった・・・

俊寛という演目は歌舞伎で知ったというより、以前、菊池寛の短編小説集「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」(新潮文庫)に含まれていた同名の小説を読んで知った経緯がある、観劇のあとでその本を引っ張り出してざっと目を通してみると、俊寛の最期が歌舞伎のあらすじとは違っている

今日の近松門左衛門作の俊寛では、赦免船に乗れるのは3人までで、京にいる妻が自害して死んだことを知った俊寛が自分は島に残り、鬼界ヶ島の海女千鳥とねんごろになった成経を思い、自分の代わりに千鳥を船に乗せてくれと言い、最後に俊寛だけが島に残り、船が去っているのを見て慟哭するところで終わっている

ところが菊池寛の小説では、俊寛が島に残るところは同じだが、千鳥が出てこない代わりに、島に残った後、島の少女と俊寛とがねんごろになり、結婚して子供も3人できて幸せに暮らした、となっている

近松の俊寛は「平家物語」巻の三「足摺り」を題材にしているが、内容的には大幅な創作が加えられているとのこと、菊池寛の小説も同様でしょう。調べてみると俊寛は小説や戯曲でいろんなバージョンがある、菊池寛以外にも芥川龍之介、吉川英治などいろんな人が書いており、それぞれ独自の物語にしているようだ

さて、俊寛だが、今回は初役で菊之助が務めた、自分は俊寛を見るのは2度目になるが、1度目は亡くなった中村吉右衛門の俊寛だった、吉右衛門の得意とする演目だったようで、それを観ることができたのは幸いであった、今回の菊之助は義父の吉右衛門の得意芸の初役ということでさぞかし力が入っていただろう、いい演技をしていた

島の娘千鳥だが、南国の島であるにもかかわらず、可愛らしい着物を着ているのがおかしいというか場面設定に全然合っていない、これは近松門左衛門のジョークでしょう、南国の島の娘であれば、ゴーギャンの絵に出てくるタヒチの娘を想像するのが普通であろう

二、音菊曽我彩 稚児姿出世始話
松岡 亮 脚本

曽我一万/尾上右近
曽我箱王/眞秀
小林朝比奈/巳之助
秦野四郎/橋之助
化粧坂少将/左近
鬼王新左衛門/芝翫
大磯の虎/魁春
工藤左衛門祐経/菊五郎

歌舞伎の様式美あふれる祝祭劇、紅葉に彩られた箱根山、菊売りの姿に身をやつした曽我一万と箱王がやって来る、参詣に訪れていた工藤祐経(すけつね)と対面した二人は、父の敵である工藤に対し、箱王は血気にはやり、一万や朝比奈が止めようとするが・・・

鎌倉時代に実際に起きた曽我兄弟の仇討ちの物語は、江戸歌舞伎において祝祭劇として多くの作品が生み出され、曽我十郎と五郎の兄弟が、幼名である「一万」と「箱王」として登場する本作は、新たな着想のもと、所作事から対面となる古式ゆかしい曽我狂言

祐経を82才になる菊五郎が、曽我兄弟を尾上右近と眞秀が務めた、その他、芝翫、魁春、巳之助など豪華メンバーで華やかな舞台が観れて良かった

なお、舞台音楽には長唄連中が勢ぞろいし、前列中心には八代目杵屋巳太郎が立て三味線を弾いていたのがわかりうれしくなった、巳太郎の人柄をテレビや舞台で知りファンになった、長唄ではもう一人杵屋勝四郎も親しみのある人柄で好きであるが、今日は出演していなかった

江戸の口碑(こうひ)に残る大岡政談、岡本綺堂 作
三、権三と助十 神田橋本町裏長屋

権三(ごんざ)/獅童
権三女房おかん/時蔵
助十/松緑
助八/坂東亀蔵
家主六郎兵衛/歌六
小間物屋彦三郎/左近
小間物屋彦兵衛/東蔵
願人坊主雲哲/橘太郎
願坊主願哲/國矢
左官屋勘太郎/吉之丞
猿廻し与助/松江
石子伴作/権十郎

大岡政談から生まれた新歌舞伎の人気作、駕籠舁(かごかき)の権三と助十が暮らす裏長屋では、夏恒例の井戸替えが行われている。ところが、権三が参加していないことに助十が腹を立て、言い争いが始まる。そんな騒がしい長屋へ、小間物屋の彦三郎が家主の六郎兵衛を訪ねて来る。強盗殺人の罪で入れられた牢で死んだという父の汚名を晴らすため、大坂から駆けつけてきた彦三郎の話を聞いた権三と助十の二人は、事件の夜に真犯人とおぼしき男を目撃していたという・・・

大正15(1926)年に歌舞伎座で初演された演目、名奉行・大岡越前守が難事を解決するおなじみの「大岡政談」を題材に、江戸の市井に生きる庶民を活写した作品、喜劇味と推理劇の味わいがあるが大岡越前は出てこない

新歌舞伎とは、明治時代中期から太平洋戦争の最中までに書かれた歌舞伎の一種で、文学者や小説家の作品を歌舞伎で上演したもの

明治維新後の文明開化によって西洋から様々な文化が入ってきたことを受けて、歌舞伎を近代社会に合った内容にしていこうとする「演劇改良運動」が提唱され、この運動の中で、歌舞伎の脚本を歌舞伎を専門に書く狂言作者ではなく、文学者や小説家が手掛けるようになった、代表的な作品には、坪内逍遥の「桐一葉」、岡本綺堂の「修禅寺物語」、真山青果の「元禄忠臣蔵」など、今日の演目はこの岡本綺堂によるもの

初めて観る作品だが、歌舞伎というよりは演劇という感じがした、先月鑑賞した夢枕獏原作の新作歌舞伎「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」と同じような感想を持った

さて、今日の幕間の昼食だが、食事は歌舞伎座ビル地下にある売店で人形町志乃多寿司の弁当にした、いつもは三越の地下で買うのだが、今日は歌舞伎座ビルで使える金券2,000円を持っていたので、それを使うために歌舞伎座で買った

また、甘味は歌舞伎座近くの「木挽町よしや」のどら焼きを前日に電話で予約し、幕間に取りに行って食べた、初めて買う店だが小ぶりのどら焼きがしっとりとしておいしかった

楽しめました