ゆっくり行きましょう

ストレスのない生活を楽しむシニア

映画「正体」を観る

2024年12月22日 | 映画

しばらく映画を観ていなかったので、映画サイトで評価の高い「正体」を観に行った、2024年、120分、監督:藤井道人(1986)、原作:染井為人、シニア料金1,200円、平日であったがけっこうお客さんは入っていた、大部分が若者だったのには驚いた

染井為人(そめい ためひと)の同名ベストセラー小説を、横浜流星主演、藤井道人監督のメガホンで映画化したサスペンスドラマ

凶悪な殺人事件を起こして逮捕され、死刑判決を受けた鏑木慶一(横浜流星)が刑務所で自傷し病院に運ばれる救急車から脱走した。鏑木を追う刑事の又貫征吾(山田孝之)は、変装して逃走を続ける鏑木の潜伏先工事現場の同僚(森本慎太郎)、出版社の編集者(吉岡里帆)、介護施設の新人社員(山田杏奈)らから証言を得るが、彼がおよそ殺人犯とはまったく別人のような好人物だったことにしっくりしないものを感ずる、鏑木は指名手配され、テレビでも変装したいくつもの顔写真が連日流され、だんだんと追い詰められていき、最後は・・・

さて、映画を観た感想を述べよう(ネタバレあり)

  • それなりに楽しめる映画だった
  • 横浜流星(1996)は初めて見る俳優だが良い演技をしていた、変装した顔と普通の顔の落差が大きかったのが良かった

  • 吉岡里帆(1993)もよかった、彼女は辻村深月がアニメ業界で奮闘する人々の姿を描いた小説「ハケンアニメ!」を原作にした同名の映画で知ったが、あの映画でもいい役を演じていたと思った、今回も大変よかった

  • その他で良かったのは刑事役の山田孝之だ、鏑木が犯人とされた殺人事件の捜査に当たり、鏑木を犯人とすることに若干の疑念があったが上からの圧力で強引に彼を犯人にして最後は死刑判決まで出てしまう、それでよかったと無理やり自分を納得させていたが、鏑木の脱走後の捜査を進めていく過程でもやもや感が増していき、一度はナイフを持つ鏑木を目の前に追い詰めながら発砲を躊躇したのは彼が犯人ではなかったかもしれないという思いがあったからだろう、ただ、発砲できなかった悔いもごちゃ混ぜになって残る、その辺の葛藤をよく演じていた

  • そして最後、介護施設に人質を取って立てこもる鏑木に対して上司の圧力で強行突入をして追い詰め、ついに今度は発砲してしまう、これでドラマは終わりかと思ったが、実は鏑木は一命をとりとめた、というか今回は発砲したが急所を外して発砲したのか、そこはわからなかったが多分そうでしょう、やはりもやもや感がまだあったのでしょう、その後、刑務所で彼と面会する場面があり、その後、捜査のやり直しを発表して大騒ぎになる・・・何が決定打になったのかはよくわからなかった
  • ここから先は再審裁判をして無罪になってめでたしめでたしだが、そこの描き方があまりにも単純すぎて、こうなるだろうなという通りに終わった、また、鏑木が刑務所で面会した又貫刑事に語る「逃走中に人から初めて信じてもらえた」という話があまりにテレビドラマみたいなおセンチで、ちょっともう一ひねり工夫が必要ではないかと思った、救いのない結論にしたほうが警察捜査の問題点についての鋭い警鐘になるのではないか(原作が何を訴えたかったかによるでしょうけど)

楽しめました


希望丘カントリーでゴルフ

2024年12月21日 | ゴルフ

最近、忙しくてゴルフにあまり行けてないが、ロンドンから帰国した後、1度だけ栃木県芳賀郡の希望丘カントリークラブでゴルフをした、天気は晴れ、何回か来たことがあるコースだが、今回は久しぶり、ちょっと不便なところなので足が遠のいていたが年に1回は来たい

このコースは、1992年7月(平成4年)開場、設計は関輪順一、埼玉県深谷市に本社を置く古郡建設が経営母体だが、平成15年に運営会社の成和が民事再生法を申請、同年再生計画が認可、その後平成18年に再生手続き終結、古郡建設のグループ会社として今日に至っている

コースは18ホール、7043ヤード、2グリーン、自走式乗用カートでフェアウェイ乗り入れはできないのが難点、コースレイアウトは面白く、適度にアップダウンがあり、池はないけど変化があって面白い、コースの手入れは普通か

ただ、この日はプレーの進行はあまりよくなく、ストレスがたまったラウンドだった、そういうこともあってか後ろの組から2度も打ち込みされて危ない場面があった、中高年の組だったがいい年してマナーが悪いよ

良い天気で楽しめた


アンドラーシュ・シフ ピアノ・リサイタルを聴く

2024年12月21日 | クラシック音楽

彩の国さいたま芸術劇場開館30周年記念、アンドラーシュ・シフ/ピアノ・リサイタルを聴きに行ってきた、1階席10,000円、15時開演、17時40終演、ほぼ満席に見えた、日曜日だからか幅広い年齢層が来ていた、604席ある音楽ホールは改装したばかりのためか非常にきれいなホールだった、シフはここで2017年にも演奏会を開催したことがある

今回の公演は、シフの意向で曲目を事前に知らせず、本人が当日ステージ上でトークの中で日本語を交えながら発表するスタイルとの事前説明、めずらしいものだと思った、このようなスタイルはポリーニやツィメルマンがそうだったとプログラムノートの解説で長木誠司氏は言い、シフはなんでもすべて、いつでも完成しており、演奏会はそのなかでその日の即興気分に見合ったもの演奏するだけと説明している

アンドラーシュ・シフは1953年、ブタペスト生れ、両親ともホロコーストからの生き残り、2023年8月にザルツブルク音楽祭への66回目の出演で「音楽祭の歴史を語るうえでなくてはならないアーティスト」として表彰されるほどのピアニスト、レパートリーはバッハ、ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、バルトーク、ヤナーチェクなどが中心となっている、また、夫人は日本人のヴァイオリニスト塩川悠子さん(1946)とは知らなかった、CDには夫人との共演もあるようだ

曲目

J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988 から「アリア」
ハイドン : ピアノ・ソナタ 変ホ長調 Hob.XVI:52
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第15(18)番 ヘ長調 K.533
ベートーヴェン :ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 op.31-2「テンペスト」
シューベルト: ピアノ・ソナタ第18番 ト長調 D 894 「幻想」

(アンコール)
シューベルト: 即興曲 変ト長調 D 899-3
シューベルト: 楽興の時 D780から 第3番 ヘ短調
シューベルト:ハンガリー風のメロディ D817
J.S.バッハ:イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971から 第1楽章
ショパン: マズルカ ハ長調 op.24-2
メンデルスゾーン : 無言歌集第6巻op.67から 「紡ぎ歌」

シフ自身による曲目の紹介は日本語ではっきりわかるように発音してくれた、奥さんの特訓を受けたのでしょう、他国に行ったときはこういう姿勢は大事だと思う、野球の大谷もゴルフの松山もアメリカでのインタビューでは通訳同伴でもいいから先ず英語で話してもらいたい

この日の演目は私にもなじみの多い曲だったのはうれしかった、最近もNHKのクラシック倶楽部でザルツブルク音楽祭でのシフのピアノ演奏の模様を放送していたが、シューベルトやヤナーチェクを演奏していた、そのシフのピアノ演奏をまじかで見れて良かった

この日の演奏は最初はどちらかというと静かな曲だったがテンペストあたりから少し激しい曲になり最後のシューベルトでは40分ほどの大作を一気に演奏してくれた

シフの演奏会は初めてなので普段はどういう感じか知らないが、アンコールに6曲も弾いてくれたのには驚いた、自身今日の演奏はうまく弾けたと思っていなければこんな多くの曲をアンコールで弾かないでしょう、それぞれの曲を弾き終わった後のシフの顔は満足しているように見えた

ピアノ・リサイタルは休憩も入れて2時間程度で終わる場合が多いが、この日は2時間半以上弾いてくれたのはうれしかった、シフ自身もうれしそうな顔をしていたのでこちらもうれしくなった

この日の観客はシフがそれぞれの曲の演奏が終わって、立ち上がって観客に向きあうところで拍手を始めたのには感心した、ピアノ演奏の余韻を十分楽しむマナーがある観客だと思った

シフの音楽をじっくり聴けて良かった


松戸「本土寺」で晩秋の紅葉を観る

2024年12月20日 | 街歩き・国内旅行

北小金駅から歩いて行けるところにある本土寺は日蓮宗に属する寺院で鎌倉時代の1277年(建治3年)に創建された、ここの庭園は、春は紫陽花、秋は紅葉で有名、今年の春も紫陽花を観に行った(こちら参照)

秋の紅葉はしばらく観に行ったことがなかったので、今秋は行ってみようと思っていたが、なかなか時間が取れずに時がたち、この日(11月17日)ようやく行くことができた

紅葉の盛りの時期は入場料500円がかかるが、この日は既にその期間は過ぎていたので無料で拝観できた、あと1週間早く来るべきだったか

山門から境内に入るところには紅葉がまだ多く残っており、きれいだった、境内に入ると直ぐ左に五重塔があり、正面には本堂がある、先ずは本堂にお参りしてください、とあるので参拝をした

その後、順路の案内が出ていたのでそれに従い、歩いてみた

歩いてみるとまだ紅葉がところどころ残っており、十分楽しめた、もう盛りの過ぎた紅葉であり、人もまばらだが、見ていくうちにこれもなかなか味わいがあって良いなと思えてきた、むしろ「侘寂(わびさび)」の世界に近いと思った

ChatGPTによれば、

  • 侘(わび):質素や不完全さの中にある美しさ、または日常の中の静かな趣を指します。特に茶道や俳句などで見られる感覚です。
  • 寂(さび):時間の経過やものの移り変わりが生み出す静けさや侘しさ、その中に感じられる趣を表します。

「侘寂」は、日本独自の美意識であり、自然や不完全なもの、老朽化の中に潜む美を感じ取る心を示しています

紅葉の最盛期に人がごった返す中で観るのが良いのか、この日のような静かな雰囲気の中で枯れ枝がかなり多くなった時期に観るのが良いのか、人それぞれであろうがリタイアした自分の境遇にあっているのはこの日のような状況ではないかと思った


劇団民藝「囲われた空」を観劇

2024年12月19日 | 演劇

紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA、劇団民藝公演「囲われた空 CAGING SKIES」を観劇した、6,600円、13時半開演、終演16時15分ころ、座席は8割以上埋まっていたか、中高年が多いと感じたが若い人も目についた

■原作:クリスティン・ルーネンズ
■脚色:デジレ・ゲーゼンツヴィ
■訳:河野哲子(『囲われた空 もう一人の〈ジョジョ・ラビット〉』小鳥遊書房刊)
■上演台本:丹野郁弓
■演出:小笠原 響
■出演:日色ともゑ、石巻美香、石川 桃、釜谷洸士

劇団民藝は1950年4月3日に(前身は1947年発足の民衆芸術劇場=第一次民藝)築地小劇場、新協劇団など「新劇」の本流を歩んできた滝沢修、宇野重吉らによって民衆に根ざした演劇をつくり出そうと旗あげされた

この劇団の歴史をwebサイトで見ると、俳優で知っている名前は、宇野重吉、北林谷栄、大滝秀治、樫山文枝、日色ともゑだけだった

劇団の歴史に書かれている過去に手掛けてきた作品を見ると、内外の小説、戯曲、創作劇などである

さて、この日の物語だが、民藝のwebページから要約すると

2019年に上映されたアメリカ映画『ジョジョ・ラビット』は、反ナチス映画として話題になりアカデミー賞脚色賞を受賞、この映画の原作小説『Caging Skies』をベネズエラ生まれのデジレ・ゲーゼンツヴィが戯曲化したもの

1944年、ウィーンにあるヨハニスの家、ヒトラーに忠誠を誓う17歳のヨハニス(釜谷洸士)は連合軍の爆撃によって重傷を負った、母のロスヴィタ(石巻美香)が怪我をした彼と祖母(日色ともゑ)の世話をしている

ある日、母の行動を不審に思ったヨハニスは、居間のソファの下からバイオリンを探り当てる、そこにはエルサ(石川 桃)、25歳のユダヤ人のパスポートが隠されていた、家族が寝静まってから書斎を調べると、壁にうっすら線があることに気づきナイフの刃を入れて押すとドアのように開き、壁の中には若い女性エルサがいた、そこから家族間の葛藤が始まる

観劇した感想を述べてみたい

  • 舞台が居間、書斎、寝室と3つに仕切られており、円形の回転する床の上にセットされ、人力により場面転換するという面白い設定であった、造作もよくできていると思った、ただ、場面転換が多すぎるように感じた
  • 出演者が4人だけという少人数なのが特徴で各俳優の演技が良く観れて良かった、主役はヨハニスの釜谷洸士とエルザの石川 桃だろう、釜谷はちょっと堅苦しいところが目立った、また、ところどころ大声で怒鳴るように話すところがあり、どうかなと思った、これは劇場収容人数が450人程度と大きすぎることもあるでしょう
  • 内容的にはナチスの思想の感化され、偏狭な考えに囲われた空間に生きていた若者がナチスが敵視するユダヤ人女性を家族がかくまっていたことに衝撃を受けるも、そのユダヤ人女性に惹かれていき葛藤する中でナチスの敗北により戦争が終わってぼう然とする、というところかと思ったが、第1幕の途中から集中力が途切れてしまい、演劇の内容が良く理解できなかった
  • 開演時間を間違えて開演1時間前に到着したので、プログラムを買い、席でじっくりと読み、大体のところは把握して臨んだけど、集中できなかった、なぜだろうか、何となく物語が観念的すぎて単調であるためかもしれない
  • 従って、劇団がこの演劇で何を観客に訴えたいのか、肝心のところがわからなかった、ナチスのような全体主義の思想にとらわれて自己を見失ってはいけない、ということなのか
  • プログラムの中には、「他人の命を救うためには自分や愛する者たちの生命を危険にさらされるか?」というデジレ・ゲーゼンツヴィ氏の解説があるが、惚れたエルザを助けるために家族を危険にさらすことができるのか、というのがそれなのか、そして結局、母がその犠牲になったということなのだろうか、そうであるとすれば、終戦後、エルザはヨハニスを置いて囲まれた空間を去って行き、二人はばらばらになるので、エルザを助けた代償はあまりに大きいということになる
  • プログラムに岡真理氏(早稲田大学文学学術院教授)の投稿があり、氏は「エルサを手に入れるためにヨハニスはあらゆる努力をし、彼をそれを愛ゆえの自己犠牲と考えるが、実際は自分本位な自己愛であることに気づかない」とあるから、そうなのかもしれない、更に氏は「エルサはヨハニスが自らの罪(ナチス信奉?)を告白して謝罪する機会を封じ、赦しを永遠に与えないという最悪の形で彼を罰する」と書いているのでヨハニスには救いがないということになる

さて、

  • この日は終演後、出演者と観客の交流会があったので参加してみた、半分以上の人が参加する熱の入れようだった、出演者のそれぞれのいろんな考えや苦労話、舞台裏の状況などが聞けて良かった、司会もうまかった

  • プログラムの岡真理氏の投稿を読んで「はて?」と思った、氏はエルサがヨハニスが罪を告白して謝罪する云々のあとに、元「慰安婦」のハルモニの「謝罪されなければ、赦すことができない」という言葉を思い出すと書いている、また、ナチズムに関係づけて「アラブ人はすべて敵」と見做す国民教育を行っているなどとイスラエルの批判をしている
  • 演劇にかこつけて慰安婦やパレスチナ問題などの自己の政治的主張をするのは演劇の政治利用であり慎むべきだ、そのような意見を主張をするのは自由だが、演劇と関係ないところでやってもらいたい

難しい演劇でした


ドナルド・キーン「正岡子規」を読む(2/2)

2024年12月18日 | 読書

(承前)

著者が書く子規の詩や思想、著者の見解について私が気になった所を抜粋してみた

  • 子規は文章にやたらと漢語を挿入して母国語の美しさを顧みない日本人を嘲笑し、やたらと英語を使いたがる明治の日本人に苛立った(第4章)、しかし、子規は日本語よりも自分の言いたいことをがよりよく表現できるときは躊躇することなくいい語を使った(第5章)
    コメント
    今に続く日本人の悪弊であろう
  • 子規はエマーソンの評価の基準である「美と崇高」によって日本文学を評価し、近松の浄瑠璃の美に感嘆しても崇高さに欠けシェイクスピアに劣ると評し、その両方を体現しているのが露伴だとした(第4章)
  • ほととぎす第1号に子規は「俳句は何のために役立つかと問うものあれば、何の役にも立たないと答えよう、しかし無用だからと言って私は俳句を捨てない、無用のものは有害なものよりましだからだ、無用の用ということがある」とユーモラスに答えている(第7章)
  • 子規は何千もの俳句を読んで分類したがそこから得た知識から大して恩恵を感じていない、もっぱら芭蕉と蕪村のみからだけ学んだ、ただ子規は芭蕉の俳句を過少評価し、蕪村の俳句の方が自分の理想に近いと評価した結果、蕪村は名声を得た(第8章)
  • 明治28年に書かれた子規の漢詩「正岡行」には自分の仕事が自分並びに正岡家に一種の永続性をもたらしてくれと願っていることが書かれている(第8章)
  • 詩歌のジャンルすべてに子規は関心を持ち続けたが、現在、主に知られているのは俳句の詩人、批評家としての子規である(第9章)
    コメント
    詩歌の批評家としての子規という一面を知らなかった
  • 万葉集以外の歴代の勅撰和歌集には西洋や中国の詩人と違って日本の詩人は一般に戦争や地位の失墜など、人間の悩みの原因となる素材を取り扱わなかった、子規はこれを君臣間の交わりが常に親和性に富んでいたからだとしている、また、欧米諸国の詩歌は人間社会の出来事について書き、日本と中国は自然を書くため短くなる、これを日本には優れた大作がないと批判する向きがあるが、高尚な観念や広々と遥かな味わいが、果たして生存競争や優勝劣敗の騒ぎから生じる人間社会のごたごたの中にあるだろうかとしている(第9章)
    コメント
    欧米との比較して日本を批判する人が多いが子規と同様に欧米のやることにこそ批判の目を常に持つべきでしょう、現在でいえば環境問題など
  • 子規は自分が読んでいる書物の評価で大体において厳しく、しぶしぶ称賛の言葉を与えることはあってもむしろ作者の無能を暴露することの方に関心があった、まれな例として樋口一葉の「たけくらべ」に対する賛辞がある(第10章)
    コメント
    私も一葉の作品を読んだが(こちら)、良い小説だと思った
  • 若い画家の芸術的才能をだめにしてしまう伝統的な日本画の教え方の例としていくつか挙げている、例えば、先生が跳ね上がる鯉と浮き草を書けば弟子も跳ね上がる鯉と浮き草を書く、この甚だしい趣向の乏しさはどうしたことか、いかに筆遣いや色彩に優れていても自分で趣向を凝らさなければ、それは芸術ではなく職人的な技術である(第10章)
    コメント
    全くその通りだと思う、芸術に限らず今の大学の研究室でも同じことが起こっているのではないか、日本近現代史について教授が日本罪悪史観の論者なら、弟子が「そんなことはない」と言えば出世できないし、その研究には予算もつかないでしょう、日本中いたるところで同じことが起こっている、多様性が大事だと言うが多様性がないのが学問の世界である
  • 子規は外国文化が日本に入ってくることの是非を問い続けた、子規は意外なことに古い慣習を保持することに賛成である(第10章)
  • 子規は1人の歌人(長塚節)を深く愛していた、それは21歳の男で、二人の間には明らかな肉体関係はなかった、それは子規が体が不自由で病床から動けなかったからだ
  • 子規は普通の愛情に欠けた冷たい理性的な人間、些細なことにも非常に腹を立て、叱り、泣いたこともある、また感情を素直に出さない冷徹な拒絶もあった、女性に対する関心の欠如もあった、母と妹に対して長年にわたって辛抱強く面倒を見てくれたことに対する十分な謝意を示さなかったと言われている(第12章)
  • 子規には欠点もあったが、こうした欠点が子規の作品に対する我々の評価を変えるわけではない、言うまでもないがいかなる時代のいかなる国にも自惚れが強く貪欲で勝手次第でありながら偉大な人物というものはいた(第12章)
    コメント
    全く同感である、品行方正で実力もある人などいない、政治家もそうでしょう、それがわからないのが新聞であり、わかっているのが多くの国民だ、最近、アメリカと日本において話題になった選挙の結果はその良い例でしょう

最後に、

  • この本は子規の生涯について著者が調べた事実を記したものであり子規をモデルにした小説ではない、そのため、わからないことはわからないと書いてある、例えば、現象と本質の違いについて述べた叔父の言葉がなぜ啓示となって子規を感動させ哲学を勉強せずにいられなくなったのか(第2章)、子規が何で愛国的になったのか(第5章)、なぜ短歌に打ち込むようになったのか(第9章)などをわからないとしている、その点で必ずしも面白い読み物ではないかもしれない
  • 本書で子規は俳句や短歌に革命をもたらしたと書いてあるが、その具体的な内容が何なのかずばりと書いてないように思う、俳句については写実を重視し、曖昧さや感情を排除し、言葉の無駄を嫌ったなどがそうなのか
  • いまNHKで司馬遼太郎の「坂の上の雲」を放送している、それを見ると子規が出てくる、まだ半分くらいまでしか見ていないが、そこで描かれている子規が本書で知り得た子規の人物像と全く異なる点に違和感を覚えた、正反対の性格なのだ、いずれが正しいのだろうか
  • 本書で子規と漱石の交わりを書いているがもっとどういう意見の交換をしたのか、どういう交わりだったのか知りたかった、また、テレビ「坂の上の雲」では秋山真之や森鴎外との交わりを描いているが、本書では全く出てこないのを不思議に感じた

勉強になりました

(完)


アーディゾン美術館「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」展を観た

2024年12月17日 | 美術館・博物館

アーディゾン美術館「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×毛利悠子—ピュシスについて」展を観に行ってきた、チケット事前購入で1,200円、これで同時開催中の他の2つの展覧会も入れる

アーティゾン美術館は、2020年の開館以来、石橋財団コレクションとアーティストとの共演、「ジャム・セッション」展を毎年開催しており今回は第5回目、国際的なアートシーンで注目を集めるアーティスト毛利悠子とのジャムセッション、昨年の山口晃氏とのジャムセッションも観に来て面白かった(こちら)


(美術館HPより拝借)

主催者の説明によれば、「ピュシス」は、通例「自然」あるいは「本性」と訳される古代ギリシア語、今日の哲学にまで至る初期ギリシア哲学では、「ピュシス」が中心的考察対象となっていたそうだ、知らなかったけど

毛利悠子さん(1980年生れ)は、主にインスタレーションや彫刻を通じて、磁力や電流、空気や埃、水や温度といった、ある特定の空間が潜在的に有する流れや変化する事象に形を与え、立ち会った人々の新たな知覚の回路を開く試みを行っている、絶えず変化するみずみずしい動静として世界を捉える哲学者の姿勢は毛利さんのそれと重ねてみることができる、ということらしい、よくわからないけど

展示場所は6階のフロアー全体を使っていた、展覧会の入口の前に既に毛利さんの作品が2つ置いてある

入口を入ると登り坂の道になっており、インスタレーションと絵画が展示してある

そこを通り抜けると区切りのない広々としたスペースになり、いろんなオブジェというか作品が展示してある、光を発するものもあるので室内はけっこう薄暗い

毛利さんの作品は何かを暗示している抽象的なものが多く作者がそこで何を主張しているのかが全く分からない、作品番号だけが床や壁に書いてあるが、それを探すのが一苦労な作品もあった

作品名などの情報と簡単な作品解説が書いてある方がわかりやすいが、それをすると鑑賞者の自由な発想を邪魔すると作者は考えているのかもしれない、けっこう奇抜なものと感じた作品も多かった

絵画の方は藤島武二やパウル・クレー、マティス、モネなどが展示されていた、これが毛利さんの作品とどう結びつくのか、これもイメージできなかったのは私の想像力の貧弱さか、先日の古典音楽と現代音楽との時間を超えた共演(ランタンポレル)と同じような発想なのか、違うのか、芸術家というのは物事をちょっと難しく考えすぎなのではないかな

帰宅してからwebサイトを見て毛利さんの展覧会の説明動画があったのに気づき見てみると、次のように述べていて、やはりそうか、と思った部分も少なくなかった

  • 展示室にはなるべく壁を作りたくない、自分の作品は音、光、動きがあるので、すべての作品か共存する大きな景色を作りたい
  • 海の近くに住んでいたので、海岸でボーっとするような展示を作りたい
  • 会場全体を見渡せて、それぞれの動きが波のような感じるようにした(そういわれればそうかな)
  • 今年、モネが実際に海を見ていたところに行って、そこで撮影したビデオをインスタレーションの中に組み込んだ(それで海のビデオと波の音、その横にモネの絵画「雨のベリール」があったのか)

  • サウンドインスタレーションを作ってきたが、これは音を介して自然について考えたということかもしれない
  • サウンドインスタレーションとしてピアノやオルガン、雨の音が鳴ってたりして、この空間全体が一つの作品のように考えた(そう言われてみればそうかもしれない)、また、どこから音が聞こえてくるのか探しながら作品を体験してほしい
  • あまり説明を残していないし、順路もないので、自由に鑑賞して何か感じてほしい(やっぱりそうか)

同じく、帰宅後、彼女のホームページを見たら、過去の業績は素晴らしいものがあるすごい芸術家だということがわかった、彼女の業績を見ていくと「2016年、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館およびカムデン・アーツ・センターにてアーティスト・イン・レジデンス」、「作品はアシュモレアン美術館(オックスフォード)などに収蔵されている」とあるのを見てびっくりした

ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館はサウスケンジントンにあり、私が訪問したロンドン自然史博物館と並んである博物館であり、アシュモレアン美術館は私が訪問した美術館だ(こちら)。アシュモレアンにある彼女の作品に気付かなかったのは恥ずかしい限りだ(多分、訪問時は展示してなかったと思う)、もっとよく事前調査して臨むべきだった

なかなか1回観ただけで理解できるような簡単なものではないということがわかった


産経「話の肖像画(藤崎一郎)」を読む(1/2)、追記あり

2024年12月16日 | その他いろいろ

(2024/12/16 追記)

本日、「安倍明恵さん、トランプ氏と面会」というニュースが報道された、政府ルートによる面談ではないという

元駐米大使の藤崎一郎氏は産経新聞の「話の肖像画」の連載で、「安倍晋三首相はトランプさんとうまくやった、ほかの人では難しいとか訳知りで言う人がいるがなんの根拠もない」と述べ、安倍元首相の手腕を過少評価していたが、今回のニュースに接すると藤崎氏の発言に疑問符が付いたと言わざるを得ない


(メラニア夫人のXより拝借)

トランプ夫妻は安倍元首相が凶弾に倒れた後、明恵夫人を慰め励まし続けてたそうであり、今日の3人一緒の写真はトランプ夫妻の人柄を示す温かい笑顔であふれている

安倍元首相と同様、失意の退陣から満を持して再登板をするトランプ氏には胸には秘するものがあるだろう、思う存分頑張ってほしいと願う人は多いのではないか

(2024/10/11 当初投稿)

9月の産経新聞に連載された元駐米大使の藤崎一郎氏へのインタビュー記事を読んでみた、藤崎氏は昭和22年生れ、外務省北米局長、外務審議官、駐米大使などを歴任、退官後も重要な役職を歴任されており、日本のエリートの一人であろう

この連載は記者による日本外交や藤崎氏の来し方に関するいろんな質問に藤崎氏が答える体裁をとっている、全部で29回の連載なのでそれなりの内容になっていて、非常に参考になったが、違和感を覚えたところも少なくない、その点について藤崎氏の発言を引用し、自分のコメントを書いてみた

藤崎氏

日本は安全保障を米国に委ねてはいるが、米国に遠慮しすぎて当然視されてはいけない(第2回)

コメント

日本が安全保障を米国に委ねているという考えがおかしいのではないか、自国は自国で防衛するというのがまず第1で、アメリカ軍は応援するということではないのか、ドイツ首相は「ドイツの安全保障はNATOに委ねている」などとは発言しないでしょう

藤崎氏

私は正直、中国の習近平主席の優先順位は台湾ではないだろうと思っている(第3回)

コメント

独裁者というものを分かっていない、ロシア軍がウクライナに迫っているとき、プーチンもバカじゃないのでウクライナを侵略するはずないと言っていた識者が大多数だった、独裁者は西側の理屈では動かない

藤崎氏

最も重要な貿易相手国である中国との関係は大事だ、決して無用な摩擦はすべきではない(第3回)

コメント

無用な摩擦はすべきではないが、時に必要な摩擦は避けてはいけないのではないか

そもそも摩擦を繰り返し起こしているのは中国であり、戦前と同じだ、尖閣列島に対する挑発行為、日本人の不当拘束、駐日大使の「火の海」発言、ブイの設置、領空侵犯、靖国神社への落書、NHKラジオにおける不適切発言、日本人の子供の殺害・・・これらの横暴に対して「摩擦を起こしてはいけない」という理由で対抗措置が取れていないのが日本だ、中国はそこに付け込んできており、どんどんエスカレートしてる、このような日本の外交は問題の解決どころがさらなる悪化を招いている

藤崎氏

「言うべきことを言え」とか言われるが、そんなことは当然やっている、それ公にするかだ(第5回)

コメント

やっている部分も当然あるでしょうが、もし本当に常にそうしてるならば、相手国の行動に何らかの変化が出るでしょう、また、国際世論に訴えることももっとすべきだ、そして言うだけではダメだ、状況が改善しなければ対抗措置をとるべきでしょう、どうしたら二国間の緊張を増大させず国際世論が納得する対抗措置がとれるかを考えるのが官僚や政治家の仕事でしょう、そういう姿勢が感じられない

藤崎氏

国家にとって大事な国益は、安全保障、経済的繁栄と国の尊厳だろう(第5回)

コメント

戦後外交は国の尊厳を軽視してきた、具体的な事例はきりがない、例えば、教科書問題、慰安婦問題や徴用工問題で事実を内外に向かって説明せず、相手国が騒ぐとその場しのぎの譲歩をし、日本の名誉を貶めた、海外にいくつも慰安婦像が建つのを防げていない、隣国との外交戦で国益を確保できていない

藤崎氏

溜飲の下がる外交は中長期的に危ない、考えてみると、背伸びしない外交をやった典型的な事例がポーツマス条約を締結した小村寿太郎と、国際協調路線を打ち出した幣原喜重郎だ、彼らは当時、「軟弱外交」のそしりを受けた(第5回)

コメント

  • 溜飲の下がる外交をしろとは誰も言っていない、国益の確保より「相手を刺激しない」ということが最優先になっている現状に疑問を呈しているだけだ、相手国との友好が国民の安全や領土、国家の尊厳より大事であると考えているのではないかと懸念しているだけだ。やるべきことを粛々と実施すればいいだけで、例えば韓国に対する半導体関連材料3品目の輸出規制強化措置などは溜飲の下がる外交ではないだろう
  • 幣原外交を評価しているようだが、幣原は英米との協調重視を主張していた点で評価できるが、中国軍による居留外国人民に対する殺害事件(昭和2年の南京事件など)に対し日中友好を重視して日本だけが軍事的対応を取らず、現地日本人を犠牲にした、しかし、事態はさらに悪化し関東軍が勝手な行動を起こすきっかけを作った点で評価できない

続く


ドナルド・キーン「正岡子規」を読む(1/2)

2024年12月16日 | 読書

どういうきっかけか忘れたがドナルド・キーン氏の書いた「正岡子規」(新潮文庫)を読んでみた

読後の記憶を整理する意味で、赤線を引きた部分から抜粋して子規の人生の概略をまとめてみた

第1章 士族の子

子規は伊予松山の武士階級の生まれ、外遊びが苦手な子供で、よくいじめられた、家にいて貸本屋から借りた本を読むのが好きで、14才頃から書画会や詩会などをやるようになった

第2章 哲学、詩歌、ベースボール

中学校長の影響で政治集会に参加、叔父の影響で哲学に興味を抱き、西洋に目を向け英語で小説などを読む、その後松山の俳人らの影響もあり詩歌に魅了され、身体の弱さを克服するためにベースボールに熱中する

第3章 畏友漱石との交わり

突然喀血する、大学予備門で偶然に漱石と出会い友達になった、漱石は子規の作品を賞賛したが欠点も指摘した、アイディアを得るためにもっと本を読めと言った、子規は漱石の苦悩を理解しなかった、俳句を生涯の仕事とする自覚をもつ

第4章 小説「銀世界」と「月の都」を物す

小説を読むのが好きだった、馬琴・西鶴・近松・露伴・逍遥・四迷など、詩人より小説家が金になると思い、言文一致の小説に反対し文語体で書いた小説を露伴に送ったが賛辞はなく、詩人で生きていく決意をする

第5章 従軍記者として清に渡る

叔父の紹介で新聞社主の陸羯南(丸山眞男氏がこの人の小論を読めと言っていた人だ→こちら:最後の方のあとがき)が用意した根岸の住宅に引っ越し、新聞「日本」の社員となって詩や紀行文などを投稿し人気を呼ぶ、日清戦争により文化記事を主体にした新聞「小日本」の編集責任者になる、愛国主義者となり従軍するが処遇に落胆し持病を悪化させた

第6章 「写生」の発見

松山に帰り漱石と同居した、「小日本」の挿絵を描く中村不折と知り合い西洋画の写生の重要性を知り自分の俳句の原理にし、無名の俳人蕪村の写生に秀でた句を評価した、脊椎カリエスを発症、弟子の虚子との断絶が起こる、雑誌「ほととぎす」出版を決意

第7章 俳句の革新

「ほととぎす」の発行で俳句芸術の宗匠としての名声を確立し、自分の一派を作ることに熱心になる、子規は感情表現や曖昧さを教えず、自然を忠実に描くことを教えた、子規の健康は悪化し続けた、2度の手術は失敗した

第8章 新体詩と漢詩

17文字では詩人は自分自身を表現できないため、子規は自分の新体詩に詩的魅力を与えないではいられなかった、武士階級に属していた子規は武士の血筋の証として漢詩を作ったが日清戦争の勝利により漢詩は教育の中心的地位を失った

第9章 短歌の改革者となる

晩年になってから短歌に対する関心に目覚め、「歌詠みに与ふる書」で短歌の改革を世に問う、子規は紀貫之の流れを汲むものではなく、宮廷歌人に倣うものでもなく、自分の病気を歌に詠んだ

第10章 途方もない意志力で書き続けた奇跡

子規は随筆により経験と回想を語り詩人や歌人に絶大な影響力を持った、日本画の擁護者となり写生を重視し、伝統的な日本画の教え方を批判する一方、中村不折を称賛した

第11章 随筆「病床六尺」と日記「仰臥漫録」

病状は悪化し、看病をする母や妹の律に癇癪を起すなどつらく当たった、一方看病疲れの律が病気にならないか心配とも書いてある、やがて精神に変調をきたし自殺も考えるようになった

第12章 辞世の句

子規は死の三日前まで新聞「日本」に「病床六尺」を書き続けた、しかし、ついに明治35年9月19日に亡くなる、享年34才

(続く)


渋谷「名曲喫茶ライオン」に行く(2024年)

2024年12月15日 | カフェ・喫茶店

この日は夜、渋谷で観劇、せっかく渋谷に行くから観劇前に久しぶりにライオンに行ってみた、夕方5時過ぎに到着、もう暗くなっていた

ここは渋谷の道玄坂を登って行ったところの右側にある百軒店(ひゃくけんだな)の奥の方にある、百軒店は道頓堀劇場などもあり雑然としているところ、およそクラシック音楽とは真逆の雰囲気である、この点は吉祥寺の名曲喫茶バロックのある場所も同じだ

中に入ると直ぐに座れた、前回来た時と別の位置が良いと思い、この日は正面スピーカーに向かって左側の前の方に席に腰かけた、ここの席は全て正面のスピーカーの方を向いている

コーヒーを注文、ケーキなどは無いようだ、内部は昨年来た時と変わっていない、何しろ正面の上部に設置してあるスピーカーが大きく目を見張る、ここは立体音響と謳っており、2階席もあることからそのような位置に配置しているのかな、と思った

正面の床からスピーカーの間には棚があり、レコードプレーヤーやCD再生装置、レコードが収納してある、レコードはLPが大部分だがCDも見える、アナログ再生だけにこだわってはいないようだ

コーヒーと一緒にプログラムと称するペーパーをくれる、そこには12月1日から15日までのライオン・コンサートの曲目が書いてある、“毎日午後3時と7時に演奏”と書いてあるがこれはステレオ演奏という意味でしょう、“それ以外の時間帯にはリクエスト曲を演奏”と書いてある

私が滞在した50分くらいの間にかかっていた曲はバッハ、シューマンなどであった、かかっている曲のレコードは正面の棚に見えるように置いてくれるので確認したい人は見に行けばよいし、曲のはじめか終わりにマイクで曲名を放送してくれる

店内を見回すと、ここではじっくりと曲を聴くというよりはテーブルでパソコンやタブレット、本などを出して作業をしている人が多いのが特徴である、入口を入って右側にはボックス席のような席もあり作業に集中できそうだ、一人で来店する人が大部分なので話している人はいない

お客さんには外国人もいた、2、3人で来てひそひそ声で「すごいところだな」と驚いた感じの表情をしていた

この日は後に演劇鑑賞があるのであまり時間が取れなかったがたまには来てじっくりと時間を取って過ごすべきところでしょう、ただ、写真撮影禁止なのは再考してもらいたい、また、座席が窮屈で長居するには厳しい気がした、何かの機会に改善してもらいたいと思った


(道玄坂)

無くなってほしくない喫茶店である