可能性に住んでいる

2017-04-03 14:09:23 | 
昨日の競馬に限らず、これまでの人生も外しっぱなしのような気もするが絶えずこれだけは忘れないでいる。「わたしは可能性に住んでいる」前に書いたこともある「答えはひとつではない」と同列にある言葉です。
詩人エミリー・ディキンスンを知ったのは学生時代、講義を受けた岩田典子氏からだ。先生はディキンスンの研究者であった。英語の授業にディキンスンの詩を用いた。まったく知らない詩人であったが、詩の強烈な個性にびっくりした。ディキンスンの詩は詩人の死後注目を浴びた。ほとんどを自分の部屋で過ごしていたというディキンスンの詩の比喩はぼくに美しい世界をもたらした。言語の違いを通り越して犯し難い自分の世界というものを感じさせてくれた。
次の詩も見事な比喩です。岩田先生の訳です。


        わたしは可能性に住んでいる
                       エミリ・ディキンスン

    わたしは可能性に住んでいる
    散文よりも美しい家
    窓もずっと多く
    扉も はるかに素晴らしい

    どの部屋も 誰の目も寄せつけない
    ヒマラヤ杉の木立
    果てしなく続く屋根は
    駒形切妻の空

    訪れるのは 最も美しいひとたち
    仕事は これ
    小さな両手を大きく広げ
    楽園を抱きしめること
コメント (2)
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