吟遊への思い

2017-04-12 19:57:18 | 独り言
映画「はなれ瞽女おりん」を見た後、三味線を抱えて下北半島の深い柔らかい雪に埋もれて死んでゆく絵を見ていた。

ギョーム・ド・マショーの声楽曲を聞いた後、古い町並みの路地で古楽器を弾いて詩を朗読している絵を見た。
その頃、どこであったかコンサートホールでギョーム・ド・マシューの音楽を聞いた。以来<ギョーム・ド・マシュ-・アンサブル>と思ってきたがどうもこのアンサンブル名は違うらしい。6人ぐらいの外国人の声楽であった。
それまで宗教音楽はあまり聞こうとしなかったのになぜ行ったんだろう。しかし初めて聞いた声楽は神秘的だった。霊を信じるとすればその響きだった。吟遊詩人の姿を見た。

「アカシアの雨がやむとき」の詞をを読んでいて<アカシアの雨がやむとき 青空さして鳩が飛ぶ 紫の羽の色 それはベンチの片隅で 冷たくなった 私のぬけがら>
紫色の雨上がりの公園でサックスを吹いている絵を見ていた。

「The Last Rose Of Summmer」はみんな居なくなってしまって私一人になってしまったという歌だ。去年、「The Last Rose Of Summmer]」(庭の千草)を流しながら、荒廃した国土で戦士した兵士とひょっとして送り込まれるかもしれない市民のことを書いた自作詩「バラン」を朗読した。その後、その会場に居た知人が、そのまま九州である朗読会に持っていかないかと誘ってくれた。

今は、詩による曲ではなくて、既存の曲に乗せて詩を朗読するのもいいと思っている。イギリスやドイツのフォークソング、ナポリのフォークソング(海に来たれ)などを流しながら、自分が作った詩を朗読するのもいいなと、少しの感触を得ている。日本語の訳詩で原曲の響きは出しにくい。全く違う詩であっていい。雰囲気で合いそうな曲を弾きながら、好きな詩の朗読をしてみるのもいいだろう。詩を吟遊して歩きたい。下北の深い雪に埋もれるまで。
 
コメント (3)
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