孫軟児《そんなんじ》たちをはじめ、張著など、身内のすぐに見つからない少年少女、あるいは身内を失くした者は、壺中《こちゅう》から救い出されたのち、孔明の采配で、少年は趙雲のところ、少女は甘夫人《かんふじん》と麋夫人《びふじん》のところで匿《かくま》ってもらうことになっていた。
孫軟児は、阿斗の世話係というところに落ち着いているようである。
しかし軟児の赤子の抱き方は、あまりよいとはいえない。
赤ん坊の世話をあまりしたことのない者の抱き方だというのは、子育ての経験のない趙雲でもわかった。
そのため阿斗は軟児の腕の中で、ぴちぴちと跳ねるとれたての魚のような姿勢で、ずっと泣きっぱなしだった。
早く孔明たちの顔を見たかったが、仕方ない。
趙雲は中庭に降りると、軟児に言った。
「阿斗さまをこちらへ貸してみるがいい」
軟児は目をぱちくりさせつつ、おそるおそるというふうに、泣き続ける阿斗を趙雲に渡してきた。
趙家の末っ子として生まれたので弟妹もおらず、赤ん坊の世話などしたこともない。
だが、甘夫人がやっていたことは、よく観察していた。
たしか、奥方様はこうやって抱いていたはずだなと、見よう見真似《みまね》で、そのちいさな尻に手をまわす。
阿斗のからだからは、甘い乳の香りがした。
すると、ぴたっと手の位置がはまったらしく、火が付いたように泣いていた阿斗は、すっと涙をひっこめ、おとなしくなった。
少女たちがおおっ、と感嘆の声をあげる。
「子龍さま、すごい!」
「あんなにお泣きになっていた阿斗さまが、静かになったわ」
阿斗からすれば、ちょうど耳のあたりに趙雲の胸があたり、その鼓動が聞こえるのも落ち着く原因なのだろう。
少女たちの、自分を見る目があまりにキラキラと輝いているのが、なんだかこそばゆい。
「子龍さまは子育ての才能がおありなのかもしれないわね。わたしたちとはちがうのよ」
と、出っ歯の少女が、真剣な顔をして言った。
そんな才能、あるのかなと趙雲が困惑していると、なぜだか軟児はえへんと威張って、ふたりの少女に言った。
「そうよ、子龍さまは天才ですもの、なんでもお出来になるのよ」
「『なんでも』は出来ないぞ」
趙雲が思わず反論すると、軟児は今度はふしぎそうに首をかしげた。
「あら、ご謙遜ですね、子龍さま。軍師さまがおっしゃっていたもの。
『子龍は自分を知らないだけだ。かれはちょっとコツをつかむだけで、なんでもやり通すことのできるひとなのだよ』って」
すると、聞いていた少女たちが、けらけらと声をたてて笑い出した。
「似てる! 軍師さまにそっくり!」
「そうでしょう。わたし、人のまねをするのが得意なの」
言いながら、軟児は孔明がよくするように、おくれ毛をかきあげるしぐさまでやってのけて、思わず趙雲も笑ってしまった。
「ところでおまえたち、奥方様がたはどうした。奥向きで朝の支度をされているのか」
趙雲が問うと、少女たちはいっせいに、うんと答えた。
「奥方様がたがお忙しそうだったので、あたしたちが子守りを買って出たんです」
と、面長の少女がすまして言った。
「でもあまりお役に立てなかったみたい」
「子龍さまが来てくださってよかった。
子龍さまは、いつでもわたしが困っているときに来てくださるのよ、ねえ?」
軟児はまた得意そうに少女たちに自慢する。
趙雲は、たまたま通りがかっただけだと言いづらくなってしまった。
「あらあら、なんだか楽しそうね」
奥向きのほうから、侍女たちをつれて、甘夫人と麋夫人がやってきた。
甘夫人は、ふくよかな顔に柔和な笑みを浮かべて、軟児たちをねぎらった。
そのうえで、趙雲から阿斗を引き取る。
「みんな、阿斗のお守りをどうもありがとう。
もういいですよ。おなかが空いたでしょう。朝餉《あさげ》をとっておいで」
面長の少女と、リスのような少女は、夫人たちにぺこりと頭を下げると、それぞれ、おなかがペコペコ、とぼやきながら、去っていった。
だが軟児だけは、はい、と返事をしたものの、なかなか立ち去ろうとしない。
ちらっ、ちらっとこちらをうかがっているのに、趙雲も気づいた。
おまえも早くいけというのもなんだか可哀そうな気がして、趙雲が口をだしかねていると、甘夫人のとなりにひっそりと控えていた麋夫人が、ころころと笑い出した。
「子龍どのは忘れていることがあるようね」
「それがしが、ですか」
なんだろうと思案していると、軟児はわからないのか、というふうに上目遣《うわめづか》いに見てきた。
「あらあら、子龍どのは忙しいから、忘れてしまったようね。あなたは軟児に読み書きを教えてあげると約束したそうではないの」
そこまで言われて、趙雲は思い出した。
新野城に来たとき、親と再会できなかった悲しみで、軟児はふさぎこんでいた。
励ますために、趙雲は軟児といろいろ話をしたのだが、そのなかで、軟児は壺中から文字をおそわっていたことを語った。
ところが、一連の騒動でそれが途中となってしまったので、がっかりしているとも言った。
そこで趙雲は、軽い気持ちで、それならおれが勉強のつづきができるよう手はずをととのえてやろうと言ったのだ。
自分が教えるつもりではなかった。
ところが、趙雲になついている軟児は、趙雲自身から教えてもらうつもりでいるらしい。
「そ、そうか、すまなかったな、忘れていたわけではないのだが……」
軟児は頬をふぐのようにぷっくりふくらませて、目を三角にした。
「わたし、楽しみにしていたのに」
「まあまあ、軟児、そう怒っては子龍どのが気の毒よ。
いまは子龍どのは忙しいのです。かまってもらいたければ、子龍どのの時間が空いた時になさい」
麋夫人のとりなしで、軟児もしぶしぶ、というふうに納得したようだ。
「軟児といい、阿斗といい、子龍どのは子供にも好かれるのね」
甘夫人が、やわらかく笑いながら言った。
「わたしからもお願いします。時間ができたら、軟児の相手もしてあげてちょうだい。
あなたが忙しいのはわかっているけれど、軟児が、あなたが男の子たちばかりに構っているとしょげているのを見るのは、わたしたちもつらいのよ」
「わかり申した。仰《おお》せのとおりにいたします」
「ですって。よかったわね、軟児」
「はい。ありがとうございます、奥方様!」
軟児は飛び跳ねんばかりに無邪気に喜んで、それから、やっと気づいて甘夫人と麋夫人に頭を下げた。
つづく
孫軟児は、阿斗の世話係というところに落ち着いているようである。
しかし軟児の赤子の抱き方は、あまりよいとはいえない。
赤ん坊の世話をあまりしたことのない者の抱き方だというのは、子育ての経験のない趙雲でもわかった。
そのため阿斗は軟児の腕の中で、ぴちぴちと跳ねるとれたての魚のような姿勢で、ずっと泣きっぱなしだった。
早く孔明たちの顔を見たかったが、仕方ない。
趙雲は中庭に降りると、軟児に言った。
「阿斗さまをこちらへ貸してみるがいい」
軟児は目をぱちくりさせつつ、おそるおそるというふうに、泣き続ける阿斗を趙雲に渡してきた。
趙家の末っ子として生まれたので弟妹もおらず、赤ん坊の世話などしたこともない。
だが、甘夫人がやっていたことは、よく観察していた。
たしか、奥方様はこうやって抱いていたはずだなと、見よう見真似《みまね》で、そのちいさな尻に手をまわす。
阿斗のからだからは、甘い乳の香りがした。
すると、ぴたっと手の位置がはまったらしく、火が付いたように泣いていた阿斗は、すっと涙をひっこめ、おとなしくなった。
少女たちがおおっ、と感嘆の声をあげる。
「子龍さま、すごい!」
「あんなにお泣きになっていた阿斗さまが、静かになったわ」
阿斗からすれば、ちょうど耳のあたりに趙雲の胸があたり、その鼓動が聞こえるのも落ち着く原因なのだろう。
少女たちの、自分を見る目があまりにキラキラと輝いているのが、なんだかこそばゆい。
「子龍さまは子育ての才能がおありなのかもしれないわね。わたしたちとはちがうのよ」
と、出っ歯の少女が、真剣な顔をして言った。
そんな才能、あるのかなと趙雲が困惑していると、なぜだか軟児はえへんと威張って、ふたりの少女に言った。
「そうよ、子龍さまは天才ですもの、なんでもお出来になるのよ」
「『なんでも』は出来ないぞ」
趙雲が思わず反論すると、軟児は今度はふしぎそうに首をかしげた。
「あら、ご謙遜ですね、子龍さま。軍師さまがおっしゃっていたもの。
『子龍は自分を知らないだけだ。かれはちょっとコツをつかむだけで、なんでもやり通すことのできるひとなのだよ』って」
すると、聞いていた少女たちが、けらけらと声をたてて笑い出した。
「似てる! 軍師さまにそっくり!」
「そうでしょう。わたし、人のまねをするのが得意なの」
言いながら、軟児は孔明がよくするように、おくれ毛をかきあげるしぐさまでやってのけて、思わず趙雲も笑ってしまった。
「ところでおまえたち、奥方様がたはどうした。奥向きで朝の支度をされているのか」
趙雲が問うと、少女たちはいっせいに、うんと答えた。
「奥方様がたがお忙しそうだったので、あたしたちが子守りを買って出たんです」
と、面長の少女がすまして言った。
「でもあまりお役に立てなかったみたい」
「子龍さまが来てくださってよかった。
子龍さまは、いつでもわたしが困っているときに来てくださるのよ、ねえ?」
軟児はまた得意そうに少女たちに自慢する。
趙雲は、たまたま通りがかっただけだと言いづらくなってしまった。
「あらあら、なんだか楽しそうね」
奥向きのほうから、侍女たちをつれて、甘夫人と麋夫人がやってきた。
甘夫人は、ふくよかな顔に柔和な笑みを浮かべて、軟児たちをねぎらった。
そのうえで、趙雲から阿斗を引き取る。
「みんな、阿斗のお守りをどうもありがとう。
もういいですよ。おなかが空いたでしょう。朝餉《あさげ》をとっておいで」
面長の少女と、リスのような少女は、夫人たちにぺこりと頭を下げると、それぞれ、おなかがペコペコ、とぼやきながら、去っていった。
だが軟児だけは、はい、と返事をしたものの、なかなか立ち去ろうとしない。
ちらっ、ちらっとこちらをうかがっているのに、趙雲も気づいた。
おまえも早くいけというのもなんだか可哀そうな気がして、趙雲が口をだしかねていると、甘夫人のとなりにひっそりと控えていた麋夫人が、ころころと笑い出した。
「子龍どのは忘れていることがあるようね」
「それがしが、ですか」
なんだろうと思案していると、軟児はわからないのか、というふうに上目遣《うわめづか》いに見てきた。
「あらあら、子龍どのは忙しいから、忘れてしまったようね。あなたは軟児に読み書きを教えてあげると約束したそうではないの」
そこまで言われて、趙雲は思い出した。
新野城に来たとき、親と再会できなかった悲しみで、軟児はふさぎこんでいた。
励ますために、趙雲は軟児といろいろ話をしたのだが、そのなかで、軟児は壺中から文字をおそわっていたことを語った。
ところが、一連の騒動でそれが途中となってしまったので、がっかりしているとも言った。
そこで趙雲は、軽い気持ちで、それならおれが勉強のつづきができるよう手はずをととのえてやろうと言ったのだ。
自分が教えるつもりではなかった。
ところが、趙雲になついている軟児は、趙雲自身から教えてもらうつもりでいるらしい。
「そ、そうか、すまなかったな、忘れていたわけではないのだが……」
軟児は頬をふぐのようにぷっくりふくらませて、目を三角にした。
「わたし、楽しみにしていたのに」
「まあまあ、軟児、そう怒っては子龍どのが気の毒よ。
いまは子龍どのは忙しいのです。かまってもらいたければ、子龍どのの時間が空いた時になさい」
麋夫人のとりなしで、軟児もしぶしぶ、というふうに納得したようだ。
「軟児といい、阿斗といい、子龍どのは子供にも好かれるのね」
甘夫人が、やわらかく笑いながら言った。
「わたしからもお願いします。時間ができたら、軟児の相手もしてあげてちょうだい。
あなたが忙しいのはわかっているけれど、軟児が、あなたが男の子たちばかりに構っているとしょげているのを見るのは、わたしたちもつらいのよ」
「わかり申した。仰《おお》せのとおりにいたします」
「ですって。よかったわね、軟児」
「はい。ありがとうございます、奥方様!」
軟児は飛び跳ねんばかりに無邪気に喜んで、それから、やっと気づいて甘夫人と麋夫人に頭を下げた。
つづく
※ 最後まで読んでくださったみなさま、ありがとうございます!
そして、ブログ村および、ブログランキングに投票してくださった方、フォローを入れてくださった方、重ねてどうもありがとうございます!(^^)!
とっても励みになりますー♪
これからも創作をがんばります!
今日はちょっと長めの分量で更新しました。
書き直し前よりも、軟児がじつは孔明のものまねが得意、ということが明らかに……
なごやかな日常がつづきますが、さてさて、これからどうなるか?
ちょっとでも面白かったなら、下部バナーにありますブログ村及びブログランキングに投票していただけると、たいへんうれしいです。
どうぞご協力よろしくお願いいたしますv
ではでは、次回をお楽しみにー(*^▽^*)