それを見越したのか、女と男は交互に言った。
「曹操とは無縁の、よい場所を知っているわよ。そこに行ってみたいと思わない?」
「きみとおなじ年くらいの子供もたくさんいる、よい場所だよ。行ってみたいだろう?」
「食べることの心配はしなくていいのよ。家もちゃんとあるわ。あなたのための寝台だって、もう用意してあるの。どう? わたしたちと一緒に来ない?」
「でも、金がないよ」
阿瑯は搾り出すように言った。
もとより、なにも持たずに屋敷を飛び出した。
先のことも、いまもって考えていない。
「金なんぞいらぬよ。われらと一緒に来てみたらいい。きっと気に入るさ」
「名前はなんというの?」
「阿瑯」
「阿瑯、わたしたちは、きみのように賢くて、体力に優れた子供をさがしていたのだ」
「そして世間知らずの、まだ無垢な子供。そうでしょう?」
あたりに響くような、凛とした声がした。
思わず阿瑯は、背筋を伸ばして、声の主を探す。
そうして、阿瑯は息を呑んだ。
冴え冴えした月光のもと、男装をした女が立っていた。
その眼差しはきびしいが、冷たいものではない。
阿瑯の心は逸《はや》った。
一瞬、おくさまが迎えにきてくれたのかと思った。
おくさまに、このひとはそっくりだ。
夜風に衣の裾《すそ》をなびかせ、あらわれた女は、決然と、男女に言う。
「正直に伝えたらどうなの。食事も寝床も保障する、同じ年の仲間もたしかにいる。
だが、飢えから逃れられる代償は、人殺しになることだと。
それも戦場で堂々と敵と対峙《たいじ》する方法ではない。闇から闇へ、ありとあらゆる方法で、相手を葬り去る訓練をつむのが仕事なのだと」
「何者だ」
男が、それまでの明朗快活な様子を捨てて、とたんに豹変し、凶悪そうな表情を見せる。
だが、男装の女はひるむことなく、つづける。
「おまえたちは、おのれに誇りが持てるの? 首根っこを掴まれたような生活を強いられることが、ほんとうに真の幸福に繋がると信じているの?」
「おまえ、われらを知っているのか?」
男の問いかけに、女は答えた。
「知りたくないが、知ってしまった者。おとなしく『壷中』に帰りなさい。でなければ、いますぐ『壷中』を捨てるのね。悪いようにはしない」
阿瑯に優しげに話しかけていた男女の全身から、肌が|粟立《あわだ》つほどの殺気が吐き出される。
「だめか」
それまで夜に輝く月のように静かな表情であった男装の女は、はじめてその白い面貌に苦渋の表情を浮かべた。
阿瑯の目の前で、風が動いた。
形のない風が、ほんとうに動いたように見えた。
男の行動があまりに素早かったので、その姿が、風の動きに見えたのだ。
ぎらりと、夜闇に、月光を受けた刃が光る。
男は、地面を大きく蹴り上げると、真正面から、佇立《ちょりつ》する女の額めがけて、隠し持っていた刃を振り下ろした。
女は、襲撃してきた男の目をまっすぐに見て、身動きひとつしない。
すくんで動けない、というのではない。
自らのつむいだ言葉の結果を、そして彼らの行動の始終を、すべて双眸にしまおうという、貪欲で冷徹な顔をしていた。
ぐらり、と世界が歪む。
いままさに、女の額に刃を振り下ろさんとしていた男の姿が、ぐらりと揺れた。
女の周囲にはりめぐらされた、見えない壁にはじかれたように見えた。
しかし、地面にもんどりうった男の腕には、縄標《じょうひょう》が巻きついていた。
女は、さほど驚くふうでもなく、闇の向こうにむかって、言う。
「ありがとう、信じていたわ」
「役に立てたようだな」
闇のなかから、今度は、いかつい禿げ頭の男があらわれた。
「だが、わけがわからぬ。そいつが『狗屠《くと》』とも思えぬし」
禿げ頭は悪態をつきつつ、ちからまかせに、縄標をひっぱる。
一方の若い男は、しばらく引きずられるままになっていたが、空いた片側の手に砂をつかむと、それを禿げ頭の顔面めがけてぶつけた。
禿げ頭がひるんだ隙に、男は身体をしならせると、ぴょん、と飛び上がって見せた。
片腕に巻かれたままの縄標はそのままに、くるくると駒のように回転をしながら、男は間髪いれずに拳を打ち込む。
禿げ頭は目に入った砂に苦労しながらも、片手の剣で、体勢を崩した相手を刺そうとする。
が、しかしそれは、またもや闇から投げられた石によってさまたげられた。
握りこぶし大の石つぶては、禿げ頭のちょうどてっぺんに、がつん、と命中した。
禿げ頭がひるんだ隙に、男のほうは体勢を立て直し、縄標を剣でもって断ち切った。
そして、その位置からきれいに後方へ宙返りをする。
禿げ頭は頭を振りつつ、舌打ちをし、あらたな敵に目を向ける。
「だれだっ」
振り返ると、そこに特徴のないのっぺりした顔の三十くらいの男と、若者ふたりがいた。
つづく
※ このところ沢山のお客さんに恵まれているようで、とても光栄に思っています。
「なろう」のお客さんも増えてきていますし、ありがたいです!
このブログに関して言うと、たくさん作品がありますので、どうぞたっぷり楽しんでくださいませ(^^♪
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「きみとおなじ年くらいの子供もたくさんいる、よい場所だよ。行ってみたいだろう?」
「食べることの心配はしなくていいのよ。家もちゃんとあるわ。あなたのための寝台だって、もう用意してあるの。どう? わたしたちと一緒に来ない?」
「でも、金がないよ」
阿瑯は搾り出すように言った。
もとより、なにも持たずに屋敷を飛び出した。
先のことも、いまもって考えていない。
「金なんぞいらぬよ。われらと一緒に来てみたらいい。きっと気に入るさ」
「名前はなんというの?」
「阿瑯」
「阿瑯、わたしたちは、きみのように賢くて、体力に優れた子供をさがしていたのだ」
「そして世間知らずの、まだ無垢な子供。そうでしょう?」
あたりに響くような、凛とした声がした。
思わず阿瑯は、背筋を伸ばして、声の主を探す。
そうして、阿瑯は息を呑んだ。
冴え冴えした月光のもと、男装をした女が立っていた。
その眼差しはきびしいが、冷たいものではない。
阿瑯の心は逸《はや》った。
一瞬、おくさまが迎えにきてくれたのかと思った。
おくさまに、このひとはそっくりだ。
夜風に衣の裾《すそ》をなびかせ、あらわれた女は、決然と、男女に言う。
「正直に伝えたらどうなの。食事も寝床も保障する、同じ年の仲間もたしかにいる。
だが、飢えから逃れられる代償は、人殺しになることだと。
それも戦場で堂々と敵と対峙《たいじ》する方法ではない。闇から闇へ、ありとあらゆる方法で、相手を葬り去る訓練をつむのが仕事なのだと」
「何者だ」
男が、それまでの明朗快活な様子を捨てて、とたんに豹変し、凶悪そうな表情を見せる。
だが、男装の女はひるむことなく、つづける。
「おまえたちは、おのれに誇りが持てるの? 首根っこを掴まれたような生活を強いられることが、ほんとうに真の幸福に繋がると信じているの?」
「おまえ、われらを知っているのか?」
男の問いかけに、女は答えた。
「知りたくないが、知ってしまった者。おとなしく『壷中』に帰りなさい。でなければ、いますぐ『壷中』を捨てるのね。悪いようにはしない」
阿瑯に優しげに話しかけていた男女の全身から、肌が|粟立《あわだ》つほどの殺気が吐き出される。
「だめか」
それまで夜に輝く月のように静かな表情であった男装の女は、はじめてその白い面貌に苦渋の表情を浮かべた。
阿瑯の目の前で、風が動いた。
形のない風が、ほんとうに動いたように見えた。
男の行動があまりに素早かったので、その姿が、風の動きに見えたのだ。
ぎらりと、夜闇に、月光を受けた刃が光る。
男は、地面を大きく蹴り上げると、真正面から、佇立《ちょりつ》する女の額めがけて、隠し持っていた刃を振り下ろした。
女は、襲撃してきた男の目をまっすぐに見て、身動きひとつしない。
すくんで動けない、というのではない。
自らのつむいだ言葉の結果を、そして彼らの行動の始終を、すべて双眸にしまおうという、貪欲で冷徹な顔をしていた。
ぐらり、と世界が歪む。
いままさに、女の額に刃を振り下ろさんとしていた男の姿が、ぐらりと揺れた。
女の周囲にはりめぐらされた、見えない壁にはじかれたように見えた。
しかし、地面にもんどりうった男の腕には、縄標《じょうひょう》が巻きついていた。
女は、さほど驚くふうでもなく、闇の向こうにむかって、言う。
「ありがとう、信じていたわ」
「役に立てたようだな」
闇のなかから、今度は、いかつい禿げ頭の男があらわれた。
「だが、わけがわからぬ。そいつが『狗屠《くと》』とも思えぬし」
禿げ頭は悪態をつきつつ、ちからまかせに、縄標をひっぱる。
一方の若い男は、しばらく引きずられるままになっていたが、空いた片側の手に砂をつかむと、それを禿げ頭の顔面めがけてぶつけた。
禿げ頭がひるんだ隙に、男は身体をしならせると、ぴょん、と飛び上がって見せた。
片腕に巻かれたままの縄標はそのままに、くるくると駒のように回転をしながら、男は間髪いれずに拳を打ち込む。
禿げ頭は目に入った砂に苦労しながらも、片手の剣で、体勢を崩した相手を刺そうとする。
が、しかしそれは、またもや闇から投げられた石によってさまたげられた。
握りこぶし大の石つぶては、禿げ頭のちょうどてっぺんに、がつん、と命中した。
禿げ頭がひるんだ隙に、男のほうは体勢を立て直し、縄標を剣でもって断ち切った。
そして、その位置からきれいに後方へ宙返りをする。
禿げ頭は頭を振りつつ、舌打ちをし、あらたな敵に目を向ける。
「だれだっ」
振り返ると、そこに特徴のないのっぺりした顔の三十くらいの男と、若者ふたりがいた。
つづく
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