はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

風の終わる場所 20

2021年04月25日 09時39分22秒 | 風の終わる場所
費文偉という青年は、とことん、ほがらかに出来上がっている。
これは父や母の性格から受け継いだものとか、伯父の育て方が良かったというよりも、おそらくは天性のものであっただろう。
人を疑うことを知らず、どんな者にも明るく愛想を振りまき、そして人の話をよく聞く。
苦労知らずのお坊ちゃま、というわけではない。
栄華の絶頂をきわめた生活から、一気にどん底のびんぼう生活に落とされた経験を持っている。
しかも曹操の南下を恐れて成都に逃げる途中、さまざまな苦難に会ったし、おそろしい光景を目の当たりにしたのも一度や二度ではない。
それでも、費文偉のえらいところは、決して人を信じることをやめない、というところであった。
もちろん、まったくの疑いを持たないのは、愚か者である。
しかし、かれはどんな悪人・罪人のなかにも、なにがしかの良心があると信じ、自分に向けられたことばに、ウソがないであろうと『信じる』。
その信頼があまりに真っ直ぐで純粋なため、ほんとうにウソをついている者もひるんでしまい、結局、信じることをやめなかった費文偉に、よい結果をもたらすのである。
それを文偉は幸運だといい、自分ではなく、まわりがみんな偉いと、本気で信じている。
そこが、かれの強運を、さらに補強しているのである。

そんな文偉が、胡偉度や趙雲と別れて、従兄の費観の陣を目指している。
三人でいるときは、芝蘭恋しさのあまり、危険・恐怖もなんのその、であったのに、ひとりになったとたん、過去に広漢で出くわしたおそろしい事件が頭をめぐり、だんだん心細くなってきた。
孔明は無事であろうか、二人だけを終風村に残す形になってしまったが、薄情ではなかったか。
それに芝蘭。
かれ女は呉に帰ってしまったであろうか。
屋敷であったときは邪魔者がいろいろ(魏の細作やら、犬やら、偉度やら、休昭やら、蒋琬やら、伯父やら)がいたので、きちんとお礼を言えなかった。
もしふたたびめぐり合うことが可能であれば、彼女にちゃんと命を助けてもらったことを言い、それから…
文偉には実は野望があるのであるが、それはここでは秘めておく。
さて、このあいだの災禍に遭った際には、芝蘭の言いつけどおり、だれにも会うことなく広漢から逃げ出したわけであるが…

そういえば、なぜ芝蘭は、従兄にさえあってはならぬと言ったのだろう。
彼女は、なにかわたしの知らぬことを知っていたのかもしれぬ。

だが、たしかめようがない。
そうして、費観の陣に近づいてきた文偉であるが、ふとおもい立ち、馬を止めた。
このまま、馬鹿正直に正面から言って、従兄にすべてを打ち明けてよいものだろうか。
いま、文偉の脳裏にあるのは、人の良い愛妻家の従兄への疑いではない。
かれの周囲にいる、いらざるお節介の存在。
つまり、費観に忠誠を誓うあまり、費観が「不利になる」ことを恐れ、側近たちが、文偉たちに都合の悪い相手に、知らせに行ってしまう可能性である。
この場合、都合の悪い相手、というのは、もちろん、李巌のことである。

李巌の名は、荊州では知らぬ者がないほどであった。
その名は、つねに煌びやかな印象と共に語られる。
特に大きな功績があったというわけではないが、その、いかにも将軍然とした立派な風貌と、重々しい言葉の運び方、華のある采配ぶり、そして文武両道にして、部下おもいなところが一般にうけるのだ。
しかも女人にかなりもてるため、その面でも、さまざまな伝説を作っている、孔明とはちがうかたちでの有名人なのである。
孔明と李巌の性格をかんがえると、仲たがいする、ということはなさそうであるのに、なぜか二人は馬が合わない、という。

孔明は、おそらく李巌を『物の知らない男』と見ている。
李巌は、蜀は肥沃な土地だと言い切り、この豊かささえあれば、漢の高祖にならって、天下に打って出ることは可能だと、呑気に構えている。
しかし現状はそんなに単純なものではない。
蜀の肥沃さは、すくない人口を十分に養える程度に肥沃なのであって、決して中原にくらべて、傑出して豊穣だというわけではない。
むしろ、取れ高はいまひとつなのだ。
農作物の取れ高を補っているのが、交易であり、それが蜀という国の、他国にない『豊かさ』を生み出しているのである。
そしてやはり、良質の錦を産出できる、という点も見過ごせないであろう。
要するに、蜀は物質面においてのみ、肥沃なのであり、人材はというと、とても魏や呉におよばない。
そもそも人口からしてちがいすぎるのだ。
李巌の感覚は、いまだ荊州の感覚のままであり、人を無駄に使えないという、孔明がつねづね気にしている切迫感が、不足しているのである。

龐統の死、というのは、孔明と劉備の行動をかなり狂わせている。
本来ならば、荊州に留守居として残り、関羽と共に曹操と対峙しなければならない立場の孔明が、劉備のそばで、成都にいなければならなくなっている。
たしかに李巌は、主公を短期間にころころ変えたけれど、能力からすれば、孔明と代わらせてもよいのでは、という声があるほどの男だ。
が、実現には至っていない。
それは、劉備が、李巌の能力は評価しているが、人柄は警戒しているからである。
李巌を仮に成都の要として置いたとして、劉巴や法正といった、ひとくせもふたくせもある文官たちと連合して、劉備を補佐できるかとなると、疑問だとかんがえているのだ。
劉備は…これは恐れ多いことではあるが…下手をすれば、李巌はまたも自分を裏切り、法正や劉巴たち(やはり以前に主を変えている者)と連合し、自分にたてつく可能性すらあるのではと、かんがえているのだろう。
かといって、逆に成都に孔明、荊州に李巌とすると、誇り高い関羽が、どこか驕慢である李巌と、うまくいくはずがなかった。
李巌には、自分には、劉表時代からずっと、孔明よりも声望があったのだ、という自信がありすぎるのである。

それらの点を踏まえ、費文偉は、偉度たちに相談したのとは、いささかちがう行動をとることにした。
文偉は、馬を近くの農家に金をやって預かってもらうと、単身、こっそり費観の陣に入ることを決めた。
だれにもみつからず、単身で従兄に会い、事情を話して、ほんとうに信頼できるものだけを貸してもらおうとおもったのである。
それに、もし実直な従兄が、意に添わぬ陰謀に巻き込まれているのであれば、これは同族としては、放ってはおけない話ではないか。
説得し、軍師を共に助けるようにしなければならない。
いったいいかなる陰謀が張り巡らされているのか、偉度も趙雲も気を遣ったのか、文偉にすべてを語ってはくれなかったが、二人の張り詰めた様子からして、かなり厳しい状況であるのはちがいない。
劉備は温厚ではあるが、決めるべきときは、残酷なほどに割り切って、すべてをばっさり切り捨てることができる人物である。
まして劉備は、孔明をだれより寵愛している。
孔明に何事か凶事が降りかかれば、劉備は怒り狂うであろう。
何が起こっているのかはしらないが、とばっちりを費観が食わないともかぎらない。
いちばんよいのは、費観が、終風村に捕らわれている孔明を助けるための軍兵を出すことだ。
すべてが裏へ、影へ、というこの一連の動き、やはり費文偉としては、賛同しかねるのである。

そうして、従兄への説得の言葉をけんめいに探しつつ、文偉は、費観の陣に近づくと、脇からこっそり、などというのではなく、実に堂々と真正面から入って行った。
というのも、文偉は以前に、この陣に入って、泊まりさえしているからである。
門衛はちょうどよい具合に、こちらを覚えていた(文偉と費観、血のつながりはあまり濃くなかったけれど、やはり同族らしく、面差しがすこし似ていたのである)。
しかもあまりに文偉が堂々としているので、まさか忍びこんできているとはおもってもいない。
「やあやあ、ごくろうさん」
などと朗らかに愛想を振りまいてはいるものの、本人の心臓は、口から飛び出して「申し訳ない、わたしは侵入者だ!」と叫びそうなほどなのであるが。
それはともかくとして、文偉は陣に入るや否や、費観のいる場所へと、慎重に進んだ。
しかし、文偉は途中で気がついた。
趙雲と偉度の必死な様子が、気の毒になってくるほどに、陣の中の空気はだらけきっていた。
広漢では盗賊が変わらず各所を荒らしまわっている、というのに、費観…いや、李巌は兵を動かそうとしないのである。
これでは、族姑が怒って当然である。
というより、文偉も怒っていた。
これでは、兵卒がなんのために常駐しているのか、わからないではないか。

以前にここに来たときは、ものめずらしさが先行して、兵卒の質にまで気が回らなかった。
しかし、孔明や芝蘭のことで感覚がするどくなっている今ならば、兵卒たちが、それこそ隅から隅まで、まったくやる気をなくしているのがわかる。
これは陰謀云々という以前に、費観の、将としての質も疑われてしまう。
というよりは、費観は言わなかったけれど、じつは、李巌の下で、苦労を強いられ、本人もやる気を失くしてしまっているのではないのか。

そうして費観のいる場所へ向かう文偉であったが、突然、見張り塔の者が、大きくほら貝を吹いて、陣に急を告げた。
とたん、それまで弛みきっていた兵卒が、ぱっと本来の顔を取りもどし、あわただしく動き出した。
文偉もあわてて物陰にかくれ、何事かと様子を探った。
しばらくして、陣の門が開かれて、ぞろぞろと兵団が入場してきた。
どうやら、視察していた李巌の帰還、というわけではない。
物陰からこっそりのぞいて見れば、なぜだか片側の頬をぷっくり腫らせた劉封を先頭に、その取り巻きと将兵が、ぞろぞろと陣に入ってきたのである。
それを、李巌と、文偉が探していた費観が出迎えている。
劉封と李巌が繋がっているのだ、と文偉は愕然とした。
と、同時に、にぎやかに久しぶりの再会をよろこぶ二人の将の背後で、決まり悪そうにしている、従兄の様子が気の毒でならなかった。

手ぬぐいをほっかむりのようにして、頬をかばっている劉封の情けない姿に、李巌は笑いながらたずねている。
「どうされた、そのひどいお姿は。さては、虫歯か」
「冗談ではない。趙子龍めに歯を叩き折られたのだ」
「なんと」
と、李巌は顔を曇らせる。
物陰で聞いていた文偉も、そういえば、趙雲が、劉封の歯の治療をしてやった、とぼそりとつぶやいていたが、そういうことであったか、と納得していた。
あのひとには、今後、決して怪我の治療はお願いしないようにしよう。
「わたしがここへ来たのは、ほかでもない、例の件でだ。問題が起こったぞ」
劉封と李巌の仲はかなりよいらしく、李巌は、年若い劉封の肩を抱きながら、陣の奥へと招き入れる。
それを、苦虫を噛み潰したような顔をした費観が付いていく、という格好だ。
「趙子龍めに、劉括のことを知られた。成都で軍師を拉致したやつらが、口を割ったらしい」
「なんだと? では、主公もそれをご存知なのか?」
李巌の問いに、劉封は鼻を鳴らした。
劉封は、、文偉とさほど年が変わらないというのに、妙に年老いた顔をしてみえる。
「趙子龍が成都に帰るまでは、このことは成都には知らせぬ、と。あやつめ、わたしに慈悲をかけたつもりであろう」
「まずいな。では、やつは今頃、終風村に向かっているのか?」
「おそらくは。そちらこそ、首尾はどうなのだ?」
「それは、あとから、あいつに聞け。それにしても、ひどく痛むのか。ならば、酒宴は無理であろうな」
と、李巌は冗談めかして、頬を布で庇う劉封の頬を、軽く触れるフリをして笑った。
「まったく、腹が減ってしかたがない。昨日から粥ばかりすすっておる。趙子龍めが、我らが天下を握った暁には、まっ先に、平民に落としてくれようぞ」
と、劉封は悪態をついている。
そうして、とある建物に入っていくのを、文偉もこっそりあとをつけていった。

つづく……

(旧サイト「はさみの世界」(現・はさみのなかまのホームページ)初掲載 2005/07/22)


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