「困った子だよ、本当に、いったいどこへ行ってしまったのか」
ぼやく孔明に、趙雲は「ほんとうだな」と相槌を打ちつつ、言った。
「おれはこれから魯子敬のところへ行ってくる」
「そうだな。なにもかもおんぶにだっこで、かれに申し訳ない気もするが」
「しかし、ここには、ほかに頼れる者もいない。
ともかく出立前に話をつけてくるから、おまえはここで少し待っていてくれ」
そう言って、趙雲は身支度もそのままに、ぱっと客館を出て、魯粛のもとへ出かけて行った。
このあたりの身の軽さは趙雲の良いところであった。
待つ身になった孔明は、気が気ではなく、何度も客館の玄関と胡済《こさい》のあてがわれていた部屋を往復した。
胡済がひょっこりと帰ってくることを期待しながら。
しかし、胡済が帰ってくる気配はなく、むしろこれから出立する周瑜の船団の壮麗な壮行式を見に行くひとびとを客館の窓から眺めるだけの羽目になってしまった。
外から聞こえるひとびとの口ぶりからするに、周瑜への期待は非常に高い。
若者たちはもちろん、幼い子供をかかえた女までが港へ向かっている。
近所で連れ立っていく者もいるようで、かれらの顔は、どれも晴れやかだ。
だれもが、自分たちの自慢の「美周郎」が、曹操ごときに負けるとは夢にも思っていないというふうだった。
いじわるな見方をすれば、江東のひとびとは、曹操軍の規模を知らないから、そんな楽観視できているということになる。
だが、周瑜と実際に対面した後の孔明には、江東のひとびとの、周瑜に対する期待の理由がよくわかる気がした。
たしかに自分を嫌っている男だが、当代の英雄のひとりであることにまちがいはない。
その周瑜のもとに、はたして胡済は行ったのかどうか。
劉琦のもとから無理に連れ出してきたのは自分だけに、責任も感じて、落ち着いていられない。
『一足早く、劉公子の元へ戻ったというのならば、まだいいが……』
状況から見ても、そうではないだろう。
だれかが胡済を真夜中に呼び出したのだ。
わざわざみなが寝静まったころあいに胡済を呼び出したところから見て、その何者かは、誰にも存在を知られたくなかったのだろう。
『劉公子以外の人間で、いまのあの子を動かせる者はいるだろうか?』
考えてみるが、だれも該当しない。
気にかかるのは、やはり周瑜のうごきを胡済が過度に注意していたことで、そのあたりに突然消えてしまった理由があるように、どうしても感じてしまう。
「それにしても、ただ待つというのは、いやなものだ」
つぶやくと、いっそう苛立ちに似た感情が強くなる。
これが懐かしい新野城にいるというのなら、気を紛らわせるために書物をひもとくなどできるのだが、あいにくここは柴桑《さいそう》の客館で、気を紛らわせてくれるものはなにもない。
完全に手持無沙汰である。
『わが君なら手芸でもなさるだろうな』
孔明も不器用ではないので、このさいだからなにか作ることに挑戦して、気を紛らわせようかとすらおもったとき、趙雲が帰って来た。
趙雲は馬で帰って来たのだが、そのうしろに、胡済の姿は、やはりなかった。
そこにまずがっかりしたが、気を取り直して、趙雲に状況をたずねる。
急いで帰って来たらしい趙雲は、桃のような色の頬をして、答えた。
「結論から言うと、偉度のことは魯子敬どのもわからないそうだ。
いちおう、捜す手配はしてくれるようだが、これだけの人数がいっせいに動き出しているなかで、偉度が意図的に変装でもして紛れてしまえば、もう見つけるのは困難だから、期待しないでほしいとはっきり言われた」
そうだろうなと、孔明は落胆した。
魯粛でも、やはり力にはなりきれないようだ。
そもそも、東西南北どこへ行ったのかすらわからないのだから。
「周都督の様子も見てきた」
「さすがだな、そこまで気が回るとは」
素直に感心すると、趙雲は照れたように、まあな、と答えてから、つづけた。
「おれの目から見ても、別段に変わった様子はない。
仮に偉度のやつが周都督になにか仕掛けているとしたら、もっと物々しい様子だったはずだ」
「そんなことはなかったと?」
「ごく普通に振舞っていたぞ」
となると、胡済が周瑜の元へ行ったという可能性は消えるのか?
孔明は考えるが、しかし考えるにも材料が足りなさ過ぎて、結局堂々巡りになってしまう。
「どうする」
趙雲に端的にたずねられて、孔明は頭をかくほかない。
「どうもこうも、わたしたちのどちらとも、今日、柴桑を出なければならない。
偉度のためとはいえ、どちらかが残れば、周都督も孫将軍も、おかしいなと不審に思ってしまうことだろう。
仮に子敬どのが取りなしてくれたとしても、同じことだ。こういっては何だが」
と、孔明は声をひそめた。
「孫将軍も、なかなか細かいところに目のいくお方のようだからな。
いまでこそわれらを歓迎してくれているが、気になることがあれば、容赦なく腹を探ってくるだろう」
「そうか、そうだよな」
と、趙雲はため息をつく。
選択の余地はないのだ。
「わたしたちも壮行会とやらに出たほうがいいだろう。そろそろ客館から出よう」
つづく
ぼやく孔明に、趙雲は「ほんとうだな」と相槌を打ちつつ、言った。
「おれはこれから魯子敬のところへ行ってくる」
「そうだな。なにもかもおんぶにだっこで、かれに申し訳ない気もするが」
「しかし、ここには、ほかに頼れる者もいない。
ともかく出立前に話をつけてくるから、おまえはここで少し待っていてくれ」
そう言って、趙雲は身支度もそのままに、ぱっと客館を出て、魯粛のもとへ出かけて行った。
このあたりの身の軽さは趙雲の良いところであった。
待つ身になった孔明は、気が気ではなく、何度も客館の玄関と胡済《こさい》のあてがわれていた部屋を往復した。
胡済がひょっこりと帰ってくることを期待しながら。
しかし、胡済が帰ってくる気配はなく、むしろこれから出立する周瑜の船団の壮麗な壮行式を見に行くひとびとを客館の窓から眺めるだけの羽目になってしまった。
外から聞こえるひとびとの口ぶりからするに、周瑜への期待は非常に高い。
若者たちはもちろん、幼い子供をかかえた女までが港へ向かっている。
近所で連れ立っていく者もいるようで、かれらの顔は、どれも晴れやかだ。
だれもが、自分たちの自慢の「美周郎」が、曹操ごときに負けるとは夢にも思っていないというふうだった。
いじわるな見方をすれば、江東のひとびとは、曹操軍の規模を知らないから、そんな楽観視できているということになる。
だが、周瑜と実際に対面した後の孔明には、江東のひとびとの、周瑜に対する期待の理由がよくわかる気がした。
たしかに自分を嫌っている男だが、当代の英雄のひとりであることにまちがいはない。
その周瑜のもとに、はたして胡済は行ったのかどうか。
劉琦のもとから無理に連れ出してきたのは自分だけに、責任も感じて、落ち着いていられない。
『一足早く、劉公子の元へ戻ったというのならば、まだいいが……』
状況から見ても、そうではないだろう。
だれかが胡済を真夜中に呼び出したのだ。
わざわざみなが寝静まったころあいに胡済を呼び出したところから見て、その何者かは、誰にも存在を知られたくなかったのだろう。
『劉公子以外の人間で、いまのあの子を動かせる者はいるだろうか?』
考えてみるが、だれも該当しない。
気にかかるのは、やはり周瑜のうごきを胡済が過度に注意していたことで、そのあたりに突然消えてしまった理由があるように、どうしても感じてしまう。
「それにしても、ただ待つというのは、いやなものだ」
つぶやくと、いっそう苛立ちに似た感情が強くなる。
これが懐かしい新野城にいるというのなら、気を紛らわせるために書物をひもとくなどできるのだが、あいにくここは柴桑《さいそう》の客館で、気を紛らわせてくれるものはなにもない。
完全に手持無沙汰である。
『わが君なら手芸でもなさるだろうな』
孔明も不器用ではないので、このさいだからなにか作ることに挑戦して、気を紛らわせようかとすらおもったとき、趙雲が帰って来た。
趙雲は馬で帰って来たのだが、そのうしろに、胡済の姿は、やはりなかった。
そこにまずがっかりしたが、気を取り直して、趙雲に状況をたずねる。
急いで帰って来たらしい趙雲は、桃のような色の頬をして、答えた。
「結論から言うと、偉度のことは魯子敬どのもわからないそうだ。
いちおう、捜す手配はしてくれるようだが、これだけの人数がいっせいに動き出しているなかで、偉度が意図的に変装でもして紛れてしまえば、もう見つけるのは困難だから、期待しないでほしいとはっきり言われた」
そうだろうなと、孔明は落胆した。
魯粛でも、やはり力にはなりきれないようだ。
そもそも、東西南北どこへ行ったのかすらわからないのだから。
「周都督の様子も見てきた」
「さすがだな、そこまで気が回るとは」
素直に感心すると、趙雲は照れたように、まあな、と答えてから、つづけた。
「おれの目から見ても、別段に変わった様子はない。
仮に偉度のやつが周都督になにか仕掛けているとしたら、もっと物々しい様子だったはずだ」
「そんなことはなかったと?」
「ごく普通に振舞っていたぞ」
となると、胡済が周瑜の元へ行ったという可能性は消えるのか?
孔明は考えるが、しかし考えるにも材料が足りなさ過ぎて、結局堂々巡りになってしまう。
「どうする」
趙雲に端的にたずねられて、孔明は頭をかくほかない。
「どうもこうも、わたしたちのどちらとも、今日、柴桑を出なければならない。
偉度のためとはいえ、どちらかが残れば、周都督も孫将軍も、おかしいなと不審に思ってしまうことだろう。
仮に子敬どのが取りなしてくれたとしても、同じことだ。こういっては何だが」
と、孔明は声をひそめた。
「孫将軍も、なかなか細かいところに目のいくお方のようだからな。
いまでこそわれらを歓迎してくれているが、気になることがあれば、容赦なく腹を探ってくるだろう」
「そうか、そうだよな」
と、趙雲はため息をつく。
選択の余地はないのだ。
「わたしたちも壮行会とやらに出たほうがいいだろう。そろそろ客館から出よう」
つづく
※ いつも閲覧してくださっているみなさま、どうもありがとうございます!(^^)!
ブログ村及びブログランキングに投票してくださった方も、ありがとうございました!
とても励みになっております(^^♪
このブログの閲覧数はよいのですが、「なろう」のほうの閲覧数が極端に下がっていて、げんざい、原因を探索中でございます……
ううむ、展開がのろすぎるのか?
それとも、GWでみなさんお出かけなのかしらん?
ほかにも原因があるのかなー?
更新日について、土日を抜かしている、というのも、よくないのかもしれず。
わたしもいろいろ考えておりますが、「これじゃないか?」というのがあったら、お手数ですがご教授くださいませ;
それと、進捗ですが、げんざい「赤壁編」は四章目を執筆しております。
「三顧の礼」のエピソードも書き始めましたが……おっと、長くなりそうなので、またあらためて、近況報告にてお知らせしますね。
ではでは、次回をおたのしみにー(*^▽^*)