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帯とけの枕草子〔十一〕いちは
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯は自ずから解ける。
枕草子〔十一〕いちは
いちは、たつのいち。さとのいち。つはいち、やまとにあまたある中に、はせにまうずる人のかならずそこにとまるは、くわんおんのえんのあるにやと、心ことなり。をふさのいち。しかまのいち。あすかの市。
市の名と聞く、清げな姿
市は、辰の市。里の市。つば市、大和に数多くある中に長谷寺に詣でる人が必ずそこに泊まるのは観音の縁があるのかなと心が異なる。お房の市。飾磨の市。飛鳥の市。
一のものと聞く、心におかしきところ
一番なのは、立つの逸もつ。さ門の逸品。つは一は、大和にあまたある中で、はつせに詣でる人が必ずそこに泊まるのは、くわんのんの艶があるのかなと心が異なる。大ふさの逸もつ。鹿馬の逸もつ。飛ぶ鳥の逸品。
言の戯れと言の心を心得ましょう。
「いち…市…人の集まるところ…宿場…一…第一番…最高…逸…秀逸」「たつのいち…辰の市…立つの一」「たつ…立つ…起つ…ものが盛んになる」「さと…里…さ門…女」「と…門…女」「つば…海柘榴と表記される…熟れたざくろのこと…熟女…津端…女…市や泊には遊び女がいた」「くわんおん…観音…観世音…くわんのう…官能…肉感的快楽」「えん…縁…艶…なまめかしいさま…妖艶」「を…お…大…おとこ」「ふさ…房…多い…垂れたもの…おとこ」「しかま…鹿馬…鹿や馬の肢下間」「あすか…飛鳥…飛ぶ鳥…浮き天に舞いあがる」「鳥…女」。
「いち」は市と決め付けて疑うことが無いのは、近代人の論理的で合理的思考に因るのでしょうか。言葉は、そのようには決して捉えることのできない、戯れるもの。
われわれの言葉は「聞き耳異なるもの」(清少納言)。歌の言葉は「浮言綺語の戯れにも似たれども、ことの深き旨が顕われる」(藤原俊成)という平安時代の言語観によって、枕草子などは読みましょう。
この類の「艶になりぬる人」の「あだなる」文芸は、うららかな宮の内のおとなの女たちのつれづれの慰めにはなる。まして、道長に追い詰められた後宮の曇り暮らす女たちには必要だった。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず (2015・8月、改訂しました)
枕草子の原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。