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帯とけの枕草子〔二十〕清涼殿 その二
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
枕草子〔二十〕清涼殿 その二
古今集の册子を御前に置かれて、歌の上の句を仰せられて、宮「これの末の句はいかが」と問われるのに、すべて、夜昼となく覚えているのもあるが、すらすらと申し出せないのはどうしたことか。宰相の君が十ばかり、これとて覚えているといえるかどうか。まして、五つ六つでは、ただ覚えていないことを申し上げるべきだけれど、それではあんまり無愛想で仰せごとを面目無い扱いになるでしょうと、女房たちが・困り果てて悔しがっているのもおかしい。知っているという人がいないので、そのまま末の句を読み続けられ、そこに栞を挟まれると、女房たちが・「これは知っている歌よ、どうしてこう、私たちは・愚かなんでしょうね」と言い嘆く。中でも古今集を多く書き写す人は全部覚えているはずである。
宮「村上の御時に、宣耀殿の女御とおっしゃったのは、小一条の左大臣殿の御娘であると、だれが知り奉らぬであろう・みな周知の御方。まだ姫君と申されていた時、父の大臣がお教えになられたことは、『ひとつには文字の手習いをしなさい。つぎにはお琴を人より特に優れて弾けるようにと思いなさい。そして、古今集の歌二十巻をみな念頭に浮かべられるのを御学問になさい』と申されたと、村上帝は・お知りになったうえで、物忌みだった日、古今集を持ってわたってこられて、御几帳を引きよせ隔てをつくられたので、女御は常のことではないので不審に思われたところ、古今の草子をお開きになって、その月、何の折り、その人の詠んだ歌は如何に、というようにお尋ねになられるのを、こういうことだったかと心得られるご様子もすばらしいが、いいかげんな覚え方をしていて、忘れたところがあれば大変だと苦しく、思いも乱れたでありましょう。その方面のことに不案内ではない女房二三人ばかりお召しになって、碁石で数をしるされるということで、強いてお尋ねになられる様子など、どれほど愛でたく興味深いことだったでしょう。御前にお仕えする人々さえうらやましいことです。強いて仰せになれば、賢ぶって、そのまま末の句までもというのではありませんが、女御は全て少しも間違えることはなかったということです。帝は何としても、なお少しの間違いを見つけてからやめようと、悔しいとまでお思いになられて、十巻までにもなってしまったのです。これ以上は不要であると、御草子に栞を差して、おやすみになられたのもまた愛でたいことです。
久しくあってお起きになられたとき、なおこのことの勝ち負けなくおやめになられるのは、遺憾であると、下の十巻を、明日になれば歌をご覧になり答えを合わせられると、今日決めようと灯火を用意して夜更けるまで詠ませになられたという。それでもついに(女御は)お負けになられなかったという。帝がいらっしゃってのこのようなご様子などを、ある人が親の大臣殿に申し上げたところ、たいそう思いが乱れて、御誦経などあちこちに依頼されるは、こちらに向かって、祈念されて過ごされたという。すきずきしうあはれなること也」と語られると、主上もお聞きになって称賛され、「われは、三巻か四巻さえ見終えることができないであろう」と仰せられる。
「昔は、えせ者(見かけ普通の者)もみな歌はおもしろかったのよ。このごろは、このようなこと聞きますかねえ」などと、御前に仕える女たち、主上付きの女房、出入り許された者などが参って、口々に話している様子などは、まことにこれ以上つゆも思い望むことなく、愛でたく思える。
左大臣殿の言動について、宮のご批評は「すきずきしうあはれなることなり」。
先ず、古今集の歌がもとより好き好きしい。仮名序で貫之が「いまの世中、色につき、人のこゝろ、花になりにけるより、あだなる歌、はかなきことのみ、いでくれば、いろごのみのいへに、埋もれ木の、人知れぬこととなりて、まめなる所には、花すゝき、ほにいだすべき事にもあらずなりにたり」と嘆いている。「色に尽きた」歌は撰ばなかったでしょうけれど、古今集には一見清げな姿の内に「色好みな」歌が数多くある。
左大臣殿の「御踊経などあまたせさせ給ひて、そなたにむきてなん念じくらし給ひける」は、我が娘に皇子誕生を念じているとすれば、「好き好きしく、あはれ(同情する、感心する)」ことでしょう。
殿(摂政道隆)の存命中の宮(中宮定子)の、ひいては宮の内の、これ以上「つゆも思い望むことなく、愛でたく思える」様子を記してある。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず (2015・8月、改訂しました)