帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二十五〕にくき物

2011-03-20 06:05:02 | 古典

 



                                    帯とけの枕草子〔二十五〕にくき物



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」だけ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 

清少納言 枕草子〔二十五〕にくき物

 

 にくき物(いやなもの)、急ぐ事があるときに来て長話する客人。侮りやすい人ならば、「あとでね」とでも言ってやれるのだけれど、気後れするような人は、いとにくゝむつかし(とってもいやで困る)。

 

硯に髪が入ってすられている。また、墨の中にある石がきしきしときしみ鳴っている。

 

にわかに患う人があるので、修験者を求めるときに、いつもの所に居なくて、他も尋ねまわる間に、たいそう待ち遠しく久しかったところ、かろうじて待ち受けて、喜んで加持祈祷してもらうのに、この頃のもののけに関わって困り果てたのか、座って居るまま、そのまま眠り声である。いとにくし(まったくいやな感じ)。

 

なでうことなき人(なんということもない人…撫でられそうもない女)が、微笑みがちにものを言いつづけている。

 

火桶の火や炭櫃などに手の裏うち返し、おし伸ばしなどして、あぶっている者。いつ若やいだ人がそういうことをしたか。老いかけた者こそ、火桶の端に足さえもたげて、もの言いながらさすったりするでしょう。そのような者は、人のもとに来て居ようとする所を、先ず扇でこなた彼方にあおぎ散らして、塵をはき捨てて、居る所もないように広めて、狩衣の前を巻きあげ、塵を入れてやってもいいでしょうよ。このようなことは、言うかいもない者だけかと思っていると、すこしよろしい者の式部の大夫などというの(礼式や文官の勤務評定なども司る役所の五位相当の者)がしたのである。

 また、酒飲み赤い顔して、口をまさぐり、髭ある者はそれを撫で、杯を他人に取らせるときの様子、いみじうにくしとみゆ(ひどく不快な感じに見える)。

また、誰かが・飲めというのでしょう、身ぶるいして頭ふり口の脇を引き垂れて、「わらはべのこの殿にまゐりて……童子の子の夜殿にまいりまして・寝顔など見たくそろそろ失礼します……子の君の恋う夜殿にまいりまして・色々とありますれば、このへんで)」などと歌うようにする。それも、まことによき人がするのを見たならば、飲めと強いるのは、心づきなし(気遣いがない…気にくわない)と思える。

 

なんでも羨ましがって、我が身の上を嘆き、他人の身の上話して、はかない些細なことも知りたがり聞きたがって、言い知らせないと恨んで謗り、わずかに聞き得たことをば、我は元より知っていたことのように他の人と語り合うのも、いとにくし(とってもにくらしい)。

 

なにか聞こうと思っているときに泣く乳児。

 

からすが集まって飛び交って騒がしく鳴いている。

 

忍んで来る男を見知っていて吠える犬。

 

無理に適当でない所に隠し寝かせた男が、いびきしている。

また、忍んで来る所で、長烏帽子していて、やはり人に見られないように戸惑い入るときに、ものに当たり障って、ごそごそいわせている。伊予簾などかけてあるのに、さっとくぐって、さらさらと鳴らしたのも、いとにくし(とってもいや)。「もかうの簾」は、まして、こはじ(下に付いている板)の打ち置かれる音がけたたましい。それも、やおら引き上げて入るとまったく鳴らない。

 

遣戸(板の引戸)を荒く閉め、開けするのは、いとあやし(まったく何なのだ)。すこし持ち上げるようにして開ければ鳴ったりするものか、荒々しく開ければ障子なども、ことことと音たてるのはわかりきったことよ。

 

眠たいと思ってよこになっているときに、蚊が細い声でわびしげに名を告げ(ぶん、ぶん、ぶんと申します)、顔のあたりで飛びまわる。羽風さえその身の程にあるのが、いとにくけれ(とってもしゃくに障ることよ)。

 

きしめく車に乗りまわる者、耳もきこえないのかと不快。われが乗っているのは、その車の持ち主(貸主)さえ、にくし(にくらしい)。

 また、物語りするときに、しゃしゃり出て我が独り先ばしる者。すべて、しゃしゃり出るのは子どもも大人も、いとにくし(とってもにくらしい)。

 

ちょっと来た、子ども、童を、目をかけ可愛がって、めずらしい物などあげたりすると、なれなれしく常に入って来ては調度品を散らかしている、いとにくし(ほんとににくらしい)。

 

家でも宮づかえする所でも、会わないでおこうと思う人が来たので、そら寝しているのを、我が使う者が起こしに寄ってきて、「眠りこけて」と思う顔して、身を引き揺るがす、いとにくし(まったくにくらしい)。

 

新参者がさしでてもの言って、物知り顔に教えるような事を言って世話をやいている、いとにくし(まったくにくらしい)。

 

我が知る人である男が、以前に、見し(見た…関係した)女のことを褒めだしたりするのも、時が経っていることだけれども、猶にくし(やはり不愉快)。まして、当面している事ならと思いやられるが、なまじっか以前のことではないなんてこともあるのだ。

 

くしゃみして、縁起直しに・呪文を唱えている。だいたい人の家の主人でないのが、大きなくしゃみをする、いとにくし(不快なのだ)。

 

蚤もにくらしい、衣の下で踊りまわって、もたぐるやうにする(皮膚を・引き手繰るようにする…毛手繰るようにする)。

 

犬が声そろえ長々と吠えている、まがまがしくさえにくし(不吉な感じさえしていや)。

 

あけていでいる所たてぬいとにくし(開けて出入するところを閉めない、そんな人・ほんとに憎らしい…開けて出入りするところ立てない、そんなおとこ・ほんとににくらしい)。


 

言は戯れ無常なもの、「聞き耳」を同じくしましょう

「にくし…気に入らない…嫌だと思う…にくらしい…憎い」「なでうことなき…何ということなき…撫で得ことなき…可愛いとは思えない」「か…蚊…男の言葉で、ぶんと読む」「わらはべのこの殿…童子の子の寝室」「まことによき人…山上憶良のような人が、子も夜殿も妻も待っている、おひらきにしょうと言えば、いい感じでしょう」「こ…此…子…おとこ」「殿…夜殿…との…女の…門の」「たてぬ…閉めない…立てない…尊重しない…尊厳を保たない」。


 

あらぬ方に向かって、そしらぬふりしてする憎きもの尽くし、うそぶき。本当に憎き者は他にあるのかも。言わないのが、うそぶきわざ。

 

藤原道長に圧倒的な力で追い詰められた後宮の女房として、抵抗する手立ては、ひにく、ふうし、うそぶきによる誹りしかない。心の内に道長を思いつつ憎きというものを声あげて並べ立てれば、曇り暮らす女たちの心も少しは晴れるでしょう。そして笑えれば、他に言うこと無いでしょう。ただし、相手を誰と決めて書いているという証拠はどこにもない。
 


 伝授 清原のおうな

聞書  かき人しらず     (2015・8月、改訂しました)

 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子による