■■■■■
帯とけの枕草子〔二十三〕たゆまるゝ物
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言 枕草子〔二十三〕たゆまるゝ物
たゆまるゝ物、さうじの日のおこなひ。とをきいそぎ。寺にひさしくこもりたる。
清げな姿
中だるみするもの、精進の日の勤行。遠い先のことの準備。寺に久しく籠もっている。
心におかしきところ
たるむ物、双肢の火の行為。門お気急ぎ。衒って久しく子盛っている。
言は戯れ無常なもの、「聞き耳」を同じくしましょう
「たゆまるる…自然に気が緩む…中だるみする…ものが弱り絶える」「物…者…事…状況…情況…ものとしか言いようのないこと」「さうじ(ん)のひ…精進の日…潔斎の日…そういうことを行ってはならない日…双肢の火」「ひ…日…火…情熱の炎」「おこない…勤行…行為」「とをき…遠き…時間が先の方…距離が彼方…ものの極みどころ…とを気…門お気…女と男の気持ち」「いそぎ…準備…急ぎ」「てらに…寺に…衒に…みせびらかすように…誇らかに」「こもる…籠もる…子盛る」「こ…子…子の君…おとこ」。
これを諧謔と聞いて、おかしと笑えたとき、千年の時を越えて趣旨が伝わったことになる。
「歌は浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕われる」と藤原俊成はいう。歌だけではなく、諧謔や嘯きのような文芸も同じ。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず (2915・8月、改訂しました)
枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子による