帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔三十二〕小白河 その二

2011-03-29 00:25:19 | 古典

 



                       帯とけの枕草子〔三十二〕小白河 その二



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔三十二〕小白河 その二


 朝座の講師清範は、高座の上も光り満ちる心地して、とってもすばらしい。暑さのやりきれなさもあって、しさしの事を今日のうちに済ますべきなのを、さし置いて少しだけ説教を聞いてからと思って来たので、帰ろうとしたところ、寄せ来る波のように集まった車なので、出ようがない(昨日遅く来たのを反省して、今朝は早く来て車を高座近くに停めていた)。朝講が果てたら、やはり何とかして出ようと、まえの諸車に事情を知らせたところ、車ひとつ高座に近く停められる嬉さかどうか(通路を空けたので)、はやばやと引き出すのをご覧になって、いとかしがましきほどおいかんだちめさへわらひにくむ(ひどく喧しいほど老上達部さえ笑いけなす……ひどく姦しいほど極まりの感断つ女さえ嘲笑し憎む)のも聞き入れず、応えもせずに強いて狭いのを出したところ、権中納言(義懐)が、「やや、まかりぬるもよし(やや!退座するのも佳し……少し、間借るのも好いものですな)」と、うちゑみ給へるぞ(ふとほほ笑んでおられるのが)、すばらしい思いがした。その言葉も耳には留まらず、暑いので急いで出てきてから、使いの人して、「五千人(退く増上慢人)のうちに、あなたもお入りにならないご様子ではありませんよ(この暑さですもの)」と言いかけて帰って来た。


 言の戯れを知り言の心を心得れば男たちの笑いもわかる

「車…しゃ…者…もの…おとこ」「おい…老い…追い…極まる…感極まる」「かんだちめ…上達部…感絶ち女…癇立ち女」「め…女」「やや…おやおや…感嘆詞…すこし…わずか」「まかる…退く…退出する…政権の座などを退く…間借る…間狩る」「間…女」。



 八講の始めよりやがて果てる日まで(四日間)留まっている、車(者…もの)があって、人が寄って来るとも見えず、すべてただ興味のない絵に書いたもののように過ごしていたので、在り難く、めでたく、いぶかしくて、如何なる人であろう、何とか知ろうと、誰かが・聞き尋ねておられたのをお聞きになって、藤大納言らは、「何かめでたからん、いとにくゝゆゝしき物にこそあなれ(何で愛でたいことがあろうか、まったく憎らしく、いまいましい者であるぞ……何んと目出度いのだろう、とってもご立派な物であるぞ)」とおっしゃったのは、をかしかりしか(おかしかったことよ)。


 言の戯れと言の心

「籐大納言…老上達部の一人…老いれば八こう四日間はおろか一媾さえままならぬものでしょう」「にくし…憎らしい…こにくらしい…よくやるよまったく」「ゆゆし…忌まわしい…ひととおりではない…ご立派ごりっぱ」「物…者…しゃ…車…おとこ」。



 さて、その月の二十日すぎに、中納言(義懐)が法師になられたのは、あはれなりしか(しみじみとした思いがする…哀れである)。さくらなど(桜…男花)散ってしまうのも、やはり世の常のことであろうか。おくをまつまの――(露がおりるのを待つ間の・生涯……白つゆおくを待つ間の・一栄)などとは、いふべくもあらぬ御有様にこそ見え給しか(言うべきではないご様子にお見受けした)。


 言の戯れと言の心

「あはれなりしか…哀れであるよ…歴史はくりかえす、因果は巡るか、義懐も伊周も叔父に政権と男の将来を奪われた同情すべき人」「しか…意を強める」「桜…木の花…男花…散りやすいおとこ花」「おく…露などがおりる…白つゆ贈り置く」。

 
 

 宮仕え以前の事。男たちの冗談、諧謔、笑いなどに、優るとも劣らず、わたり合っているのがわかるでしょうか。


 
伝授 清原のおうな

  聞書   かき人しらず         (2015・8月、改定しました)

 

 枕草子の原文は、新 日本古典文学大系 岩波書店 枕草子による