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帯とけの枕草子〔三十一〕菩提といふ寺に
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んででいたのは、枕草子の文の「清げな姿」だけ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言 枕草子〔三十一〕菩提といふ寺に
菩提という寺で、結縁の八講(四日間行われる法会)をしたので詣でたときに、人の・夫の、許より「とく帰給ね、いとさうざうし
(はやく帰っておいでよ、ひどくさみしい)」と言ってきたので、蓮の花びらに、
もとめてもかゝる蓮の露ををきて 憂世に又はかへる物かは
(君が求めても、このような蓮の甘露を措いといて、憂き世に再び帰るものですか・帰りません……わたしが求めても、このような八すが、露ほど白つゆ贈り置かれても、浮き夜にまたは返るものか・返れないわ)
と書いてやった。
まことに、尊く感動的なので、このまま留まっていようかと思えるので、「さうちう(湘中)」の家の人の待つもどかしさを、忘れてしまいそう。
言の戯れを知り、紀貫之のいう「言の心」を心得ましょう
「かかる…このような…ふりかかる」「はちすの露…蓮の甘露…仏の教え…八すのつゆ」「八…多…多情」「す…女」「つゆ…すこし…はかないもの…おとこ白つゆ」「おく…措く…置く…霜などがおりる…贈り置く」「憂き…浮き」「世…夜」「又…再び…股」「かへる…帰る…返る…繰り返す」「ものかは…反語の意を表す…ものだろうか否そうではない…物かしら否そんな物ではなし」「さうちう…湘中…何かに夢中になって帰ることも帰る路も忘れてしまった老人のこと…ゆきっぱなしのもの」。
歌の相手は夫、倦怠期かな、しばらく居ないと寂しいと言ってくるくらいだから、仲はまあまあだったか。悩みは多く説教の聴聞などに人の噂になるほど繁く通っていた頃、宮仕え以前、四日間寺に留まっていた話。うき世を捨てる気の無いことは明らかでしょう。
歌は「姿清げ」で、浮言綺語のような言の戯れの中に煩悩満ちて、「心におかしきところ」がある。「深い心」があれば、それに「心におかしきところ」が上質上品であれば、公任のいう「優れた歌」といえるでしょう。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず (2015・8月、改定しました)
枕草子の原文は、新日本古典文学大系 岩波書店 枕草子のよる