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帯とけの枕草子〔十三〕はらは
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
枕草子〔十三〕はらは
はらは、みかのはら。あしたのはら。そのはら。
原の名と聞く清げな姿
原は、みかの原、あしたの原、その原。
心におかしきところ
はらは、見かの腹、君帰り行く朝の腹、其の腹のうち。
山ばで無いところは、見かの原、あくる朝の原、其の原。
端らは、身かの端ら、吾下の端ら、園の端ら。
言の戯れを知り「言の心」心得ましょう
「原…平原…山ばで無いところ…感情の平静なところ」「腹…心の内…端ら…身の端」「は…端…身の端」「ら…等…親しみや卑下を表す」「み…見…覯…まぐあい…身」「あした…共寝の明くる朝…男が帰る時…吾下」「その…園…其の…庭園…女」。
原の名のただの羅列と聞けば無意味でおかしくも何ともない。「言の心」を心得て、心幼くなければ、上の文の「心におかしきところ」はわかるでしょう。
言は戯れて字義のほかに多様な意味を孕んでいる。それを紀貫之は「言の心」といい、「心得る人」は古今の歌を「仰ぎ見て恋しくなるであろう」と、古今和歌集仮名序の結びに記した。
枕草子は和歌と同じ文脈にある。この文脈は都が平安京から鎌倉へ江戸へと移ろう間に諸々の事情により断絶した。
それ以来、「枕草子」のうわべを大真面目な「解釈」によって凝り固められたけれども、いずれ必ず、解きほぐれる、でしょうか。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人しらず (2015・8月、改訂しました)
枕草子の原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。