帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第三 夏歌 (139)さつきまつ花たちばなの香をかげば

2017-02-01 19:07:17 | 古典

             

 

                        帯とけの古今和歌集

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

古典和歌の国文学的解釈方法は、平安時代の歌論と言語観を全く無視して、新たに構築された解釈方法で、砂上の楼閣である。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に、歌論と言語観を学んで紐解き直せば、今では消えてしまった和歌の奥義が、言の戯れのうちに顕れる。

 

古今和歌集  巻第三 夏歌 139

 

(題しらず)              よみ人しらず

さつきまつ花たちばなの香をかげば 昔の人の袖の香ぞする 

                        詠み人知らず(男の詠んだ歌として聞く)

(五月待つ、花橘の香を嗅げば、昔の女の袖の香りがするな……さ突き待つ、花橘の・端立ち端の、香を嗅げば、昔の・武樫の、男の身の端の香がするぞ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「さつき…五月…盛夏…さ突き」「花たちばな…花橘…木の花…男花…花立花…端立端…おとこ」「むかし…昔…元…武樫…強く堅い」「人…女…元妻…男…元夫」「袖…衣の袖…端…身の端…おとこ」「香…焚き染めた衣の香り…ものの匂い」「ぞ…断定する意を表す…強く指示する意を表す」。

 

花橘の香りで、昔の恋人の衣の袖の香を思い出す男。――歌の清げな姿。

偶然出逢った女が、裏切って去った妻だったのだろうか、ものを女に突きつけた男の怨念を露わにした行為(業・ごう)。――心におかしきところ。

 

この歌は、伊勢物語(六十)では、ほぼ次のように語られてある。

昔、男ありけり(昔、男がいた…無樫おとこがあった)。宮仕え忙しく、心も真面目ではなかった頃に、家の主婦、誠実に貴女を思いますと言う人について、よその国へ行ってしまった。この男、宇佐の使(勅使)として行った或る国の官人(勅使の接待係)の妻になっていると聞いて、女主人に酌をさせろ、でないと飲まないぞと言ったので、かはらけ(素焼きの酒杯)とって差し出した時に、肴の、たちばな(橘)をとって、さつきまつ花たちばなの香をかげば 昔の人の袖の香ぞする(と歌を詠んだ…と男の怨念を表出した)ので、女主人は思い出して、尼になって山寺に籠もったそうである。(鼻先に立ち端を突きつけたのだろう、男のひどい言葉と行為に、よをはかなんで、尼になってしまったのである)。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)