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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
古典和歌の国文学的解釈方法は、平安時代の歌論と言語観を全く無視して、新たに構築された解釈方法で、砂上の楼閣である。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に、歌論と言語観を学んで紐解き直せば、今では消えてしまった和歌の奥義が、言の戯れのうちに顕れる。
古今和歌集 巻第三 夏歌 (139)
(題しらず) よみ人しらず
さつきまつ花たちばなの香をかげば 昔の人の袖の香ぞする
詠み人知らず(男の詠んだ歌として聞く)
(五月待つ、花橘の香を嗅げば、昔の女の袖の香りがするな……さ突き待つ、花橘の・端立ち端の、香を嗅げば、昔の・武樫の、男の身の端の香がするぞ)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「さつき…五月…盛夏…さ突き」「花たちばな…花橘…木の花…男花…花立花…端立端…おとこ」「むかし…昔…元…武樫…強く堅い」「人…女…元妻…男…元夫」「袖…衣の袖…端…身の端…おとこ」「香…焚き染めた衣の香り…ものの匂い」「ぞ…断定する意を表す…強く指示する意を表す」。
花橘の香りで、昔の恋人の衣の袖の香を思い出す男。――歌の清げな姿。
偶然出逢った女が、裏切って去った妻だったのだろうか、ものを女に突きつけた男の怨念を露わにした行為(業・ごう)。――心におかしきところ。
この歌は、伊勢物語(六十)では、ほぼ次のように語られてある。
昔、男ありけり(昔、男がいた…無樫おとこがあった)。宮仕え忙しく、心も真面目ではなかった頃に、家の主婦、誠実に貴女を思いますと言う人について、よその国へ行ってしまった。この男、宇佐の使(勅使)として行った或る国の官人(勅使の接待係)の妻になっていると聞いて、女主人に酌をさせろ、でないと飲まないぞと言ったので、かはらけ(素焼きの酒杯)とって差し出した時に、肴の、たちばな(橘)をとって、さつきまつ花たちばなの香をかげば 昔の人の袖の香ぞする(と歌を詠んだ…と男の怨念を表出した)ので、女主人は思い出して、尼になって山寺に籠もったそうである。(鼻先に立ち端を突きつけたのだろう、男のひどい言葉と行為に、よをはかなんで、尼になってしまったのである)。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)