■■■■■
帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
古典和歌は中世に秘事・秘伝となって埋もれ、江戸時代以来、我々は奥義を見失ったままである。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の、歌論と言語観に従って紐解き直せば、公任のいう歌の「心におかしきところ」即ち俊成がいう歌の深い旨の「煩悩」が顕れる。今の人々のいうエロス(生の本能・性愛)であり、これこそが、和歌の奥義である。
古今和歌集 巻第三 夏歌 (150)
(題しらず) (よみ人しらず)
あしひきの山ほとゝぎすおりはへて 誰かまさると音をのみぞ鳴く
(読み人知らず・男の歌として聞く)
(あしひきの山ほととぎす、山に・居り続けて、誰が勝るかしらと、声あげぞ、鳴いている……あの山ばの、ほと伽す女、おを折り這わせて、なにが増さるかと・垂れがまさるのかと、おの身ぞ、無く・泣く)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「あしひきの…枕詞…歌言葉は戯れる。足ひき、悪し退き」山…山ば」「ほととぎす…夏の鳥…鳥の言の心は女…郭公…名は戯れる、ほと伽す、且つ乞う」「おり…をり…接頭語…居り…折り」「はへて…這わして…延ばして…つづけて」「だれかまさる…誰が勝るか…なにがまさるのか…垂れか優るか」「ねを…音を…声を…根お…おとこ」「のみ…だけ…限定を表す…の身」「ぞ…強調」「なく…鳴く…無く…泣く」。
山ほととぎす、山が好いのか、居続けて、競うように声あげて鳴いている。――歌の清げな姿。
あの山ばの、且つ乞う女、お、折り延ばしては、垂れがまさるのかと、なき身をぞ泣く。――心におかしところ。
前の歌と共に、この歌も、男の立場で見た女性の心と身のありさまを詠んだ歌である。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)