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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
古典和歌は中世に秘事・秘伝となって埋もれ、江戸時代以来、我々は奥義を見失ったままである。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の、歌論と言語観に従って紐解き直せば、公任のいう歌の「心におかしきところ」即ち俊成がいう歌の深い旨の「煩悩」が顕れる。いわば、エロス(生の本能・性愛)であり、これこそが、和歌の奥義である。
古今和歌集 巻第三 夏歌 (149)
(題しらず) (よみ人しらず)
声はしてなみだは見えぬ郭公 わが衣手のひつをから南
(読み人知らず・男の歌として聞く)
(声はして、涙は見えぬほととぎす、わが衣の袖の、聞くも辛く流す・涙の濡れを借りて欲しいよ……小枝は為手、汝身唾は見えない、ほと伽す女・且つ乞うおんな、わが心と、身の端の泌を借りて欲しい・難渋す)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「声はして…声はしていて…小枝は為手…おとこは為すべきこと為して」「なみだ…めの涙…汝身唾…身の泌・潤い」「郭公…ほととぎす…ほと伽す…且つ乞う」「衣…心身を被うもの…心身の換喩…心と身」「手…人…袖…端」「ひつ…漬つ…浸つ…泌…濡れ」「から南…借らなむ…借りて欲しい、難渋中」「なむ…自己の願望を表す…南…難」。
繰り返し鳴き、涙は涸れる郭公よ、同情の涙の・わが袖の濡れを借りてほしい・難しいかな。――歌の清げな姿。
小枝は為すこと為して、汝身唾は見えない、且つ乞う女よ、我が涙の白玉を借りてほしい・有頂天に送り届けたい。――心におかしところ。
前の歌と共に、この歌も、男の立場で見た女性の心と身のありさまを詠んだ歌である。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)