帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第三 夏歌 (149)声はしてなみだは見えぬ郭公

2017-02-13 19:20:46 | 古典

             

 

                        帯とけの古今和歌集

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

古典和歌は中世に秘事・秘伝となって埋もれ、江戸時代以来、我々は奥義を見失ったままである。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の、歌論と言語観に従って紐解き直せば、公任のいう歌の「心におかしきところ」即ち俊成がいう歌の深い旨の「煩悩」が顕れる。いわば、エロス(生の本能・性愛)であり、これこそが、和歌の奥義である。

 

古今和歌集  巻第三 夏歌 149

 

(題しらず)           (よみ人しらず)

声はしてなみだは見えぬ郭公 わが衣手のひつをから南
                        
(読み人知らず・男の歌として聞く)

(声はして、涙は見えぬほととぎす、わが衣の袖の、聞くも辛く流す・涙の濡れを借りて欲しいよ……小枝は為手、汝身唾は見えない、ほと伽す女・且つ乞うおんな、わが心と、身の端の泌を借りて欲しい・難渋す)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「声はして…声はしていて…小枝は為手…おとこは為すべきこと為して」「なみだ…めの涙…汝身唾…身の泌・潤い」「郭公…ほととぎす…ほと伽す…且つ乞う」「衣…心身を被うもの…心身の換喩…心と身」「手…人…袖…端」「ひつ…漬つ…浸つ…泌…濡れ」「から南…借らなむ…借りて欲しい、難渋中」「なむ…自己の願望を表す…南…難」。

 

繰り返し鳴き、涙は涸れる郭公よ、同情の涙の・わが袖の濡れを借りてほしい・難しいかな。――歌の清げな姿。

小枝は為すこと為して、汝身唾は見えない、且つ乞う女よ、我が涙の白玉を借りてほしい・有頂天に送り届けたい。――心におかしところ。

 

前の歌と共に、この歌も、男の立場で見た女性の心と身のありさまを詠んだ歌である。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)