帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第三 夏歌 (154)夜やくらき道やまどへるほとゝぎす

2017-02-18 19:09:37 | 古典

             

 

                       帯とけの古今和歌集

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

古典和歌は中世に秘事・秘伝となって埋もれ、江戸時代以来、我々は奥義を見失ったままである。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の、歌論と言語観に従って紐解き直せば、公任のいう歌の「心におかしきところ」即ち俊成がいう歌の深い旨の「煩悩」が顕れる。いわば、エロス(生の本能・性愛)であり、これこそが、和歌の奥義である。

 

古今和歌集  巻第三 夏歌 154

 

(寛平御時后宮歌合の歌)         (紀友則)

夜やくらき道やまどへるほとゝぎす わがやどをしも過ぎがてになく


 (夜が暗いからか、道に迷っているのか、ほととぎすよ、わが家の宿り木を、過ぎ去り難そうに鳴いている……世は暗闇か、人の道惑うたかな、且つ乞う妻よ、我が宿り木をも・吾や門のお肢さえも、過ぎ去り難そうに泣いている)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「夜…世…男と女の仲」「道…(鳥の)帰る道…人の道」「ほとゝぎす…郭公…鳥の言の心は女…名や鳴き声は戯れる。ほと伽す、且つ乞う」「わがやど…我が宿(庭の花の木)…おのれのや門」「木…言の心は男」「と…戸…門…身の門…おんな」「を…対象を示す…お…おとこ」「しも…強調する意を表す…下…肢も…身の枝…おとこ」「すぎがて…去り難そうに…過ぎ兼ねるように…心残りなさまで」「なく…鳴く…泣く」。

 

夜は暗く帰り道に迷うたか、郭公鳥よ、わが家の花の木を去り難そうに鳴いている。――歌の清げな姿。

一寸先は暗闇・女と男の世、人の道に惑い・けもの道に入ったか、且つ乞う女、吾がや門の肢さえに、執着して去り難そう。――心におかしところ。

 

寛平御時后宮歌合で、この歌と合わされた左歌は、

夏の夜の松葉もそよに吹く風は いづれか雨の声にあるらむ

夏の夜の、松葉もそよそよと吹く風は、どちらかしら、雨の音なのでしょうか・松葉の音か……夏の暑い夜の、女の端もそよぐように、心に吹く風は、井擦れか、おとこ雨の音なのでしょうか)


 「松…常に色変わらぬ長寿の木…待つ…言の心は女(木の言の心としては例外なので、紀貫之は松が女であることを、『土佐日記』を通じて言外に何度も示している。松は鶴(女)と友達であり、亡くなった女児は小松に喩えられる」「葉…端…身の端」「かぜ…松風…そよ風…女の心に吹く風」「いづれか…どちらか…井擦れか」「井…おんな」「あめ…雨…おとこ雨…吾女…おんな」「こえ…声…音…小枝…おとこ」。

 

この女歌のエロスに、合わされた友則の歌は、例によって、おとこの弱々しき「さが」の表出である。この対比は、「あはれ」で「をかし」く、歌合に出席の御婦人方の心を楽しませることができただろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)