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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
古典和歌は中世に秘事・秘伝となって埋もれ、今の人々は、その奥義を見失ったままである。国文学的解釈方法は平安時代の歌論と言語観を全て無視して新たに構築された砂上の楼閣のようなものである。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の、歌論と言語観に従って紐解き直せば、公任のいう歌の「心におかしきところ」即ち俊成がいう「煩悩」が顕れる。いわばエロス(生の本能・性愛)であり、これこそが、和歌の奥義である。
古今和歌集 巻第三 夏歌 (142)
音羽山を越えける時に、郭公の鳴くを聞きてよめる
紀友則
をとは山けさ越えくればほとゝぎす こずゑはるかに今ぞなくなる
音羽山を越えた時にほととぎすの鳴くのを聞いて詠んだと思われる・歌……おとことおんな山ばを越えた時に、妻が且つ乞うと泣いたのを聞いて詠んだらしい・歌。、
(音羽山、今朝越え来れば、ほとゝぎす、梢の遥か上で、今、鳴いているようだ……お門端山ば、今朝、越えくれば、ほと伽す女・且つ乞うおんな、小枝、張るかのようで、すぐぞ無くなる)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「をとは山…音羽山…を門端山…おとこ門端山…おとことおんなの山ば」「くれば…来れば…繰れば…繰り返せば」「ほととぎす…鳥…言の心は女…郭公…名は戯れる」「こずゑ…梢…小枝…おとこ」「はるかに…遥かに…張るかに…張るかのようで」「に…場所を表す…変化の方向、結果を表す」「いま…今…たちまち…すぐに」「ぞ…強調する意を表す」「なくなる…鳴いているのが聞こえる…泣いているのが聞こえる…(張るは)無くなる…(ものは)亡くなる」。
音羽山、今朝越え来くれば、ほととぎす、梢の遥か上で鳴いているのが聞こえる。――歌の清げな姿。
おとことおんなの山ば、今朝越えくれば、小枝、張るかのようで、すぐぞ逝く。――心におかしきところ。
はかないおとこの性(さが)を言い出した歌。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)