■■■■■
帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
古典和歌は中世に秘事・秘伝となって埋もれ、今の人々は、その奥義を見失ったままである。国文学的解釈方法は平安時代の歌論と言語観を全て無視して新たに構築された砂上の楼閣のようなものである。原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の、歌論と言語観に従って紐解き直せば、公任のいう歌の「心におかしきところ」即ち俊成がいう「煩悩」が顕れる。いわばエロス(生の本能・性愛)であり、これこそが、和歌の奥義である。
古今和歌集 巻第三 夏歌 (145)
題しらず よみ人しらず
夏山に鳴郭公心あらば 物おもふ我にこゑな聞かせそ
題知らず 詠み人知らず(女の詠んだ歌として聞く)
(夏山で鳴くほととぎす、心あるならば、あれこれと悩む、わたしに、カツコーという声、聞かせないでよ……あつい山ばで泣く、ほと伽す女・且つ乞う女、心あるならば、恋に悩むわたしに、且つ恋う声、聞かせないでよ……なづむ山ばで、泣く女、貴身に・心あれば、もの思うわたしに、小枝など効かせないでよね)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「なつ…夏…あつい…なつく・懐かし…なづむ(ゆき悩む・渋滞する)」「山…山ば」「鳴く…泣く」「郭公…ホトトギス…カッコウ…鳥…鳥の言の心は女」「ものおもふ…色々な事に悩む…恋に悩む…言い難いことを思う(山ばの絶頂に至りたいと思う)」「こゑ…声(カッコー・且つ恋う・且つ乞う・且つ媾)…小枝…身の枝…小さなおとこ」「なきかせそ…聞かせるな…利かせるな・効かせるな…効果あると思うな」「な…禁止する意を表す」。
カッコーの声は「聞き耳異なるもの」、思い悩む今の私には聞かせないでよ。――歌の清げな姿。
ゆきなずむ山ばで泣く女、貴身に情が有れば、小枝利かせないで・効果なしよ。――心におかしきところ。
この詠み人の心情は、一千年以上離れた赤の他人の、今の大人の女性たちの心に、おかし味と共に伝わるはずである。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)