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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解き明かす。
「古今和歌集」巻第一 春歌上(27)
西の大寺のほとりの柳をよめる 僧正遍昭
浅緑いとよりかけて白露を 珠にもぬける春の柳か
(浅緑の糸に撚りをかけて、白露を数珠でもあるかのように貫き通した、春の柳だなあ……浅見とり、とっても強く撚りかけて、吾が・白つゆを、珠ででもあるかのように、貫き・抜いた、春の垂れ枝よ)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「浅緑…新緑の色…浅みどり…浅見とり…浅い交情」「み…見…覯…媾…まぐあい」「いと…糸…柳の細枝…非常に…たいそう」「よりかけて…撚りかけて…強くして」「白露…夜露・朝露…白つゆ…おとこ白つゆ」「たま…玉…珠…真珠…数珠」「にも…「ぬける…貫いた…(珠を糸で)貫き束ねた…抜ける…離れ出た」「春…季節の春…青春…春情…張る」「柳…しだれ木…木の言の心は男…枝垂れ木…肢垂れ男」「か…感嘆・詠嘆…かな」
新緑の細枝に撚りをかけて、白露を真珠のように貫き束ねた柳かな。――歌の清げな姿。
浅い夢中の春情のおとこ白つゆを、真珠のように、ぬいている、我がはるの垂れ枝よ。――心におかしきところ。
僧正遍昭(遍照とも)、俗名は良岑宗貞。左近少将、蔵人、三十数歳の頃、嘉祥三年(850)仁明天皇の崩御により出家した。
断ち難き煩悩は否応なく張るの身の枝に白つゆとなって露出する。それを「清げな姿」にして、言の戯れを利して「心におかしく」表出した。そこに、にわかに出家した作者の「深い心」があるだろう。
国文学的解釈の共通するところは、真珠を貫き連ねたように、白露を付けて立つ春の柳を見て、自然観照して、愛でている作者に、どのように感情移入するかに、解釈の重点があるかのようである。平安時代とは、解釈の次元が異なるのである。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)