帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(23)春の着る霞の衣ぬきを薄み

2016-09-19 18:55:45 | 古典

               


                             帯とけの「古今和歌集」

                    ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解き明かす。


「古今和歌集」巻第一 春歌上
23


         題しらず           在原行平朝臣

春のきる霞の衣ぬきを薄み 山風にこそみだるべらなれ

(春の着る霞の衣、横糸が薄いので、山風に・吹かれ、乱れているようだ……春情の切れる、彼済みの頃も、抜きが薄情なので、山ばの心風に、此れ其れ、みだれているようだ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「春…季節の春…春情」「きる…着る…切る…絶つ…尽きる」「かすみ…霞…彼済み…あれが済み」「衣…心身を被うもの…心身の換喩…ころも…頃も」「ぬき…貫き…緯…織物の横糸…抜き…ぬき去り…ひきあげ」「を…おとこ」「―を―み…何々が何々なので…何々だから」「山風…山ばの心風…普通激しいので嵐・荒らし」「こそ…強く指示する意を表す…此其…かれこれ…あれとこれ…はっきり言いたくない物」「みだる…乱れる…淫れる…みたる…身垂る」「べらなれ…べらなり…のようすだ…のようだ」。

 

春霞が山風にみだれる風情。――歌の清げな姿。

春情の果ての頃、ものの山ばの心に吹く風の荒らしに、おとことおんなのみだれるありさま。――心におかしきところ。

 

在原行平は業平の異母兄である。光孝天皇の御時(仁和三年・887)に、七十歳にて致仕、正三位中納言であった。歌は古今集にこの歌を含めて四首ある。その特長は一句一句が吟味された言葉が鎖のように連なっていて、そこに、上のようなエロス(性愛・生の本能)が顕れるように詠まれてあること。ただし、エロスは、弟の業平のような花が萎んでもその匂いが残るような妖艶さは無いこと。

「はる・きる・かすみ・ころも・ぬきを・うすみ・やまかぜ・みたる」と、複数の意味を持つ言葉が鎖のように連なっている。藤原俊成は行平の歌体には批判的である。「あまり(余計に・余情に)ぞ、くさり(鎖・腐り)行きたれど、姿をかしきなり古来風躰抄」との評は、この歌を含め、四首ともに共通して言える事である。後に他の歌にも接した時にわかる。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)


帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(22)春日野の若菜つみにや白妙の

2016-09-18 18:52:09 | 古典

               


                            帯とけの「古今和歌集」

                   ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


  
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解き明かす。


 「古今和歌集」巻第一 春歌上
22

 

歌たてまつれと仰せられし時、よみて奉れる   貫 之

かすが野のわかなつみにや白たへの  袖ふりはへて人の行くらん

     醍醐天皇「貫之よ、春のよき日を題に・歌を詠め」と仰せられた時、詠んで奉った歌

 (春日野の若菜摘みにかな、白妙の袖振り、栄えて・映えて、人が行くのだろう・今頃……春の微かなひら野のせいかな、白絶えの身の端、振り、延えて、男が逝くのだろう)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「かすがの…春日野…若い男女が若菜摘みに集う所…年頃となった男女の、言わば野外婚活パーティーの場…微かの…山ばのないひら野」「わかなつみ…若菜摘み…若女娶り…若汝摘み」「にや…でかな…にやあらむ…であろうか」「白たへ…白栲…白妙…白絶え…おとこの果て」「袖…端…衣のそで…心の端…身の端」「衣…言の心は心身」「ふり…振り…降り」「はへ…栄え…映え…延え…のびて」「人…人々…男」「行く…ゆく…逝く」「らん…今、見えていない所のことを推量する意を表す…原因・理由を推量する意を表す」

 

喜び勇んでことさら袖振りながら、春日野へ行く若者たちの様子を想像した。――歌の清げな姿。

若い男の、初めて逢い合うありさまを推量した。おとこのどうしょうもないさが、おとこの本性。――歌の心におかしきところ。

 

貫之が批判した文屋康秀の春の日の光にあたる我なれど かしらのゆきとなるぞわびしきという歌と、何処がどのように違うのだろうか、「心におかしきところ」が聞こえれば、比較検討できるだろう。あえて、やってしまおう。康秀の歌は、初老の男の風情につけた、おとろえたおとこの白絶えのありさまの独白。片や、貫之の歌は、若者たちの喜び勇んで行く想像的風情につけた、若きおとこの、最初の白絶えのありさまの想像的客観的描写。


 (古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)




帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(21)きみがため春の野にいでて若菜つむ

2016-09-17 18:47:27 | 古典

               


                            帯とけの「古今和歌集」

                    ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解き明かす。


 「古今和歌集」巻第一 春歌上
21

 

仁和の帝、親王におましましける時に、人に若菜賜ひける御歌

きみがため春の野にいでてわかなつむ わが衣手に雪はふりつつ

光孝天皇、お若くていらっしゃった時に、或る女人に賜われた御歌

(きみのために、春の野に出て、若菜摘む、わが衣の袖に、雪は降りつづいていた……あなたのために、春の野にでて、若菜摘む、我が衣のそでに、白ゆきはふりつづいていたよ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「きみ…君…男女ともに用いる人称代名詞…あなた・貴女」「若菜…若い女…菜・草の言の心は女」「つむ…摘む…採る…引く…めとる」「ころもて…衣手…衣の袖…衣の端」「衣…心身を包むもの…心身の換喩…心と身…あなたを妄想する心と生の本能のある若き身」「雪…冬の景物…逝き…白ゆき…おとこの情念」「つつ…継続を表す…反腹を表す」

 

早春の若菜摘みに、淡雪の降る風情。――歌の清げな姿。

 

若き親王が若菜摘まれた時の身辺の情況は、普通の言葉では言い表し難い。もし言い表せばけがらわしいと思われるだろう。

この歌の「心におかしきところ」が、相手の女性に伝われば、洋の東西を問わず史上最も強烈な求愛の歌となるだろう。先ず、その女性のお付きの世慣れた女房たちの心身に確実に伝わるだろう、そうすれば求愛成就間違いなしである。

 

「やまと歌」は、人のほんとうの心根を見事に清く言い表せる「和歌」という高度な文芸の形式を、万葉集以前から持っていたのである。和歌はわが国の誇るべき文芸であるが、近世・近代の学問的解釈の風土に覆われて埋もれたままなのである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)

 


帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(20)梓弓をして春雨けふ降りぬ

2016-09-16 19:18:05 | 古典

               


                            帯とけの「古今和歌集」

                   ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


  
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解き明かす。


 「古今和歌集」巻第一 春歌上
20


     (題しらず)            (よみ人しらず)

梓弓をして春雨けふゝりぬ あすさへふらば若菜つみてん

(梓弓おして・この辺り一面、春雨が今日降った、明日もふるならば、若菜摘みできるだろう……あの弓張の、おをして、春のおとこ雨、京に降った、あすも降るならば、必ず若菜摘もう・きっとわか汝娶ろう)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「梓…弓材にする木…枕詞…をし・おしにかかる…美称」「弓…つわもの(武具)…弓張…言の心はおとこ」「をして…おして…全体に…おしなべて…おをして…おとこして」「はるさめ…春雨…春情のおとこ雨」「けふ…今日…京…絶頂」「ぬ…完了したことを表す…(降って)しまった」「「若菜…若い女…若汝…吾女」「つみてん…摘めるだろう…摘むつもりだ」「つむ…摘む…採取する…ひきぬく…めとる(娶る)」「てん…てむ…強く推量する意を表す…強い意志を表す」。

 

春雨降る毎に成長する若菜を摘む日を待つ人の心。――歌の清げな姿。

若菜摘む日に逢い合った若い女を、明日も春雨降らせれば、吾が汝よ、きっと娶ろう。――心におかしきところ。

 

めでたし、めでたし、若い男の決心を述べた民謡風の歌である。

囃し言葉など入れば催馬楽になるだろう。「梅が枝に」倣って、謡ってみよう。言の心と言の戯れの意味は変わらない。

梓弓、おして、春雨や、はれ、春雨や、けふ降りぬ、明日さへ降ればや、あはれ、そこよしや、若菜つみてん


  
 (古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)


帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(19)春日野の飛火の野守いでて見よ

2016-09-15 18:43:27 | 古典

               


                             帯とけの「古今和歌集」

                    ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解き明かす。


 「古今和歌集」巻第一 春歌上
19


          (題しらず)                (よみ人しらず)

春日野の飛火の野守いでて見よ いまいくかありてわかなつみてん

(春日野の飛火の野守、野に・出て見よ、今から・幾日あれば、若菜摘み出来るだろうか……春の・微か野の、情熱の・ほとばしる火の、ひら野まもる女、野を・出でて見よ、井間、逝くか在りて、わが汝、摘みとっているだろう・積み詰めているつもりだ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「春日野…若い男女が若菜摘みに集う所…年頃となった男女の、言わば野外婚活パーティーの場…微かの…山ばのないひら野」「とぶひ…飛火…地名…名は戯れる。飛び交う情熱の火、ほとばしる火」「のもり…野守…野盛り…ひらのを盛り上げるひと…野まもり…ひら野に留まる人」「見…覯…媾…まぐあい」「いま…今…今より…井間…おんな」「いくか…幾日…逝くか」「若菜…若い女…若汝…我が汝」「な…汝…身近なものを、親しみ込めて汝と呼ぶ…おとこ・おんな」「つみ…摘み…積み…詰み」「てん…てむ…とよく推量する意を表す…(摘み)してるだろう…強い意志を表す…(積み重ね詰める)つもりだ」。

 

正月の若菜摘みの日(初めて女たちと出逢う日)を待つ、若い男のはやる気持ち。――歌の清げな姿。

和合の山ばへ、宮こへと、微かな春のひら野を盛り上げようと、はげむ若もののありさま。――心におかしきところ。

 

はやし言葉が入り、繰り返し唄われる民謡のようである。心におかしきところのエロス(性愛・生の本能)に、生々しさは消えている。

「催馬楽」は、民謡が精錬されて、楽器の演奏と伴に宮廷でも酒の席などで謡われるようになったものとされる。先に揚げた(5)梅が枝の鶯春かけて 鳴けどもいまだ雪は降りつつ、と同じ歌が催馬楽にある。どのように謡われていたか聞きましょう。

梅が枝に、来居る鶯や、春かけて、はれ、春かけて、鳴けどもいまだや、雪は降りつつ、あはれ、そこよしや、雪は降りつつ

 

歌言葉の「言の心」と戯れの意味は(5)の歌と同じである。

「梅…木の花…言の心は男花…春のお花」「枝…木の枝…身の枝…おとこ」「うぐひす…鶯…鳥…言の心はおんな…女…をみな」「春…季節の春…青春…春情」「かけて…懸けて…心にかけて…心をそそいで…言葉に出して」「鳴けども…泣けども…(感極まって)泣くけれども」「いまだ…未だ…今だ…井間だ…おんなに」「雪…ゆき…白ゆき…おとこの情念」「つつ…継続・反復の意を表す…筒…おとこの果ての自嘲的表現」。


 今の人々にも、催馬楽の「心におかしきところ」は聞こえるだろうか。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)