東博にふらりと言ったら、第13室の常設に、大好きな平櫛田中が。先月行った芸大の展示以来、また出会えてうれしい。
「森の仙人」1917
解説:「森の書」と題して大正6年の再興日本美術院展に出品された木彫。「森の書」とは、バラモン教の聖典「リグ・ヴェーダ」に付随する文献「アーラニヤカ」のこと。インドの聖者が森の書を熟読する姿を現している。
アーラニヤカとは?。ウィキペディアでは「ブラーフマナとウパニシャッドの中間的な内容で、哲学的な部分もある。しかし大部分は秘儀的な祭式、およびマントラの象徴的解釈で占められ、人里を避けた奥深い森の中で伝授されるべき秘法について述べており、呪術的な性格が強い。」と。
「奥深い森の中で伝授されるべき秘法」とは気になるけれど、その内容までは検索したくらいではわからず。
リグ・ヴェーダには他の文献も付随してあるのに、どうして森の書なのか?田中はこの内容まで知っていたのだろうか?
田中はアーラニヤカをどこで知り、手をつけたのだろう?。1901年からインドに滞在した岡倉天心から話を聞いたかもしれない。生涯尊敬を向ける岡倉天心に認められたのが1908年。天心の門下生みたいな大観や観山、木村武山とも親交があったようだから、彼らと語りあったことがあったかも。大観や観山も、インドの聖者を描いている。
田中は「本の鬼」とも言われたそうだから、このアーラニヤカの内容も知っていたのかもしれないし、この本に没頭する姿は、自分自身との共感なのかもしれない。
いろいろ妄想しつつも、経緯はよくわからない。
なんにしても、こんなに近く360度まわりこめて、写真も好きな方向から撮れる!
足は土がついているようで、生身を感じた。
深く書に入り込む視線。
「60、70ははなたれこぞう」と言い、107歳まで生きた田中だから、田中の作品の中では、まだ若い45歳の作。
ぐるぐる回ってみていると、あれ?、いつもと少し違う感じを覚えた。
田中の作品は、小さいものでも、内から発するものがすごい。メラメラと気を発している。禾山笑、活人箭、鏡獅子、あの静かな良寛でさえ。
でもこの作品は、あのメラメラを発していない。うちへうちへ。唯一あるとしたら、書と仙人の眼の間にベクトルがあるのだが。
でも外には発していない。
仙人の思索は、深く内へ向かい。しかもかぶりものを頭から深くかぶり、発するものもなにも、布のなかにこめている。
こんな作品もあるんだなあとしみじみ感じ入る。
さらには、田中の作品がオーラを閉じると、周りに森の景色が見えてくる気がするから、不思議。静かだ。
森の書だからって、森で読んでるわけではないのかもしれないけれど、澄んだ森の空気と、木漏れ日。
本を持って森に行ってみようか。いやむしろこの作品こそ、森の中に置いてみたい。
なかなかいけないけれど、晩年の自邸跡の小平の美術館と、生まれ故郷の岡山の美術館に行きたいもの。