明日から鈴木其一展
出光の江戸絵画展の時(その時の感想)以来、ブロンズィーノみたいに見える絵があるかも?と楽しみにしてます。
その時に書いた通り、酒井抱一の「風神雷神図」が展示されていましたが、「雲」が面白い。雷神の雲が「どんどん」と發音みたいで、雲に興味がわいたのです。
それで俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一のそれぞれの風神雷神図はどんな雲だったか、画集でみてみました。(2008年の国立博物館の大琳派展では、この4人の風神雷神図がそろったのです!展示替えがあったような、記憶もあいまいだけど、以下そのときの図録から)
俵屋宗達
尾形光琳
酒井抱一
鈴木其一
雲だけに注目してみたら、かなり違っています。
宗達は、雷神の方は雲が少ないけれど、風神は雲を一緒に連れてきたように少し多め。たぶん、そんなに雲に意識向いていない?。風神雷神自身の迫力で勝負。
光琳は、宗達よりも雲がたっぷり。もわもわと暗雲。でも雲の形は宗達のとそっくりです。雲と風神・雷神とのバランスを上乗せしたかな。
抱一になると、雷神は墨を飛び散らせたような、雲というより音の表現。風神は空を駆けてきたように流れてて、速度の表現に。抱一のこの表現で、雲が面白いなあと気づいたのでした。金地に墨の濃淡や筆のいきおいに見とれました。
そして其一は・・
他の三人と全然違う。雲が美くしすぎる!もはや雲が主役、くらい。
余白をたっぷりと、風神の雲は流したような墨の美しさ。雷神は、自分の語彙の貧困がもどかしいけれど、濃淡、ぼかしにうっとり。
風神・雷神がどこからきてどう動くのか、前後左右の空間の広がりが見えてくるし、こちらへきてここで雷を打ち鳴らし風を巻き起こすという過去・未来という時間も、この雲と余白から見えている。
そして観ている者の気持ちを煽り建てる。やはり其一は煽情的。
宗達・光琳・抱一は二曲一双の屏風だけど、其一だけは襖。風神雷神はそれぞれ裏と表に描かれているので、単体として構成が完成されているということもあっての、この墨と余白でしょう。それにしてもうっとり。
この画集の解説では、其一の風神雷神の顔は「卑俗」と。顔だけ見比べてると、4人それぞれ風神雷神の視線がおたがいみつめあってたり、逆にそれぞれ下界をみていたり。体もしまってたり、ちょっとふやけてたり。いろいろな視線でみるとけっこうおもしろい。
なんにしても、其一の空間表現て面白い。なのに、細部は、ものすごく腕が立ち几帳面にきっちり。牡丹図なんかぞっとするくらい写実の極み。その二面性というか両刀使いうか。
とにもかくにも、明日からの其一展、その変遷と行きついた先の一作が楽しみ。こんなことを書いても明日にはとんちんかんな見方だったと思い知るのかもしれないし、それも楽しみだったりする。