アカデミア美術館所蔵 ヴェネチア・ルネッサンスの巨匠たち 国立新美術館
2016.7.13~10.10
ヴェネチア・ルネサンスというくくり。よく知らないので、楽しみにしていた。イタリアも行ったことなく、三岸節子や多くの画家をひきつけたヴェネチアの光と色を絵から感じられるかな、と。
おおむね時期に添って章立てされており、一枚一枚が見どころがある絵が多かった。以下、印象深かったものの羅列。
◆1章「ルネサンスの黎明ー15世紀の画家たち」
ヴェネチアルネサンスの祖、ヤコボ・ベッリーニの作品はなかったけれど、その息子(一説には異母弟)ジョヴァンニ・ベッリーニから.
ジョヴァンニ・ベッリーニ「聖母子(赤い智天使の聖母)」1485-90
色数は多ないのに、多くないから?この明快さ。白、紺、赤、背景の淡い青。そのとりまとめの絶妙さにしばらく見とれた。
そしてぷくぷくとよく太って一般人の赤ちゃんみたいな、キリストのかわいさ。指なんかエビせんみたいで。
ママを見上げる目も、ベビー肌着みたいな白い服も、普通の子みたい。
そして、天上に散らされたこの赤い天使たちも、丸い顔がかわいい。特にこの子たちがかわいい。
ママ×マリア〇は、将来を予感したようなかすかな憂いも。不自然に大きな手が、しっかりと子供を支えている。子供を守ろうという愛情だったり意思だったりなのかな。
ふと、幼子の目が、来るべき運命を母に問うているようにも見えてきた。
背景の自然描写は、ヴェネチアルネサンスの特色だそう。繊細に描かれていて、空気が澄んでいる。
ラッザロ・バスティアーニ「聖ヒエロニムスの葬儀」
遠くから見ると、遠近が面白いなあと思う。窓から見える明るい風景が、葬儀の悲しさにさおさすような。壁や床の色調も、ベージュ系とグリーン系の落ち着いた感じが好きだなと思った。ヒエロニムスといえばこの義理堅いライオン(足にとげが刺さったのを手当てしてもらったらしい)がセットだけれど、しょんぼりした様子がなんとも。
が、近寄ってみるとぎょっとする。7人の黒衣の人たちの顔。平面的で仮面みたいで、怖い・・。
ワザと?。他の人物の顔は普通に描き込まれているのに。
横たえられたヒエロニムスとそれを囲む7人、そして幾分明るい背景と他の人物。死出の世界とこの世という、二つの異なる次元が交錯しているような。怖い絵に見えてしょうがない。
カルロ・クリベッリはとても気になる画家。「福者ヤコボ・デッラ・マルカ」「聖セバスティヌス」
どこかシュールな感じ。緊張感あって。もとは4枚組だったそうだ。モリスみたいな模様の布はタペストリー。イタリアというよりはどことなくドイツっぽいし、古風な感じも。くせのある二人の表情。
場面上、セバスティヌスは屋外にいて、ヤコボデラマルカは屋内にいるけれど、同じタペストリーの前にいる。シュールな感じがしたのは、そこに違和感があるせいだろうか。
特にセバスティヌスの体のリアルさにはどきっとする。足がすごい。この足の甲の湾曲や、指の誇張したような節。そして脱力した表情とうらはらに、きゅっとしめたような筋肉。緊迫した体。突き刺さる矢とともに、思わず力入ってしまう。
幾分抑えた光が左からあたっていることを確かな技術で描いているけれど、むしろ影のほうに目が言ってしまう。意味ありげで。
ひとくせありそうで、興味ひかれるクリヴェッリ(1430/35~1495)。
ベッリーニ、ヴィヴァリーニの工房を経て、パトヴァに。そこでマンテーニャの影響を受けたというのも興味あるところ。が、1457年に人妻との姦通罪で有罪となったのちは、クロアチアなど各地を放浪。1468年以降はマルケ地方に定住した。この祭壇画は、マルケ時代、50~60代のもののよう。
この時代にあって、特異な存在と言われるようだけれど、他のもみてみたいもの。
アントニオ・デ・サリバ「受胎告知の聖母」
受胎告知のシーンだけれど、大天使ガブリエルも百合もハトもいない。マリアの視線と手の動きは、見えないガブリエルの気配に、耳を澄まし意識を集中し。左から光が当たっているけれど、右の方からかすかな風が。本のページが煽られて、手で感じている。ガブリエルの舞い降りた気配なんろうか。
受胎告知でも、次に来たマレスカルコ「受胎告知の聖母」の胸の前で交差した手はすでに胎内を抱くよう。でもこのサリバの手は、告知を受ける、直前のシーンのような。知る一瞬前。
ヴィットーレ・カルパッチオ「聖母マリアのエリザベト訪問」
ユダに住む姉と抱き合うマリア。いろいろな要素が描き込まれている。遠路にくたびれちゃったヨゼフ。動物がどれもかわいい。鹿(救世主の到来への渇望)、白ウサギ(処女懐胎)。それに張り合うキジ。おしりがかわいい茶ウサギ。なんだか端々にユーモラス。
さらに少しエキゾチックなのは、端の方のヤシの木と、オスマントルコの人。当時のヴェネチアをとりまく状況を想像。
ニコロ・ロンディネッリ「聖母子と聖ヒエロニムス」
ジョバンニ・ベッリーニの工房に入り、生涯影響を保ち続けた、と。この散らされた花やうつむく顔はどことなくボッティチェリを思い出した。
大きく区切られ、各色も魅力的な、色使いにも引き込まれた。各色、モスグリーンや少し淡い水色など、セザンヌ「サントヴィクトワール山」を思いだしたり。
フランチェスコ・モローネ「聖母子」
美しすぎる聖母、美しすぎる子といえば、これがトップじゃないかと。
解説を読みながら観ると、赤で分断されていて、三角形構造。意識すると、三角が多重構造になっているのが面白い。赤色で構成される三角形は頂点に口びる。そして紺の三角形、緑の三角形と。
ヴェローナで中心的な存在だったそうだけれど、マンテーニャ、デューラーの影響というのも興味あるところ。
いろいろ見ごたえあった一章。総じて、色が印象的だった。色遣いはシンプルで大胆でもあり。
十分魅力的だったけれど、そこへ16世紀初頭、ヴェネチア絵画に革命がおこる。
◆第二章「黄金時代の幕開けーティツイアーノとその周辺」
ジョルジオーネとティツイアーノが革命的な変化をおこす。
「ジョバンニ・ベッリーニの豊かな色彩表現を受け継ぎながら、彼らはフィレンツエ派のレオナルドダヴインチやミケランジェロからも刺激を受けつつ、真にヴェネチアとい独自といえる絵画の伝統を開始した。その本質は、光と影の効果や色彩の調和に対する素晴らしい感覚にある。(略)柔らかい光につつまれた風景や官能的な女性像を若々しい詩的な感性で描き出し、ヴェネチア絵画の黄金期を現出させたのだった」(解説)と。
アンドレア・ブレヴィターリ「キリストの降臨」
光の当たる幼子を顔を寄せて見つめる、鹿と牛のまなざしが優しくて。金の鼻息?まで描かれていた。遠くにスイスのマッターホルンらしき雪山が。発注主はきっと喜んだと思う。
ジョバンニ・フランチェスコ・カロート「縫物をする聖母」には、驚いた。
この金の混じったブロンズのような幼子イエスが、官能的に見えて。この肢体のかすかなねじりや、かすかに膨らんだ胸や頬、膝なんかのほのかな赤み。イエスにこんな表現っていいんだろうか?鋭いハサミは何かの暗喩なんだろうか?
前章もそうだったけれど、ヴェネチア絵画の表情の豊かさ。意味ありげな雰囲気。
ジョバンニ・ジローラモ・ザヴァルト「受胎告知」は、青色が印象的だった情景。
大天使ガブリエルに見とれた。真っ白な服についた羽の青さが美しくて。
そして一瞬マグリットみたいな窓の外の青空も。赤い人影は「父なる神」とのこと。飛んでくる白いハト、ガブリエルの持つユリ、ランプの小さな灯りと、小さなものが点在させる白い色もすてきだった。
ボニファーチョ・ヴェロネーゼ「嬰児虐殺」は、痛ましくて目もあてられない。母親たちの必死の形相。男たちの冷酷な目。よく見なかったけれど、後で解説だけ読むと、後ろにヘロデ王が描かれていた。
ボニファーチョ・ヴェロネーゼでは、「父なる神のサンマルコ広場への顕現」も壮大。
下には、サンマルコ広場、ドゥカーレ宮殿などの正確な都市景観。青い空の上にまったくテイストの異なる次元。黒雲に乗って父なる神が風神のように飛んでいく。静と動。下界と天界。定規で引いたようなち密な筆致と、一方で筆の荒々しい筆使い。いろいろな対比にびっくり。下界はおだやかな光に包まれているけれど、それとは別に父なる神は別の光源の光を背景にしているので、ますます異次元の二つを感じるのだと思う。
ティツイアーノ「受胎告知」は、これを日本で見られたことに、いいのかなって思うほど。絵の前に可能な限りたっぷりとられたスペースで、ひいてみたり近づいてみたり。グレコがこれから影響を受けたのもわかる。光源から描いたような光がすごい。
ドラマティックで、すべてが動きに満ちていた。そして雲の割れ目から光が噴き出し、その瞬間に飛び散る天使たち。舞い降りたばかりで走りよるガブリエルの足。告知に「えっ」っとおののいたようなマリアの驚き。幾人かの天使たちはガブリエルの手を摸して交差している。
近づいてみると、わりに荒く勢いのある筆致だった。こんなに大きな絵。なのにどこをとっても、あやふやなところがなく、下のほうの遠景でさえ奥へと入っていけるほど、深く描かれている。意匠の白や青も幾重にも塗り重ねられて、どこも深みが。巨匠ってやっぱりすごいと今更ながら打たれたのだった。
もう一枚のティツイアーノ「聖母子(アルベルティーニの聖母)」は、逆に静かだった。キリストの垂れた右腕は、死を暗示するのだそう。マリアの瞳は涙か浮かんでいるようで、悲しみに満ちていた。
今回の作含め、ティツイアーノは晩年に大きく筆致を変え、わりに筆致の荒々しくなった、と。初期から見てみたいもの。
ティツイアーノと工房「ヴィーナス」は、ナショナルギャラリーの「鏡を見るヴィーナス」のヴァリエーションであり、右半分の鏡の部分が切断されているらしいと。だんだんむちむち官能さが増してきています。布や肌に触感を感じるような。ふんわりした光のせいかな。
パリス・ボルドーネ「眠るヴィーナスとキューピット」
横たわる裸婦は当時の流行。多産や繁栄の守り神として描かれたとか。薔薇が美しく、髪の毛は細密に輝いていた。健全に官能的だった。
ティッツイアーノの画力はやっぱりすごい。同時代の画家たちも、ぶっとんだ表現はないもの、少しづつの冒険や自由なひねりや、自分なりのエッセンスを加えられていて、全体的に新鮮な感じ。自由が許されて堅苦しい感じがない。いつしかスタンダードになっていったその初めのころ。ティツイアーノも他の個々の画家も見ごたえあって楽しかった。
(2に続く)