菊池寛実記念 智美術館 篠田桃紅「昔日の彼方に」
2017.3.29~5.28
篠田桃紅さん(1913~)の作品をずっと見たいと思っていた。
「103歳になってわかること」という本を見つけて、それはどんな事なんだろう?と。
ずっと、そんなに長生きしたくもないけれどと思っていたけど、もしかして100歳まで生きたらわかることがあって、何の悩みもすでに越えさっているのなら、そんな境地に一度浸ってから死ぬのもよさそうだ、と開眼?したのだ。人間の悩みの大部分って、社会や人間関係、家族など自分以外の人間について派生するものが大きいと思うけれど、100歳にもなったら、みんな先立ってしまって、さらに長い時間もたって、「辛い」とか「孤独」はもうその種すらなくなっているのだろうか?と。孤独はもはや孤独でなくなるんだろうか?と。篠田桃紅さん自身、幼いころから身内の死に何度も直面したり、死ぬような目に合ったりしている。
展覧会を待ちわびていました。
とはいえ、線だけの作品だから全くわからないかもと思いつつ行ってみると、よくわからないなりに、とても充たされた思いのする展覧会だった。
年代ごとではなく、共通する何かを感じ取れるように作品が並べられていたのかもしれない。タイトルと作品とを両方見ることで、心に広がってくるものがある。
「甃(いし)のうえ」1990、「花のたね」1958は、三好達治の詩から。読めないんだけれども、解説に詩があって、紙の色、字の流れやリズムで、その情景を感じることができた。
「Daybreak 夜明け」1967は、すった墨の、ぬるく豊潤な質感を感じた。
「Vermillion Harvest みなぎる朱」2010は、銀に朱。実った小麦を感じる。ふととても暖かいものを感じてしまった。97才。ひとりであるからこそ、自然のもの、四季のものと近しく身をおくこともでき、自分と重なり、そのまま筆に流れ出る。筆から表されたものは、その風景であり、もう移ろってしまったその前の動きであり、風であり、そのままなんだろう。孤独のなかからこんなにあたたかい思いが出てくる。
「Discovery ひらく」1962は、それから50年も前。
49歳か50歳頃の乗りきったころは、野心、情熱をほとばしらせるような。感情と力。強く、先走るもの。重なる墨も幾重にもしぶきをあげる。
「Izumi 泉」1967も、まっすぐな線が潔かった。ぬるい曲線はない。研ぎ澄まされ、一気に下ろされ、走った、その軌跡を目で追うと、それでも泉には墨の豊潤さが。
「Sonority 響」1999、「Phases 相」2011のあたりは、心の中のなにかの感覚的な動きが。通り過ぎていく、自分の中の一瞬のもの。感情というほどでもなく思いというほどでもなく。
Sonorityは音楽のやり取りかも。Phasesは、楽しい遊びのひと時のよう。「Voyage 旅」2009は、飛行機でおり立って、異世界を目の当りにしたら、こんな感じだろうか。
「Chikara ちから」2011は、果敢な感じだった。なぜか小林麻央さんを思い出した。小さい子供がいて病と闘う麻央さんのブログを時々拝読していて、決して多くはない言葉のひとつひとつは心の深いところに触れ、こちらが力をもらうことがよくある(面識もない有名人の方にこういうのは初めてですが、早くよくなられるように祈らずにはいられないです)。この作を見ると、自分にどれほどの力があり、自分の中にどれほどのものがあるのかわからないけど、ただただひたむきに。この作品も、力をもらうような作だった。
「Quietude 静穏」1990は、急に静かさが立ち上がる。自分の中の静かさに響く。
「Fountain of Gold 黄泉」2016
潤沢にここにいる、という感じ。
展示の最後に「Memories of Nara 奈良」2017
親交のあった会津八一の歌を書いている
「あめつち(天地)に われひとりいて たつごとき このさびしさを きみはほほえむ」
なんだかもう、すごく大きなものに包まれたような。このさびしさをきみはほほえむ でなななんだか泣きそうに。
最初は、線だけの作品ってわからないかもと思ってきたけれど、なにかとてもあたたかいものが広がってくる展示でした。孤独がとてもあたたかいもののように思えるのです。立っているその地面に風景に四季に、ただ生きているだけでも、なにもないわけじゃない。力を感じるもの、実りや自然の豊潤さがある。なにかふわふわと包まれたような感じで、帰りました。
(追記:会場でもらった紙から)満ちてくるものを待つ時間、過ぎてゆくものを惜しむ時間、そんな物事にはっきりかかづらっている時間でない時間に、本当の時間が見えてくる気がする。 なんとなく有る時間、ひとがうつろいにうつろうまま任せる時間は、時は失われているようでそうではなく、そういう時、ひとはきっと静かな目を開いている。(篠田桃紅「その日の墨」1983年 新潮文庫)