はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●東博常設:崋山、椿山、英一蝶、梅逸、久隅守景など

2017-06-13 | Art

(東博の常設シカゴ・コロンブス博の続き)

上野公園にイヌタデがあちこちに咲いていた、6月のある日。

渡辺崋山、椿椿山、英一蝶、山本梅逸、久隅守景と好きな絵師たちがそろっているので、楽しみにしていました。いつもの備忘録です。

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山本梅逸「倣董源山水図」1844

梅逸の描きこんだ絵は、肌にざわざわ来る感じ。ぶつぶつのものを見た時のような。

調子を変えずに黙々と描き続けている。文人画でも、池大雅や玉堂は線も形状も大胆にぶっとんでいてのあの独特さだけれど、梅逸は平易な筆目なのに、微妙に看過できない不思議さ。

梅逸の三幅の花鳥図も。上に伸びてゆく花に、鳥の目線がひねりが効いててかわいい。あらこれはきれいな絵だわ、と最初は思うのだけど、ふっと、きれいなだけじゃない違和感。枝ぶりからして、プラスアルファの梅逸独特のなにか。梅逸が描くと自然にこうなったのか、何か狙ったのか?。

左幅は、菊の葉、菊の花、赤い実、つゆ草、笹。どの要素も面白くなっている。感じ方として抽象のように思えてくるのはなぜ。

中幅は、バラの幹の固く筋張ったところまでよく表れている。執拗な観察眼。性格なんだろう。

右幅は、ピンクの着色に見とれる。たんぽぽは本当にそこに咲いているみたい。

花鳥画も山水画も、定番の画題を丁寧に達者に描きながら、シュールという名のフリカケを少しかけたような。その妙さゆえ、離れられない梅逸。

 

同じ愛知出身つながりなのか、田原藩家老の渡辺崋山「十友双雀図」1826

梅逸どころか、普通を超えて尋常じゃない。

雀の目線を始点に上に伸びるような。凄い。うまい。崋山の速描きでシャープな花鳥画はこれまでもみたけれど、こんなに写実なのは初めて。華やかなのにキレがある。サムライが描いたボタニカルアートみたいな。

花もあやしいほど美しく、雀はかわいいというより鋭く。

崋山が蛮社の獄で蟄居となり、自害する頃の絵は((日記)(日記))は、生命が絶たれようとしている小さな生き物をまじまじと見ているような絵だった。これはまだ安定した立場のころだけれど、それでも明晰すぎて怖いほど。

 

その隣の椿椿山は崋山の弟子。「雑花果ら図」1852年、崋山の後で見ると、急にマイルドの思える。高速ジェットから各停に乗り換えたくらいの。

みかん、ビワ、ブドウ、へちま、栗、タケノコ、えんどう豆、エビネなどなど。ほのぼのして見える。

天寿を全うする人と、全うできず途中で峻烈な最期を遂げる人の差って、こういうことなんだろうか。

椿山は最後まで蟄居中の崋山のお世話をし、7歳で父を亡くした崋山の次男の小華に絵を教えた。小華は田原藩の家老にまで取り立てられる。田原市博物館では今、小華の企画展が開催中。行きたい...。

 

 

久隅守景「許由巣父図屏風」これは狩野派を離れる前だろうか?格調高い感じ(中村芳中の許由巣父図屏風と全然違う(笑))。

上からまっすぐに落ちる滝、波も心がすくような清々しさ。木陰も心地よい。許由も巣父も、しっかりとした線で描かれ、守景のたくましい腕を感じるよう。この人の描く絵は、強さがあるなあと思う。(でも牛はかわいかった)。

 

狩野派を学んだものの、のちに離れた人々の作は、惹かれる人が多い。久隅守景は庶民に目を向けている。

同じく江戸狩野を学んだ英一蝶「雨宿り図屏風」も、とてもひとくさい。

突然の夕立にひしめきあって雨宿りをする市井の人々に、興味津々。

各種の物売り、馬を拭いてあげる人、被り物を被った人、女性に子供、犬、よくわからない人。。江戸には多種多様な職業・珍商売があったらしい。あまり儲からないかもしれないけれど、食べていけるなら、江戸市中は楽しい社会なんじゃないかと思える。

靄や雨も描かれている。左隻のはじでは、雨が描かれつつも、少し空が明るくなってきたところかな。

 

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伝藤原公任筆石山切 伊勢集 

本願寺本の伊勢集の断簡。料紙の文様と内容と文字とで生み出す情感。4幅あった。

「をりける」 とんぼと紅葉舞う空

 

「おほそらに」 本当に空だ。

 

書では、夢想礎石「偈頌」14世紀 大きな牡丹の料紙に、草書の文字。のびやかにいい感じ。

禅僧の字は破格で個性的なことが多いが、この穏やかな和様の筆致は、師の一山一寧の影響。

 

「綱絵巻 」室町時代・16世紀 また楽しい絵巻に出会ってしまった。

酒呑童子では頼光とともに活躍していたあの渡辺綱が主役。二種類の鬼が登場。

前半では、羅生門に住む鬼を退治する。

不穏な風から始まる。この絵巻は、木や雲、風、雷などにいい演出をさせていた。

絵に描いたようなザ・鬼って感じの鬼が、馬の尻尾と綱の頭をひっぱる。綱が苦戦。うずまき雲がいい!。

詞書がなく、場面が省略されていてよくわからないのだけれど、後半では、綱は病にかかり、その原因が牛鬼だということで退治に出かけるという設定。

牛鬼が登場。何か食べているが、そこには骨らしきものが散らばっている。個人的にはけっこう愛らしいと思うし、子供のころ牛鬼の角が伝わるお寺を訪れた記憶があるので懐かしみさえ覚える。牛鬼伝説は西日本各地に残るらしい。

綱は、雲間から牛鬼の手にがしっと掴まれるも、手を切り落として持ち帰る。そのあと牛鬼は、綱の母に化けて「ちょっと見せておくれよ」と腕を取り返しに来る。この腕を取り返しに来るシーンは浅草の大絵馬でも柴田是真が描いていたが、あれは牛鬼ではなかったような。

牛鬼は腕は取り返したものの、今度は頭を切られてしまう。無事に牛鬼は逃げおおせたのだろうか?(どちらの味方...)

展示はここで終わっていた。結末が気になる。

 

伝狩野元信筆 旧大仙院方丈障壁画 

元信周辺によるものと解説にあったので、おそらく工房の者たちによるものなのでしょう。4月にここに展示されていた四季花鳥図屏風(個人蔵・写真不可だった)と共通する書き方もある。あれほどにのまれるほどの感動ではないかなと思ったりもしつつ、離れてみると強弱、墨の濃淡がきれいな作品。

西王母・東方朔図の場面

太公望・文王図の場面 文王が太公望を訪ねてやってきた。ふわりとした雲と立体感、好きな場面。

太公望。柳の詫びた感がいいなあ。

 

 

志野網干文水差 16~17世紀

網干文様、京博で見た海北友松の絵を思い出す。

 

曳蒔絵煙草盆 19世紀 も漁村の情景。漁村の風景に情感を感じるのは共通して持ち合わせる感覚なのかな。瀟湘八景でもなんともいえない漁村の風情が描かれている。

真ん中にたっぷりとられた余白。斜めに分断するライン。漁師と松まで斜めになり、右上に収束していく。

 

尾形光琳の「風迅雷神図屏風」は人だかりになっていた。色が鮮やかなのに驚き。

赤青緑白、各色が効いている。

以前の日記で、宗達、光琳、抱一、鈴木其一の風神雷神図がすべてそろった展覧会があって、「雲」がそれぞれ全然違うってことを書いたけれど、改めて見ると、光琳の雲がこんなになまなましく黒々していたとは。

足には雲がまとわりつくようだった。

風神雷神二人は息もぴったり、目線を合わせ、調子を合わせている。これが宗達の夏草秋草図の裏面に書かれたと思うと、あの舞い上がる風、吹き下す雨を感じるよう。

 

扇面流図屏風 宗達派(大倉集古館蔵)17世紀 も素晴らしかった。白波のたつ川の流れに、歌や花を描いた扇が波にもまれながら流されていく。右隻から左隻へ水流は激しさを増すようで、ついには多くの扇が左端に流れ込んでくる。扇は閉じたもの、開いたもの、色も様々。感情をあおるような激しい美しさだった。

 

18~19世紀の伊万里 絵柄の大胆さに見とれた。

 

「鸕鷀草葺不合尊降誕図 」狩野探幽 取り残された亡失感が。

 

「黄山谷・山水図」 狩野安信 瀬戸物のようにつるんとした手触り感が印象的。黄山谷(黄庭堅)は、北宋の詩人。黄山谷と鳥の目線がそれぞれ水平線を描いていた。

 

谷文晁「公余探勝図鑑」1793 30歳の若い文晁が、老中松平定信の伊豆相模視察に随行して描いた真景図。海防を念頭に置いて視察のせいか、20数枚中、入り江を俯瞰した絵が多かった。

鎌倉由比ヶ浜

大島が見える

三浦半島の海岸線、今と変わらないなあ

 

その他、一階のアイヌ文化のコーナーは、アイヌの祈りについて特集していた。蠣崎波響があったり、松浦武四郎の参考展示があったりとても興味深かかったのだけれど、また後日に。

本当は東博をさらっと見て、東京都美術館のバベルの塔展にいくつもりだったのに、もうへとへと。

ハイティーくらいの時間だけど遅いランチと一休みを兼ねて、東洋館のレストランゆりの木。ダイエット中につき一番軽そうなものを選んだら、中華がゆになりました。おいしい。


西洋美術館の庭に咲いていました。

上野公園も年々人が増えてくる気がする。赤ちゃんパンダがお目見えされたら、動物園もかなりの行列になるのかな。