はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●佐藤直樹個展「秘境の東京、そこで生えている」 アーツ千代田3331

2017-06-10 | Art

アーツ千代田3331 佐藤直樹個展「秘境の東京、そこで生えている」 

2017.4.30~6.11

 

いつも日記を書くのが会期が終わってしばらくたってからになるのですが、今回は急いで書きました。今もまさに増殖しつつある展覧会なのです。明日までですが、20時まで開いています。昨日の夜に行ってみたのです。写真も可ですが、実際のリアリティがうまく撮れていませんでした...

佐藤直樹さんは、1961年生まれ。ここアーツ千代田3331の立ち上げにもかかわり、画家というより、アートディレクターとして活躍されてきた方。

会場に入ると、あらかじめ情報を得ていたにもかかわらず、驚き。市販の高さ1.8mのベニヤ板がひたすら延長している。

合計ではその距離150mを超えるそう。会期前には86mだったそうなので、1か月超の会期中に増殖している。いっそう繁茂している。

木炭のみで描かれたそれに圧倒される。

熱帯雨林だ。密林だ。ジャングルだ。

 

だけれども、気づくとそのへんにある草や木だったりする。道端の植え込みや、ちょっと手入れがおいつかない庭のドクダミ。どこかのお宅の花。名も知らない、路側帯とか公園でよく見かける常緑樹。

あたりまえすぎて目を留めることもないけど、こうして描かれた葉を見ると、あ、よくあるやつだ、と確かな既視感。もらったのか買ったのか、鉢植えとかでよくある観葉植物とか。

そんなあたりまえすぎて気づきもしないそれらが、こんなに気を吐いている。

そこにいたんだ、と思う。その株のなかに分け入りさえすれば、密林のなか。東京でも。

植物の「精」というか「気」というか、「気配」の中で、この会場の中で、自分が小さめのただの生き物になった気がする。

ネイチャーツアーが好きでたまに行くのだけど、ガイドさんと行くのは、実は自然が怖いから。置いていかれないようにせっせと歩く。写真を撮るのに夢中になり、ふっと誰の人影もないのに気づくと、木に取り巻かれてて、ぞくりと怖い。なにかがいるんじゃないかと思う。

木の根元は、とりわけ生々しい。「生える」という言葉自体生々しいかも。

絵巻のように続くこの世界も、時々場所が変わっているようだ。佐藤さんの歩いた足跡も感じることができる。

私の好きなシャガが咲いている。都心では、上野公園や千鳥ヶ淵などで毎年きれいに咲いている。

たまに海が現れる。いくつかの海の場面には少し不安になる。

 

真ん中の小部屋には、一枚のベニヤに一本ずつが肖像画みたいに並んでいる。パンジーや唐辛子や小さめの鉢植えの植物のようなのも。人間に飼いならされたような、養殖の魚みたいなそんな植物からでさえ、佐藤さんはぬらぬらとした生気を受け取っている。等しくすくいとっている。なにかとても救われる思いがしてしまう。鉢植えみたいな世界で生きる者にとっても。

 

佐藤さんは、なぜひたすら描くのだろう。

木炭のみで描くぶん、頭でというよりも、動き。その草や木や花を前に、その気配や茎を流れる血脈みたいのを感じあいながら、頭を介することなくそのまま佐藤さんの腕に流れ、手から木炭はベニヤの上の草となり。リズムそのままに。エミリ・ウングワレーの絵を思い出す。描く者も、同じ呼吸をし、身を任せる。

そんなように感じながら、会場を絵とともにずりずり歩く。

濃厚すぎて、頭がからっぽになりそうな体験だった。

そもそも絵を描くってなんだろうと思う。子供のころは、なんにも考えないで気づけば紙と鉛筆とかクレヨンとかで、なにか書いてた。なにもみずに、きれいなお洋服をきた女の子とその横に太陽とチューリップくらいしか書けないんだけれども、今みたいにうまく描けないとか、そんなことは全くなかった。呼吸するくらい自然なことだった。

木炭でひたすら描くという行為の先に、佐藤さんもいつ終わろうと思うのか、何を目指しているのとか、超えてしまったのでしょうか。最後の方はまだ書きかけだった。

 

15分と45分に、10分間のサウンドインスタレーションというものが体験できる。インスタレーションってほとんど撃沈する私だけど、こてはずしんと胸にせまるものだった。

暗いお部屋に、はだか電球がひとつ。

耳を研ぎ澄ませると、森の音がする。かすかな草の音、虫の音、正体不明の、でも森の音。

そうか、森の気配だ・・と思っていた。と、ある現象が起こった。予想外で驚いた(会期中なので詳細は書きませんが)。風はだんだん強さを増す。そしてさらに起きるあの日のこと。おそらくその場にいたほぼすべての人が、共通して持っている記憶。

展示もインスタレーションも、心に残った展覧会でした。鑑賞するというよりも、体で感じる、自分のことも感じてしまう、という類の出来事でした。

 

地下の佐賀町アーカイブでは、関連展示があります。工房、アトリエ、ギャラリーが並ぶなか、B110というお部屋です。

写真の建物は、2010年から2011年に荻窪を歩き建物を描いたら廃墟みたいになってしまった、という絵。2010年ごろに再び絵を描き始めて、現在進行形である上の階の展示に至るまでを少したどれました

(抜粋)そのあと、地震があって、植物を眺めるようになっていた。植物はなにを考えているのだろう。描いて描いて描きまくったら少しは何かわかるようになるのだろうか。少しも何もわからなかったとしても、わかりたい気持ちが高まっているのだから、何とかしなければならない。

2010年より前の絵は、今見るとあまりにも何でもない。

 

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建物内のフェアトレードのお店で、おやつ購入。ゴマのは、岩おこしみたいでたいへんおいしかったです。

 


●山種美術館 「花・Flower・華ー琳派から現代へ」

2017-06-10 | Art

山種美術館 「花・Flower・華ー琳派から現代へ」 2017.4.22~6.18

花がいっぱいの展覧会。

名だたる日本画家たちが描いた四季の花が、一堂に会する。個性が出る。視線が見える。その画家の世界が映される。

私は先日、梅の花びらまできれいに描けていたのに、しべを元気いっぱい描きすぎて、先生を絶句させた。やってはいけないことだったらしい。

日本画の大家たちは、個性的に描いたり妖しく描いたりしても、やっぱり花の基本はしっかりおさえている。花に何を乗せても、花より花らしい。感嘆しながらしげしげと見てきました。

以下、気に入ったものの備忘録。

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展示は春夏秋冬の章立てを基本に、トランス季節、バイ季節な画もある。

異なる季節を一緒に描いたり、二幅、三幅の掛け軸で対幅にしたてたりするのも古来から好まれたそう。確かに、異なる季節を取り合わせると、あいだのところに、季節の移ろいと時間の幅も感じられて、いろんな空間が想像できる。

 

山元春挙「春秋草花」1921~23、二幅の掛け軸。大正ロマンといえばそうなのかも。ふっくら描かれた菜の花に蝶。桔梗にススキ、コオロギがこっそり。春挙もけっこうカラリストだ。

 

酒井鶯蒲「紅白蓮・白藤・夕もみぢ図」19世紀

安定した丁寧な筆致だった。紅・白・黄色に緑。藤は透け感がいいなあ。花びらはかすかな青みで、蕾には影もかすかに。もみじは、真ん中にたらしこみの太い幹、鮮烈な赤い紅葉。色の重なりとリズムに見飽きない。控えめにクリエイティブな鶯蒲。夭逝したのが惜しくてならない。(と思ったらあべまつ様のブログを拝見すると、これは本阿弥光甫の作に倣ったものだとか。検索すると、養父の酒井抱一も倣って描いている(こちらの方のブログに))。同じものを模しても抱一と鶯蒲でちょっと違う。藤田美術館にあるという光甫のも見てみたい。

 

鈴木其一「四季花鳥図」は、同じ抱一の弟子でも全く違う。其一も抱一が存命の間は控えめにしていたけれど、その後はぶっとぶ。

この屏風をお部屋においたら、植物がザワザワ主張してきてたいへんなことになりそう。お茶を飲んでいても気になって気になって。鳥の眼は凄みがあるし、ヒナには陰影までついて立体化し、ただのヒナではない。ああ言えばこう言う口達者な小学生みたいだ。

秋の隻も、風吹きすさび、さわがしい。ふと横の鶯蒲の絵にに目をやると、画面を超えることなく静かに淡々とそこに立っている。其一の絵は立てる波動が他の絵師と全く違う。

 

其一では「牡丹図」1851年も。

これはもう少し後、写実にのめりこんだ頃の作だろうか。初めて見たときは妖しさ、完璧なまでの細密さに圧倒されたけど、何度見てもやっぱりすごい。どの細部もみても線にも着色にも乱れがなく、尋常じゃない。

三の丸尚蔵館にある伝・趙昌に倣ったもので、其一の中国絵画への関心を示すものだそう。突然のはやり病で亡くならなければ、其一はどこまで到達していたのだろう。

 

大好きな奥村土牛が6点

「木蓮」1948は、深紅。土牛のいう「色の気持ち」という言葉を思い出す

「醍醐」1972が再び見られたのもうれしかった。

土牛展で見て以来、やはりこの絵は特別だと思う!。日本の宝だと思う(勝手に)。こんなに慈しみに満ちた桜が他にあるだろうか?。四季の移り変わり自体を幸せに思えるような。ささやかな幸せに。今回見ると、幹が年を経て傷み変色しているのを、土牛は大事に描いていたこと。

「ガーベラ」1975は、びんがかわいく楽しい形。ガーベラも自然の花じゃないけれど、愛でる85歳の土牛の眼を、かわいらしく感じてしまう。

 *

渡辺省亭「桜に雀」、西洋の写実を取り込んだ草分けの省亭。その時代の洋画がへんな写実になってしまいがちな中、省亭は巧みに取り込み昇華してしまっている。それにしてもこの素早さ。すべて頭に構築して、一気に書きだすのか?。写実の雀でさえ、瞬時に生み出されそう。

省亭では「牡丹図」も、加島美術さんで見て以来に再会。改めて見ると、一心に蜜を吸う黒アゲハがいっそう生々しい。牡丹はしべまで散り落ちていた。


石田武(1922~2010)「吉野」2000、初めて知る画家。動物図鑑のイラストなどから、日本画へ転向したとのこと。写実の風景。木や森や満開の桜や、描かれた要素がすべて生き生き立ち上っているよう。

 

【夏】では、山口華楊「芍薬」1976がすばらしくて、足が止まってしまう。花びらがきれている珍しい芍薬だった。円山四条派の流れをくむ華楊は写生をよくした画家だったのかな。技巧に凝るというよりは、細部まで意識が届いて、素直な感じ。隣に展示していた山口蓬春が「モダニズムを追求した」というのとはまた違う方に心を注いでいる。

 

高山辰雄「緑の影」1951、やっぱり難解な高山辰雄。

海が見える。上昇気流が立ち上っているようにも見える。地に生えた紫陽花ならわかりそうな気もするけれど、これは切り花になった紫陽花。緑に息が詰まるほどに濃密だった。

 


今回楽しみにしていたのが上村松篁の3作。

「花菖蒲」1977 75歳の作。ひらきかけの菖蒲が何とも言えないほど。

芥子」1979は、少し妖しさを漂わせつつも静かに咲いている。松篁は鳥にも優しいけど花を見る目も優しいな。なんだか見ていて気持ちが一緒に溶け合うような。(名作にもよくある)壁がないというか。それは華楊も同じ感じかもしれない。対象にうんと近づいて、同じ目の高さで話すように見ているからだろうか。

 

同じく松篁の「日本の花・日本の鳥」1970は、一双の大きな屏風。花、鳥それぞれ12ずつの扇が貼ってある。屏風の金の地も優しい色だった。そして扇の一つ一つも優しい。

右隻には花。紅白の梅、桜。牡丹はともすればエラそうな花だけれど、ひたむきに咲いてる感じ。燕子花は画面の端に寄せた縦のラインで、’’ここにいるよ、今年もさいたよ’’的に。赤い菊は横一文字。桔梗とススキは、動的な美しさを出したくて斜めの線を多用したとあった。

左隻の鳥は、いろいろな表現で、松篁が12か月分楽しんでいるのがわかる。12羽の登場人物みな特別ゲストさんといったように一番いい立ち姿を見せている。ウズラはやっぱり秋の月とともに。キジは黄色いモミジとともに、少し距離をとって陰に隠れるよう。暁の水面にはカモ(かな?)。(名前はわからないけど)渡り鳥の群れが、雪の中、画面の外へ飛んでいくところだった。私は鳥の名前に詳しくないけれど、間違えたら鳩の顔まで見分けられるという松篁に申し訳ないですね他の鳥は、鶯、こまどり、ルリ、キジバト、オシドリ、小千鳥がいる(解説より)。

 

木村武山「秋色」(大正)も見られてうれしい。幻影のような夢のような。実際、もみじはススキに透けていた。薄く影のような女郎花。蜘蛛の巣やトンボも、小さいものも入るのが武山らしい。

 

小林古径「白華小禽」1935は、強い調子に驚く。古径は静かで控えめな絵ばかりをこれまで見ていたからか。

ねっとりするほどに濃い何か。大輪の花が開ききって雄蕊を突き出す。次世代に受け継ごうという最後の役割のような。その後ろには黒い影があるけれども、若い蕾の背景には影はない。こちらは葉も若々しい色合い。鮮烈な青い鳥もちょっと不可思議な空間。

古径の「蓮」1932は、早朝の神秘的な空気だった。

 

【冬】の一角では、椿。江戸時代には椿の品種改良がブームだったそう。そういえば徳川の平和展で見た「椿図屏風」には、挿し木をしている椿が延々と並んでいたっけ。

作者不詳の「竹垣紅白梅椿図」17世紀も、ダイナミックな屏風だった。竹の生け垣は関西に多いそう。椿も梅も白と紅のものが踊っている。そこに動きに満ちた鳥が配置されてる。

 

小倉遊亀「咲き定まる」1974は、もう開ききって花の終わりごろなのだと思うけれど、それを遊亀は「咲き定まる」と。79歳の作。堂々と成熟し、悔いはない感じ。

 

最後の別室は牡丹ルーム。8点、全くちがう牡丹。文句なく美しくて大輪なのだけど、こうして集めると、さみしく無常感のようなものが漂ってくるのはどうしてだろう。

一番最後の一枚は、菱田春草の「白牡丹」1901だった。

 

この日のお菓子は、古径の泰山木をモチーフにしたお菓子を選びましたよん。

絵とちょっとイメージ違うかな。おいしくいただきました。