友人と発行しているミニコミ紙『望空游草』第8号からの転載記事です。
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先月、兵庫県立文化芸術センターで、「ギドン・クレーメル&クレメラータ・バルティカ」の演奏を聴いた。「4つの四季」と題されたコンサートだ。
四季と言えば、ヴィバルディのバイオリン協奏曲《四季》を思い浮かべるが、その《四季》へのオマージュとして後世に作曲された、四曲の「四季」で構成されている。
20年ほど前に見た映画「無伴奏『シャコンヌ』」の中で、主人公が弾くバイオリンを演奏していたのがギドン・クレーメルだった。心を揺さぶられ、すぐにCDを買った。
バッハの「無伴奏バイオリン・ソナタとパルティータ」だ。パルティータ第2番第5楽章が「シャコンヌ」。卓越した技巧が必要とされることで有名な曲だが、クレーメルの演奏は自由で軽やかだ。映画では、主人公の弾く「シャコンヌ」が貧しい人々を癒していく場面が圧巻だった。
以来、ギドン・クレーメルは私にとって特別な音楽家となった。
ギドン・クレーメルは1947年、旧ソ連領だったバルト三国のラトヴィア生まれ。両親はドイツ系ユダヤ人で、父親はホロコーストから逃れて生き延びた人だという。
彼が1996年、バルト三国の若く才能のある演奏家を集めて創設した室内オーケストラが「クレメラータ・バルティカ」だ。
ヴィバルディの《四季》と、ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」を収めた「エイト・シーズンズ」が彼らの最初のアルバムだ。
まったく異なった二つの四季が楽章ごとに交互に演奏されていて、違和感がない。これも発売されるとすぐに購入し、中毒になるほど繰り返し聴いた。
今回のプログラムは、一番目は、チャイコフスキーのピアノ曲集《四季》を編曲したもののダイジェスト、いわばロシアの四季。
二番目は、フリップ・グラスの「バイオリン協奏曲第2番《アメリカの四季》」。
三番目は、梅林茂の「バイオリンと弦楽オーケストラのための《日本の四季》」。
最後がピアソラの「ブエノスアイレスの四季」。CDで聴き慣れたヴィバルディの《四季》が入っていないのが残念だと思ったが、初めて聴く《アメリカの四季》と《日本の四季》には感動した。
《アメリカの四季》から、クレーメルが独奏者として登場した。
クレーメルとクレメラータ・バルティカの演奏は、フルオーケストラのように迫力があった。
フィリップ・グラスは、ロバート・マクダフィーというバイオリニストから、ヴィバルディの《四季》とともに演奏できる協奏曲をと依頼されて、2009年にこの曲を発表したそうだ。初めて聴く曲だったが、始まってしばらくするうちに、不思議な感情に襲われた。
敬愛してやまないクレーメルの登場のせいか、フィリップ・グラスの音楽のせいか、地下水が土の表面に滲み出るように、心の奥底に沈殿していたものが上昇し始めた。
最初は、「ああ、こんなにすごい空間に身を置くことができる私は、なんと幸せだろう」というような、喜び、感謝の感情だった。
ふいに、私にこの幸せを感じることができるようにしてくれたのは、母だったと思い至った。
母が亡くなったのは4年前だ。2年前の父の死の時には、十分な時間と心の余裕があったので、父のことは穏やかに思い出すことができる。
母の死は、肺炎が急激に悪化して急だったのと、父の介護とが重なって、現実に心が追い付いて行かなかった。今でも、思い出すとつらい。
そんな感情に蓋をしていたのだろう。クレーメルの演奏で、その蓋が外れてしまったようなのだ。
涙があふれてきて、どうしようもなかった。音楽に夢中になったころの私を後押ししてくれたのが母だった、ということに思いが至ると、堰を切ったように、音楽にまつわる母との思い出がよみがえってきた。
クラシック音楽に目覚めたのは小学校六年か中学生のころだ。
私は扱いにくい子どもで、母は手を焼いていたと思う。思春期になると感情を爆発させることもたびたびだった。
クラスメートによるいじめもあって、そういう娘とどう向き合えばいいか、母はずいぶん悩んだことだろう。
私がクラシック音楽に夢中になったのを見て、まず、母がしてくれたのは、オルガンを買ってくれたこと。次に、中学生になったとき、1カ月1000円で指導してくれるピアノの先生を探してきた。
しかし、彼女は主婦の仕事の片手間に教えるというような先生で、生徒は私と小学生の男の子だけ。いやになってバイエルを終了するまでは続かなかった。
次に母は、国に帰るドイツ人が中古のピアノを売るという情報をどこからか仕入れてきて、そのピアノを買ってくれた。安く手に入ったとはいえ、ずいぶんの決断だったと思う。
鍵盤の象牙は黄色く変色して、しょっちゅう音が鳴らなくなったが、マホガニー色のピアノは私も母も気に入っていた。後に父が、調律師にも見放されたピアノを処分してしまったことを、「あのピアノはいいピアノだったのに」と晩年にいたるまで残念がっていた。
高校の時、小遣いをためて、大好きなベートーベンの交響曲全集のレコードを揃えるのを楽しみにしていた私に、「今度の試験の成績がよかったら、買ってあげる」と母は言った。
成績は思ったほど上がらなくて、あきらめていたのに、母はお金を出してくれた。信じられなかった。後に母は言ったものだ。「音楽で少しでもあんたの心が優しくなればと思ってね」と。
貧しくて高等小学校までしか行けなかった母だったが、よく本を読んだ。クラシック音楽の趣味はなかったが、音楽も好きだった。経済的に恵まれて、思い切り勉強ができていたら、母にはもっと自分の才能を生かした別の人生が開けていたかもしれない。
訳の分からない感情に振り回され、自分をコントロールするすべを知らずに苦しんでいる思春期の娘を見て、自分ができなかったことを、娘にさせてあげたいと思ったのだろう。
思春期をなんとかやり過ごすことができたのは、本と、音楽のおかげだと思っている。その手助けをしてくれたのが母だったのに、感謝の気持ちをちゃんと伝えることができないうちに、母は旅立ってしまった。
なぜ、クレーメルの演奏が、閉じていた心の蓋を開けたのか。
映画の中で、病み疲れた人々を立ち上がらせた、その時と同じ音楽の力が働きかけたとしか言いようがない。
ギドン・クレーメルは、音楽の持つ力を知っている人だと思う。
彼は、子どものころから「お前は何者だ」と自分に問いかけてきたそうである。
もって生まれた才能のほかに、彼がユダヤ人であること、旧ソ連領のラトヴィアで生まれ育ったこと、すなわち、音楽よりほかに拠り所とするものがないという環境が、ギドン・クレーメルという音楽家を生んだのではないだろうか。
信仰が貧しいものにとってより必要とされるように、音楽もまた、魂が危機にさらされたときにこそ、その力を発揮する。そのことを、クレーメルは、自らの経験によって知っていたのだと思う。
クレメラータ・バルティカを、バルト三国の若者で構成したことも、音楽の力を知る演奏家に育ってほしいという思いがあるのではないだろうか。
フィリップ・グラスの曲は《アメリカの四季》と題されてはいるが、《ラトヴィアの四季》《エストニアの四季》《リトアニアの四季》 といってもいいほど、彼らの身体や魂から直接流れ出してくるような演奏だった。
梅林茂の《日本の四季》を聴いていると、高畑勲監督のアニメ映画「かぐや姫の物語」に描かれた日本の四季の風景が思い浮かんだ。
高畑勲のあの筆致で描かれた日本の四季に、この音楽を重ねたら、とても美しい映像作品が出来上がるのではないかと想像した。
梅林茂氏のことを調べたら、数多くの優れた映画音楽を作曲している人だったので、高畑勲の映像を思い浮かべたことも納得できた。
「New Seasons」という新CDに収められている梅林茂作品は、《日本の四季》ではなくて、《夢二のテーマ》という曲だ。これは、ウォン・カーウァイ監督の映画「花様年華」に使われていて、大人の微妙な恋を描いた映画によく合っていた。
それが梅林作品だったとは。ギドン・クレーメルはこの曲が気に入って、今回、《日本の四季》を梅林に委嘱したのだそうだ。
「ブエノスアイレスの四季」について書くスペースがなくなりそうだ。
CDでは、ヴィバルディの《四季》と交互に演奏されていたので、一気に聴くのは初めてだ。実にのびのびと自由に演奏していて、この曲も彼らのために作曲されたのではないかと思えるほど。
ジプシー音楽か、ジャムセッションのように音が自由に飛び交い、思わず体が動いてしまう。
映画の中で「シャコンヌ」が鳴り響いたのは、貧しい人々がたむろする地下空間だった。今回は兵庫県立芸術文化センターの立派なホールだ。けれども、音楽が奇跡を起こす空間という点では同じだ。
コンサートが終わって席を立つ聴衆の表情は、至福の時を過ごしたという喜びにあふれ、晴れやかだった。
音楽という魂の贈り物をくれたギドン・クレーメルとクレメラータ・バルティカに、心からの拍手と感謝を送りたい。