自宅のお風呂の点火装置が壊れた。土日、祝日が続き、やっと公団住宅の管理事務所に連絡出来て、今日、業者さんが来てくれた。
けれども、部品を取り寄せないと修理できない、修理は明日になると言われた。
近辺に、800円~1000円もするスーパー銭湯はあるけれども、普通の銭湯を見かけたことがない。
昨日まで、台所の給湯器から、お湯をバケツや、ボウル、ありったけの容器に溜めて風呂場に運び、行水をしたが、いつまでも行水を続けるわけにもいかない。
今日は、インターネットでいろいろ検索して、2か所の銭湯を見つけた。
そのうちの1か所が、一駅となりの町にあったので、そこに行ってみた。
1970年代に市が共同浴場として開設した湯で、以前は自治会で管理、町の人たちが集まる場にもなっていたという。
自治会のメンバーが高齢化し、負担が重くなって、一時、閉鎖されていた。
福祉関係のNPO法人が管理運営を名乗り出て、去年、再開された銭湯だそうだ。
隣町の駅から、地図を見ながら探し歩き、15分ほどで目指す銭湯にたどり着いた。
広すぎず、狭すぎず、ちょうどよい大きさの銭湯である。
営業時間は、午後4時から10時まで。入浴料は自動販売機で買うことになっていて、大人250円、小中学生は120円、就学前児童は60円という安さ。
その代り、石鹸、シャンプー、リンスは自分持ち。持ってこなかった人は、入浴料とともにその券も購入する。
銭湯に入るのは、両親が健在だったころ、地域の老人福祉施設の温泉に毎日通っていて、ときどき一緒に入りに行っていた。その時以来である。後期高齢者の両親は無料だが、私は一般市民の料金を払って入っていた。
まだ5時すぎだったので、客は少ない。ほとんどが高齢者。私もその高齢者の一人であるが。
更衣室も風呂も清潔で、必要最小限、シンプルな設計で、使いやすい。
湯船は、普通のお湯と、電気風呂、勢いよく泡が出るマッサージ風呂、水風呂の4種類。水風呂にずっと浸かって、その中で体操をしているおばあさんもいる。
初心者の私は、普通のお湯にしか入らなかったが、そんなに熱くはない温度なのに、とても温まった。
湯船に浸かっていると、洗い場で身体を洗っている人たちの様子がよく見える。高齢者がほとんどだから、乳房も、お腹も、お尻の肉も垂れ下がって、まっすぐ立って歩いていられる人は少ない。
そういう風景は、実家に帰った時、母と一緒に温泉に行っていたころに見慣れている。老人福祉施設の温泉に通ってくる老人の中でも、母は2番目に高齢だったので、いろいろな人が、母をいたわって声を掛けてくれていた。母は、その声に、笑顔で応えていた。
ふと、その頃の、元気だった母の姿を思い出した。とたんに、涙があふれてきた。銭湯で母を思い出すとは思わなかった。
浴室から更衣室へと出るドアの前に、もう一つ、上がり湯用の、井戸のような形の湯船があった。こんな設備がある銭湯は初めてだ。
上がり湯だけでなく、かかり湯に使う人もいるだろう。よく考えられた設計だと思った。
私より先に出ようとしていたおばあさんが、そのお湯を汲んで、ドアの取っ手と足元のマットに勢いよくお湯をかけ、消毒のつもりなのだろう、きれいに洗ってからドアを開けて出て行った。
お湯から出て着替えていると、次から次へと、新しい客が入ってくる。高齢者ばかりだったのが、40代、30代ぐらいの女性もいる。
その人たちに、着替えが済んでも帰らないで、おしゃべりをしているお年寄りたちが声を掛ける。
お互いに顔みしりなのだ。地域のたまり場になっている銭湯だということが分かる。
外に出ると、日が暮れて暗くなっていた。来た時と町の風景が変わっていて、どちらへ歩き出せば駅に出るのか分からない。
バイクで帰ろうとしていた私と同年齢ぐらいの女性に聞くと、その人は、私よりもっと遠くの町から来ているという。
だから、この辺のことは分からない、でも、こっちの方へ行けばいいんじゃないかと指をさすので、方向は間違っていないだろうと、女性が指さした方へ歩き始めた。
行けば行くほど、方向が分からなくなって、自転車に乗った中学生に聞いたり、犬の散歩中の女性に尋ねたりして、来た時の2倍の時間をかけて駅に出た。
明日、冬至という時期にしては、気温が高いせいもあろうが、歩き回って風に吹かれても、身体はぽかぽかしている。
このぽかぽかは、いま、このブログを書いている深夜になっても、続いている。
銭湯、恐るべし。少なくとも、週に一度は、この銭湯に行こうと思っった。